ぬらりひょん
後頭部の長い老人姿で描かれる正体不明の怪。「妖怪の総大将」像は近代に作られたもの。

- 分類
- 里の怪
- 分布
- 岡山県・秋田県
- 出没
- 不明
- 弱点・対処
- 伝えなし
- 主な初期記録
- 『百怪図巻』(1737)
解説Overview
ぬらりひょん(滑瓢)は、瓢箪鯰のように掴まえ所がない化物とされる。江戸期の妖怪絵巻に老人の姿が多く残るが解説はなく、意図した性質は分からない。民間では秋田県で百鬼夜行の一員、岡山県で海坊主の一種として名が見えるが、絵との前後関係は明らかでない。
絵巻の姿は特徴的なはげ頭の老人で、着物または袈裟を着る。鳥山石燕『画図百鬼夜行』は駕籠から下りる図を「ぬうりひょん」と記すが、先例から誤記とされる。京極夏彦・多田克己は「ぬらり」を滑らかさ、「ひょん」を奇妙さとし、つかみどころのなさから名が付いたとする。
岡山県では瀬戸内海に浮かぶ人頭大の球体が、捕まえると沈み浮いてからかうと伝え、老人の絵とは別物とされる。秋田県では菅江真澄『雪の出羽路』(1814)に、稲庭郷沢口村のさへの神坂(現・湯沢市稲庭町)で名が見える。
昭和以降に広まった家への上がり込みと「妖怪の総大将」は、藤沢衛彦が石燕図に付けた文を後年が敷衍した俗説で、民間の実例は確認されていない。
名称と語源
ぬらりひょんは漢字で滑瓢とも記し、一般には瓢箪鯰のように掴まえ所のない化物を指す名とされる。京極夏彦と多田克己は『妖怪図巻』で、「ぬらり」を滑らかな様子、「ひょん」を奇妙な物や思いがけない様子の意とし、ぬらりくらりとつかみどころのないところからこの名称がつけられたのではないかとする。浮世草子『好色敗毒散』に「その形ぬらりひょんとして、たとえば鯰に目口もないようなもの、あれこそ嘘の精なれ」とあり、のっぺらぼうに近い形容としても用いられた。
鳥山石燕『画図百鬼夜行』は「ぬうりひょん」と記すが、文献や絵巻の先例から単純な誤記とされる。駕籠から下りる描写は、乗り物から降りることを「ぬらりん」と言ったことと名を掛けたとする見方がある。
岡山県では、平川林木によれば海坊主に類する瀬戸内海の球状の怪をぬらりひょんと呼び、「ぬらり」と手をすり抜け「ひょん」と浮く繰り返しが名の由来とされる。菅江真澄『雪の出羽路』(1814)は出羽国雄勝郡稲庭郷沢口村のさへの神坂で、百鬼夜行の一員としてこの名称を記す。前者は海坊主系、後者は百鬼夜行の一員を指し、佐脇嵩之『百怪図巻』(1737)などの絵巻に記された名との前後関係は明らかではない。
姿かたち
江戸時代の妖怪絵巻のぬらりひょんは、特徴的な形状をしたはげ頭の老人で、着物もしくは袈裟を着る。佐脇嵩之『百怪図巻』(1737)と尾田郷澄『百鬼夜行絵巻』(1832、松井文庫所蔵)をはじめ多くの絵巻にその姿が描かれているが、解説文は一切無く、どのような妖怪を意図して描かれたかは不明である。
鳥山石燕『画図百鬼夜行』(1776)は駕籠から下りる姿を「ぬうりひょん」と描く。解説はなく、乗り物から降りることを「ぬらりん」と言ったことへの掛け、あるいは遊里通いの放蕩者として描いたとする説がある。浮世草子『好色敗毒散』は「その形ぬらりひょんとして、たとえば鯰に目口もないようなもの」と、のっぺらぼうのような形容にも用いた。
平川林木が記す岡山県の伝承では、瀬戸内海に浮かぶ人の頭ほどの球状であり、絵巻の老人とは別物と考えられる。家に入り茶を飲む訪問者という定型は、藤沢衛彦『妖怪画談全集 日本篇 上』(1929)が石燕図の下に記したキャプションに始まる。村上健司『妖怪事典』(2000)と多田克己『妖怪図巻』(2000)は、家に上がり込む解説に民間伝承の実例はなく、石燕の絵から推測された創作だと指摘する。
性質と弱点
民間伝承には、岡山県で海坊主の一種、秋田県で百鬼夜行の一員として名称が確認される。岡山県では、瀬戸内海に浮かぶ人の頭ほどの球状の妖怪が、捕まえようとすると沈んだり浮かんだりを繰り返して人をからかうと平川林木は伝える。秋田県の例は、菅江真澄『雪の出羽路』(1814年)に見える。いずれの伝えにも、特定の食物を好む記述も、人を傷つける次第や恩を返す話も、弱点、禁忌、対処法も残っておらず、絵巻に描かれたぬらりひょんとの前後関係も明らかではない。
家の者が忙しくしている夕方に上がり込み、茶や煙草を飲んで自分の家のようにふるまい、目撃してもこの家の主だと思って追い出せない、あるいは存在に気づかない、とする解説がある。村上健司『妖怪事典』および多田克己は、家に入るという性質について民間伝承の実例は確認されておらず、藤沢衛彦『妖怪画談全集 日本篇 上』が鳥山石燕の図版の下につけたキャプションを参考として後年に生じた創作だと指摘する。茶や煙草を好むという記述も、追い出すことができないという解説も、この後年の解釈に属する。
伝承・逸話
瀬戸内の球状のからかい: 平川林木が伝える岡山県の話では、瀬戸内海に人の頭ほどの大きさの球状のものが浮かぶ。人が捕まえようとすると沈み、手をすり抜ける。沈んだあと再び浮かび、捕まえようとするたびに沈むことと浮かぶことを繰り返して人をからかう、という筋である。佐脇嵩之『百怪図巻』(1737年)の図には解説文がなく、この筋を絵から読むことはできない。
さへの神坂の百鬼夜行: 菅江真澄は『菅江真澄遊覧記』中の『雪の出羽路』(1814年)に、ぬらりひょんの名称を百鬼夜行の一員として記す。同書は「さへの神坂」(さえのかみざか、道祖ノ神坂)を出羽国雄勝郡稲庭郷沢口村にあるとする。現在の秋田県湯沢市稲庭町にあたる。坂で誰が何を見たかという顛末は、名称の確認以上には復元できない。
夕刻の茶飲み訪問: 昭和・平成以後の妖怪図鑑が述べる話型では、家の者が忙しくしている夕方、ぬらりひょんがどこからともなく家に入る。茶や煙草を飲み、自分の家のようにふるまう。家人は姿を見ても「この人はこの家の主だ」と思い、追い出すことができない。存在に気づかない、とする解説もある。この筋が民間で語られていた実例は確認されておらず、藤沢衛彦『妖怪画談全集 日本篇 上』(1929年)が鳥山石燕の図版の下につけたキャプションを後年が参考とした創作である、と村上健司『妖怪事典』(2000年)および多田克己(京極夏彦編『妖怪図巻』、2000年)は指摘する。
訪問する怪物の親玉: 同じ藤沢のキャプションには「ぬらりひよんと訪問する怪物の親玉」という箇所がある。藤沢の文言に即せば、ぬらりひょんが他の怪物の親玉として訪問する、という筋である。後年これが「妖怪の総大将」へ拡大されたに過ぎない、と村上と多田はみる。総大将であるとする解説も、民間伝承の実例としては確認されていない。
起源と解釈
図像の由来:ぬらりひょんの絵巻図には解説文がなく、意図された性質は分からない。『俚言集覧』は「古法眼元信化物画」とのみ記し、佐脇嵩之『百怪図巻』(1737)と尾田郷澄『百鬼夜行絵巻』(1832)も図のみである。民間伝承に残る名称と絵巻図との前後関係は明らかでない。岡山県の球状の伝承は、カツオノエボシやタコクラゲなどの大型クラゲ、あるいはタコを妖怪視したとする見方があり、絵巻の老人像とは別物とされる。京極夏彦は本来の姿をタコの妖怪とする。
石燕図の読み:鳥山石燕『画図百鬼夜行』も解説を持たない。乗り物から降りることを「ぬらりん」と言ったことへの掛けと見る説と、遊里通いの放蕩者として描いたとする説がある。表記「ぬうりひょん」は先例から誤記とされる。
近代の解釈:家入りや「妖怪の総大将」は民間伝承の実例が確認されていない。起点は藤沢衛彦『妖怪画談全集 日本篇 上』(1929)が石燕図の下に付けた、茶を飲む訪問者および「ぬらりひよんと訪問する怪物の親玉」というキャプションである。村上健司『妖怪事典』(2000)と多田克己(京極夏彦編『妖怪図巻』、2000)は藤沢の解釈の拡大であり創作だと指摘する。志村有弘は伝承が人為的に歪曲されつつあると述べ、京極は現在その形で機能している以上は差し支えなく、生きた文化として変化してよいとする。
史料の変遷
画題の定着:年次の分かる図は佐脇嵩之『百怪図巻』(1737)に始まる。『嬉遊笑覧』は古法眼元信の「化物絵」にぬらりひょんの名を引く。鳥山石燕『画図百鬼夜行』(1776)は「ぬうりひょん」と記し、尾田郷澄『百鬼夜行絵巻』(1832、松井文庫所蔵)も画題に採る。
文章記録:浮世草子『好色敗毒散』は「その形ぬらりひょんとして」と形容詞的に用いる。菅江真澄『雪の出羽路』(1814)は『菅江真澄遊覧記』中の一編として、この名を書き留める。
解説の付加:藤沢衛彦『妖怪画談全集 日本篇 上』(1929)は石燕図の下にキャプションを付した。昭和・平成の児童向け妖怪図鑑は、家に入る怪、あるいは「妖怪の総大将」として解説することが多い。
研究とデータベース:村上健司『妖怪事典』(2000)と京極夏彦編『妖怪図巻』(2000)の多田克己解説は、それらの説明に民間伝承の実例がないと指摘する。国際日本文化研究センターの怪異画像データベース(2010)は、『画図百鬼夜行』を参考にしたと見られる絵双六の「ぬらりひよん」を収録する。
ゆかりの地
さへの神坂: 菅江真澄『雪の出羽路』(1814)は『菅江真澄遊覧記』中の一編で、「さへの神坂」(さえのかみざか、道祖ノ神坂)を出羽国雄勝郡稲庭郷沢口村にあると記す。現在の秋田県湯沢市稲庭町にあたる。同坂ではぬらりひょんの名称が百鬼夜行の一員として確認される。社寺・祭礼・碑の固有名は同書になく、訪ねられるのは坂の所在地である。
瀬戸内海: 岡山県では、ぬらりひょんの名称が民間伝承に確認される。平川林木が伝える舞台は瀬戸内海である。島・港・社寺の固有名は残らず、特定の岸や碑を所在地つきで訪ねることはできない。
出典: 〔4〕
現代の受容
児童向け図鑑:昭和・平成の妖怪文献と児童向け図鑑は、夕暮れに人家へ上がり込み茶や煙草を飲み、家人に主人と誤認される性質を記し、「妖怪の総大将」と書くことも多い。村上健司『妖怪事典』(2000)と多田克己『妖怪図巻』(2000)は、家入りも総大将も民間伝承の実例がなく、藤沢衛彦『妖怪画談全集 日本篇 上』(1929)が石燕図の下につけた「茶を飲む訪問者」「ぬらりひよんと訪問する怪物の親玉」から後年に広がった創作だと指摘する。
漫画・アニメ:昭和後期、藤沢のキャプションに基づく家入り説と総大将説は、水木しげるや佐藤有文の妖怪図鑑を通じて一人歩きした。テレビアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』第3作(1985年放送開始)では鬼太郎の宿敵として登場し、作中で「総大将」と自称する。原作漫画とアニメ第1作では一妖怪としての扱いだった。和歌山県出現譚は山田野理夫『おばけ文庫2 ぬらりひょん』の創作が原話とされる。国文学者・志村有弘は伝承が人為的に歪曲されつつあるとし、京極夏彦は現にその形で機能している以上、生きた文化として変化してよいとする。京極は同作テレビ第4作第101話の脚本で、本来の姿をタコの妖怪とした。
出典・参考文献References
- 『百怪図巻』 佐脇嵩之 1737ぬらりひょんの図。特徴的なはげ頭の老人が着物または袈裟を着る。解説文はない。
- 『画図百鬼夜行』 鳥山石燕 1776駕籠から下りる姿を「ぬうりひょん」として描く。解説文はなく、表記は先例から誤記とされる。
- 『好色敗毒散』「その形ぬらりひょんとして、たとえば鯰に目口もないようなもの、あれこそ嘘の精なれ」と、のっぺらぼうのような形容で用いる。
- 『雪の出羽路』 菅江真澄 1814『菅江真澄遊覧記』中の一編。出羽国雄勝郡稲庭郷沢口村のさへの神坂で、百鬼夜行の一員として名称が確認される。
- 『百鬼夜行絵巻』 尾田郷澄 1832松井文庫所蔵。ぬらりひょんの姿を描く。解説文はない。
- 『妖怪画談全集 日本篇 上』 藤沢衛彦(中央美術社) 1929石燕図の下に茶を飲む訪問者および「ぬらりひよんと訪問する怪物の親玉」と記し、後年の家入り説・総大将説の起点となった。
- 『妖怪図巻』 多田克己(国書刊行会) 2000京極夏彦編。語源を「ぬらり」=滑らか、「ひょん」=奇妙とし、家入り説・総大将説を藤沢の解釈の拡大と指摘する。
- 『妖怪事典』 村上健司(毎日新聞社) 2000家に上がり込む性質も総大将という位置づけも民間伝承の実例はなく、藤沢のキャプションに始まる創作だと指摘する。
ランキング順位Rankings
ゆかりの地Places
- 瀬戸内海(岡山県)岡山県の伝承で、海坊主に類する人頭大の球体が浮かび、捕まえると沈み浮いてからかうと伝える。
- さへの神坂(秋田県湯沢市)菅江真澄『雪の出羽路』が当時の稲庭郷沢口村(現・湯沢市稲庭町)の坂として記し、百鬼夜行の一員として名が見える。
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よくある質問FAQ
ぬらりひょんは本当に妖怪の総大将?
いいえ。総大将という設定は昭和の漫画で広まったもので、江戸期の絵にも岡山の伝承にもその要素はありません。
ぬらりひょんは妖怪の総大将か
総大将という説明は、藤沢衛彦が石燕の図に付けた「訪問する怪物の親玉」という一文を後年が拡大した俗説である。江戸期の絵にも岡山・秋田の伝承にもその要素はなく、民間の実例は確認されていない。
絵の老人と岡山の海の怪は同じか
岡山県では海坊主に類する人頭大の球体で、捕まえようとすると沈み浮かぶと伝える。絵巻のはげ頭の老人とは別物と考えられ、前後の関係も明らかでない。
家に上がり込んで茶を飲むのか
その説明は昭和以降の図鑑に多いが、民間でそう伝えられた資料は確認されていない。藤沢衛彦が石燕図の下に付けたキャプションを後年が絵から推測して作った解説だと、村上健司と多田克己は指摘する。
ぬらりひょんの名の由来は
京極夏彦と多田克己は、「ぬらり」を滑らかな様子、「ひょん」を奇妙で思いがけない様子とし、つかみどころのなさから名が付いたとする。岡山では、すり抜けてまた浮かぶ反復に由来するともいう。
『画図百鬼夜行』の「ぬうりひょん」は別物か
石燕は駕籠から下りる姿を「ぬうりひょん」と記した。文献や絵巻の先例から単純な誤記と考えられている。乗り物から降りることを「ぬらりん」と言ったことへの掛詞とする見方もある。
最終更新: · 編集: 百鬼編集室

