座敷童子
岩手の旧家に住むという子どもの姿の家の神。いる家は栄え、去ると家運が傾く。

- 分類
- 家の怪
- 分布
- 岩手県
- 出没
- 座敷・蔵
- 弱点・対処
- 子供部屋を設け祀る
- 主な初期記録
- 『遠野物語』(1910)
解説Overview
座敷童子は、主に岩手県に伝わる、座敷または蔵に住むとされる子どもの姿の家の神である。家人に悪戯をし、見た者には幸運が訪れる、家に富をもたらすと語られる。いる家は栄え、去った家は衰退するというのが、もっとも特徴的な信仰である。
柳田國男『遠野物語』第17話・第18話および『遠野物語拾遺』第87話に「ザシキワラシ」「座敷ワラシ」として載り、第17話は「この神の宿りたまふ家は富貴自在なり」「ザシキワラシは座敷童衆なり」と記す。呼び名は座敷童衆、座敷ぼっこ、御蔵ボッコ、座敷小僧、クラワラシなど土地で分かれる。姿は赤面垂髪の五、六歳ほどの小童が一般的で、おかっぱまたはざんぎり頭、男女ともに語られ、黒い獣や武士の姿という話もある。分布の中心は岩手県で、遠野の土淵、二戸、奥州市江刺の稲瀬などに話が残る。
名称と語源
座敷童子(ざしきわらし)の名は、柳田國男『遠野物語』(1910)第17話に「ザシキワラシ」と見え、「ザシキワラシは座敷童衆なり」と記される。同書第18話もこの表記を用い、『遠野物語拾遺』第87話は「座敷ワラシ」とする。ここでの語釈は、わらしを童衆と読むものである。
地方により座敷童、座敷童衆、座敷小僧、カラコワラシなどの呼び方がある。岩手の内陸部では座敷ぼっこといい、宮沢賢治の著書もこの名を用いる。土蔵にいるものは御蔵ボッコ、クラワラシ、クラボッコと呼ばれ、蔵に属する系統を示す。
『十方庵遊歴雑記』は岩手県江刺(現・奥州市江刺区)稲瀬の座敷童子について、土間のものをコメツキワラシ、ノタバリコ、ウスツキコ、奥座敷の白いものをチョウピラコと呼び、位による名の差を伝える。佐々木喜善『ザシキワラシの話』は土淵村(現・遠野市)のある家のマダの木に棲むカブキレワラシを記す。細長い手で人を招くものを細手または細手長手と呼ぶ例もある。
姿かたち
一般的には、赤い顔に髪を垂らした五、六歳ほどの小童とされ、髪はおかっぱまたはざんぎり頭、年恰好は三歳程度から十五歳程度までの例もある。男児は絣か縞の黒っぽい着物、女児は赤いちゃんちゃんこや小袖、ときには振袖を着るとされ、姿が判然としないために性別が分からない場合や、男女二人が一軒に住む場合もある。黒い獣のような姿、武士のような姿という伝えもある。村上健司・高橋貞子らの『DISCOVER妖怪 日本妖怪大百科』VOL.05(2008)は、こうした姿の記述を座敷童子の項に収めている。
十方庵敬順『十方庵遊歴雑記』は、岩手県江刺市(現・奥州市江刺区)稲瀬の座敷童子に位の差を記す。家の土間にいる者をコメツキワラシ、ノタバリコ、ウスツキコなどと呼び、奥座敷にいる色の白い最も綺麗な者をチョウピラコと呼ぶ。白い童子を吉事の前触れ、赤い顔・赤い服・赤い手桶を持った童子が見えるのを家を去る兆しとする説もある。
佐々木喜善『ザシキワラシの話』によれば、岩手県土淵村(現・遠野市)のある家ではマダの木(菩提樹)にカブキレワラシが棲み、童子姿となって座敷に忍び、赤い顔の姿でクルミの木の三つ又で遊んでいたという。蔓のように細長い手を出して人を招く「細手」または「細手長手」の例もあり、小童の姿に限らない描写が残る。
性質と弱点
座敷または蔵に住む神とされ、家人に悪戯をし、見た者には幸運が訪れ、家に富をもたらすと伝えられる。灰やさらし粉に小さな足跡を残し、夜中に糸車を回し、奥座敷で御神楽のような音を立てて遊ぶとする話があり、夜は客人の布団にまたがり枕を返して眠らせまいとするが、押さえようとしても力が強いという。子供と一緒に遊ぶともされ、村上健司ら編『DISCOVER妖怪 日本妖怪大百科』第五巻(2008)はこうした悪戯を収める。
柳田國男『遠野物語』(1910)第17話は「この神の宿りたまふ家は富貴自在なりといふことなり」と記す。いる家は栄え、去った家は衰退するという民間信仰が最も特徴的で、同書は去った家の食中毒全滅と、岩手県土淵村(現・遠野市)大字飯豊で子供が弓矢で射たところ去り家運が傾いた話を載せる。白い座敷童子は吉事の前触れ、赤い服の童子が見えるのは家を出て行く凶事の前触れとする説もある。
『十方庵遊歴雑記』が伝える岩手県江刺(現・奥州市江刺区)稲瀬では、土間のノタバリコやウスツキコなど盛衰と無関係に物音を立てるだけの者もおり、気味の悪い存在とされることもある。狐持や犬神持と異なり、住むことを迷惑がらず神として保護し、周囲もその家を畏敬をもって遇するとされる。禁忌は弓矢で射るなどして去らせることである。二戸市一帯では部屋の一画に菓子や玩具を置いた子供の好む小部屋を設け、居つかせて福をもたらそうとする。
伝承・逸話
家を去ったあとの食中毒: 柳田國男『遠野物語』(1910)第17話・第18話は、座敷童子が去った家の一家が食中毒で全滅した話を載せる。家にいた童子が去り、そのあと家人は食中毒にかかり、一家が死に絶えた。赤い服の童子を見たという家族一同が食中毒死した事例も伝えられる。白い座敷童子は吉事の前触れであり、赤い顔・赤い服・赤い手桶を手にした童子が目に見えるのは、童子が家を出て行くことによる凶事の前触れとする説もある。
弓矢に射られて家を去る: 同書第17話・第18話は、岩手県土淵村(現・遠野市)大字飯豊(いいで)の資産家に座敷童子がいた話を載せる。その家の子供が座敷童子を弓矢で射たところ、座敷童子は家を去った。童子が去ったあと、資産家だったその家の家運は傾いた。
小学校に現れる: 柳田國男『妖怪談義』(1956)によれば、1910年(明治43年)7月頃、陸中上閉伊郡土淵村(現・岩手県遠野市)の小学校に座敷童子が現れた。姿は1年生の児童にだけ見え、年長の生徒や大人たちの目には見えなかった。
カブキレワラシ: 民俗学者・佐々木喜善の『ザシキワラシの話』によれば、土淵村のある家ではマダの木(菩提樹)にカブキレワラシが棲んでいた。カブキレワラシは童子の姿となって家の座敷に忍び込み、娘にいたずらをした。赤い顔の姿では、クルミの木の三つ又で遊んでいたという。
稲瀬の位階: 十方庵敬順『十方庵遊歴雑記』は、岩手県江刺市(現・奥州市江刺区)稲瀬の座敷童子を記す。家の土間にいるものをコメツキワラシ、ノタバリコ、ウスツキコなどと呼び、奥座敷にいる色の白い最も綺麗なものをチョウピラコと呼ぶ。土間の者のなかには、家の盛衰とは関係なく家の中を動き回り物音を立てるだけで、気味の悪い存在とされるものもある。
起源と解釈
間引きと子供の霊:
佐々木喜善は『ザシキワラシの話』で、座敷童子を圧殺されて家の中に埋葬された子供の霊ではないかと述べる。東北地方では間引きを「臼殺」といい、石臼の下敷きにして殺し土間や台所に埋めたとされ、雨の日に縁側を歩く子の霊など類似の話があったという。『十方庵遊歴雑記』に見える土間のノタバリコやウスツキコは下等とされ、這い回りや臼を搗く音から、埋葬の場所との関連も指摘されている。
職人の呪いと河童:
高橋貞子『座敷わらしを見た人びと』は、大工や畳職人が家の工事の際に気持ちよく仕事できなかった呪いから生じたとする話を残し、木片を薄く剥いだ人形を柱と梁の間に挟む呪法があったと記す。淵に住む河童が近くの家に上がり込んで悪戯をするものが座敷童子だとする話や、河童が家に住み着いて座敷童子となった話もある。
研究史の解釈:
柳田國男は、高僧が天から呼んだ護法童子(仏法を守る童子姿の鬼神)と同様、仏教や民間巫女の守護霊が若葉の魂の清新さを尊重する信仰を経て、家の守護霊としての座敷童子信仰へつながったとみた。柳田以降の民俗学では、オクナイ様や竜宮童子など異界から訪れる童子との関連も論じられる。小松和彦は、座敷童子の属性がイズナ使いなどの動物霊としての憑き物とほとんど重複するとし、旧家層における貧富の差と変動の説明原理とした。阿部正路は、上田秋成の江戸後期の読本『雨月物語』「貧福論」で陸奥国の武士の家に銭の霊が小さな翁で現れ黄金の精霊を名乗る話を、座敷童子の祖型と考察している。旧家に宿ることや、村の外から訪れた六部を殺害した家が没落する伝承と結びつけて、村落共同体の暗部の象徴とする指摘もある。
史料の変遷
十方庵敬順『十方庵遊歴雑記』は、岩手県江刺市(現・奥州市江刺区)稲瀬の座敷童子を随筆に記し、土間のコメツキワラシ・ノタバリコ・ウスツキコと、奥座敷のチョウピラコとを位の違いとして残す。
柳田國男『遠野物語』(1910)第17話・第18話は、座敷童子を民俗誌の条に掲げ、同『遠野物語拾遺』(1935)第87話は「座敷ワラシ」の表記で話を継いだ。佐々木喜善『ザシキワラシの話』は土淵村の事例などを一書にまとめ、柳田『妖怪談義』(1956)は1910年(明治43年)7月頃、陸中上閉伊郡土淵村(現・岩手県遠野市)の小学校に現れたとする見聞を後年の論に再録した。
高橋貞子『座敷わらしを見た人びと』は見たとする人の話を一冊に残す。村上健司・高橋貞子他『DISCOVER妖怪 日本妖怪大百科』VOL.05(2008)は座敷童子を現代の事典項に収め、国際日本文化研究センター『怪異・妖怪伝承データベース』は「ザシキワラシ」項で各地の事例を収録する。
ゆかりの地
岩手県遠野市(旧土淵村)は、柳田國男『遠野物語』(1910)第17話・第18話がザシキワラシを記した土地である。
岩手県の金田一温泉「緑風荘」、盛岡市天神町の「菅原別館」、遠野市附馬牛町大出の「わらべ」は、座敷童子のいる宿として知られる。緑風荘では病死した先祖が守り神となったと位置づけ、菅原別館では江戸時代に女将の実家で火災から家を守った火の神が嫁入りに随ったと伝える。「わらべ」の近くの早池峰神社は開山千二百年以上で、同宿の創業当時から座敷童子の祈願祭が行われる。
岩手県二戸市一帯には、部屋の一画に子供の好む小部屋を設けて祀る風習が残る。奥州市江刺区稲瀬は、十方庵敬順『十方庵遊歴雑記』が座敷童子を記した土地である。
現代の受容
文学と事典:宮沢賢治の著書には「座敷ぼっこ」の名が見え、童話『ざしき童子のはなし』がある。村上健司・高橋貞子他『DISCOVER妖怪 日本妖怪大百科』VOL.05(2008年)は座敷童子の項を立てる。国際日本文化研究センターの『怪異・妖怪伝承データベース』は「ザシキワラシ」項で各地の伝承事例を収録する。
観光と定型像:近年、岩手県の「緑風荘」「菅原別館」「わらべ」が座敷わらしに会える宿としてテレビ番組や雑誌に取り上げられ、宿泊客が姿を見た、足音を聞いた、体を触られたという話がある。緑風荘は病死した先祖が守り神となったと位置づけ、一般的な座敷わらし伝承とは異なる。事典とデータベースが整理するのは家に宿る童子の話型であり、宿で会う観光の像とは層を異にする。漫画・アニメ・遊戯の作品名と年はこれらの出典にない。
出典: 〔7〕
出典・参考文献References
- 『遠野物語』 柳田國男 1910第17話・第18話。ザシキワラシは座敷童衆なり、宿る家は富貴自在と記し、去った家の食中毒と土淵村飯豊で弓矢に射られて去った話を載せる。
- 『遠野物語拾遺』 柳田國男 1935第87話に「座敷ワラシ」の表記で話を載せる。
- 『妖怪談義』 柳田國男(講談社) 19561910年(明治43年)7月頃、陸中上閉伊郡土淵村の小学校に現れ、1年生にだけ見えて年長や大人には見えなかったと記す。
- 『十方庵遊歴雑記』 十方庵敬順江刺稲瀬の座敷童子を記し、土間のコメツキワラシ・ノタバリコ・ウスツキコと、奥座敷の白いチョウピラコなど位の違いを伝える。
- 『ザシキワラシの話』 佐々木喜善土淵村のある家のマダの木に棲むカブキレワラシが童子姿で座敷に忍び、赤い顔でクルミの木の三つ又で遊んだと記す。間引き子の霊とする見方も述べる。
- 『座敷わらしを見た人びと』 高橋貞子大工や畳職人が気持ちよく仕事できなかった呪いから生じ、木片の人形を柱と梁の間に挟む呪法があったと記す。
- 『DISCOVER妖怪 日本妖怪大百科 VOL.05』 村上健司(講談社) 2008座敷童子の項(村上健司・高橋貞子他)。姿・家の盛衰・諸説を収める現代の妖怪事典。
ランキング順位Rankings
ゆかりの地Places
- 遠野(岩手県)『遠野物語』第17・18話の土淵・飯豊の伝承地。附馬牛町大出に座敷童子の宿「わらべ」がある。
- 二戸(岩手県)亡くなった子や間引き子の供養として子供部屋を設け、座敷童子を居つかせる風習がある。
- 稲瀬(岩手県)『十方庵遊歴雑記』が土間のコメツキワラシと奥座敷のチョウピラコなど位の違いを記す。
- 金田一温泉(岩手県)座敷童子の出る宿「緑風荘」がある。病死した先祖が守り神となったと位置づける。
- 盛岡(岩手県)天神町の「菅原別館」。座敷童子は女将の実家の火の神が嫁入りに随ったとされる。
- 早池峰神社(岩手県)「わらべ」創業時から座敷童子の祈願祭が行われ、神社の童子が宿に来ているとも語られる。
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よくある質問FAQ
座敷童子に会うとどうなる?
伝承では、座敷童子がいる家は栄えるとされ、見た人には幸運が訪れると語られます。害をなす話はほとんどありません。
座敷童子はどんな姿?
一般には赤面垂髪の五、六歳ほどの小童で、髪はおかっぱまたはざんぎり頭とされる。男児は絣や縞の黒っぽい着物、女児は赤いちゃんちゃんこや小袖、振袖ともいい、黒い獣や武士の姿という話もある。
座敷童子はどこにいる?
主に岩手県で、座敷または蔵に住むとされる。遠野の土淵、二戸、奥州市江刺の稲瀬などに話があり、金田一温泉の緑風荘、盛岡の菅原別館、遠野のわらべは座敷童子の出る宿として知られる。
座敷童子の起源は?
佐々木喜善は、臼の下などに埋められた間引き子の霊ではないかと述べた。柳田國男は護法童子や民間巫女の守護霊が家の守護霊へつながったとみる。河童が家に上がったものとする話、大工の呪いとする話もある。
座敷ぼっことは別の妖怪か?
違いはなく、岩手内陸部での呼び名が座敷ぼっこである。宮沢賢治の著作もこの名を用いる。ほかに座敷童衆、御蔵ボッコ、座敷小僧、カラコワラシ、クラワラシなど土地ごとの名がある。
最終更新: · 編集: 百鬼編集室

