油すまし
熊本県球磨地方の山道に現れ、通行人に油をすますように無言で立ち去る妖怪。

- 分類
- 山の怪
- 分布
- 熊本県天草
- 出没
- 峠道
- 弱点・対処
- 話をすると現れる
- 主な初期記録
- 『天草島民俗誌』(1932)
解説Overview
油すまし(あぶらすまし)は、熊本県天草に伝わる妖怪である。初出は昭和初期、郷土史家・浜田隆一『天草島民俗誌』(1932)で、名は「油ずまし」と記される。天草郡栖本村字河内(現・天草市)と下浦村を結ぶ草隅越で、老婆が孫に「ここにゃ昔、油瓶さげたん出よらいたちゅぞ」と話すと、「今もー出るーぞー」と言って現れたという。
柳田國男『妖怪談義』「アブラスマシ」の項はこれを引き「名の怪物」と書くが、姿は記さない。京極夏彦は、原典が人型ではなく油瓶を下げたものが出たとのみ述べ、頭上から物が落ちる怪異と並ぶことから、油瓶が下がってくる現象の可能性を指摘した。蓑を羽織った地蔵のような図は水木しげるの創作画と映画に由来し、天草の伝承像ではない。有明町の調査は草隅越を草越峠と比定した。2004年には栖本町河内で「油すましどん」と呼ばれる首のない合掌石像が見つかっている。
名称と語源
油すまし(あぶらすまし)は、熊本県天草に伝わる呼称である。活字としての初出は、昭和初期の郷土史家・浜田隆一『天草島民俗誌』(1932年)で、そこでは「油ずまし」と記される。これより前の異名は、同書およびこれを引く記述には見えない。同書は池田彌三郎編『日本民俗誌大系』第2巻(1975年)に収録され、「油ずまし」表記の通行テキストとなっている。
柳田國男『妖怪談義』(1956年)は項名を「アブラスマシ」とし、浜田の記述を引いて「(油すましという)名の怪物」と記す。同項は「すまし」の由来を不明とする。後世の書籍には、すまし顔であることが名の由来だとする説明もある。浜田・柳田の採録名は、童子型や獣型といった姿の系統を示す異名ではない。
地元では浜田の「油ずまし」とは異なり「油すまし」と発音され、「油すましどん」の呼称も伝えられる。現地で油を絞ることを「油をすめる」と表したとされ、油絞りの職人が祀られて神となり、時を経て妖怪に変じたとの説がある。この語源を唱えた名は、浜田・柳田の本文には記されていない。
姿かたち
浜田隆一『天草島民俗誌』(1932年)は、油ずましについて「油瓶さげたん出よらいた」すなわち油瓶を下げたのが出た、とのみ記し、人の姿や衣裳には触れない。柳田國男『妖怪談義』(1956年)の「アブラスマシ」の項も同書を引いて「(油すましという)名の怪物」と書くだけで、外観は一切記述していない。
京極夏彦は『完全復刻 妖怪馬鹿』(原著2001年)で、この文言と、同項がツルベオトシ・ヤカンヅル・サガリといった頭上から物が落ちる怪異と並ぶことを根拠に、人の姿ではなく油瓶が頭上から下がる怪異である可能性を指摘した。2001年8月時点では確証には至っていないとする。
昭和以降の妖怪関連書が「蓑を羽織った姿」と解説するのは、水木しげるの妖怪画と漫画『ゲゲゲの鬼太郎』、大映映画『妖怪百物語』『妖怪大戦争』の油すましが後続に影響したためと見られている。この妖怪画は伝承とは無関係の創作で、天草の伝承像とは大きく異なる。雑誌『怪』vol.0018(2005年)の京極奨励賞評論は文楽の人形頭「蟹首」をモチーフと指摘し、京極も自著で支持する。
性質と弱点
油すましについて、浜田隆一『天草島民俗誌』(1932年)が記す性質は、峠を通りながらその話をすると現れるという点である。熊本県天草郡栖本村字河内(現・天草市)と下浦村(現・同)を結ぶ草隅越で、老婆が孫を連れて通りながら昔そこへ出たと話すと、「今もー出るーぞー」と言いながら油ずましが現れたという。人を傷つけた、恩を施したとする記述は、同書にはない。
同書は、天草郡一町田村益田(現・天草市)の「うそ峠」で、血のついた手が落ちてきたという話をすると「今もー」と声がして手が坂から転がり、逃げたあと生首の噂を口にすると「今ああ……も」と声がして生首が落ちてきた話と、下益城郡豊野村(現・宇城市)下郷小畑の「今にも坂」で大入道の話をしながら通ると「今にも」と声がして大入道が現れた話とを残す。熊本では、妖怪の噂話をするとその妖怪が現れるという話型が、油すましの周辺にも記録されている。
峠の現場で油すましの話をすることが、出現を招く禁忌として語られている。退け方や好物についての記述は、浜田の記録にも、それを引いた柳田國男『妖怪談義』(1956年)の「アブラスマシ」の項にも見えない。
伝承・逸話
草隅越の油ずまし: 浜田隆一『天草島民俗誌』(1932年)が油ずましの名で記す話は、熊本の天草郡栖本村字河内(現・天草市)と下浦村(現・同)とを結ぶ草隅越を舞台とする。老婆が孫を連れてこの峠道を通り、孫に向かって「ここにゃ昔、油瓶さげたん出よらいたちゅぞ」と語った。すると「今もー出るーぞー」と言いながら油ずましが現れたという。熊本県天草郡有明町(現・天草市)の調査では、この峠は有明町と天草郡栖本町(現・同)を繋ぐ草越峠だと判明している。
うそ峠の手: 油すましと同じく『天草島民俗誌』が伝える話に、天草郡一町田村益田(現・天草市)のうそ峠がある。通りかかった二人連れが「昔ここに、血のついた人間の手が落ちてきたそうだ」と口にしたところ、「今もー」と声がして、話のとおり血のついた手が坂から転がり落ちたという。
うそ峠の生首: 手が落ちた坂を二人は逃げ切った。そのあと「ここでは生首が落ちてきたそうだ」と話すと、ふたたび「今ああ……も」と声がして、生首が転がり落ちてきたと『天草島民俗誌』は続ける。
今にも坂の大入道: 熊本では、油すましを記した浜田隆一『天草島民俗誌』(1932年)の話と同様、噂を口にすると怪が現れる話がほかにも伝えられる。下益城郡豊野村(現・宇城市)下郷小畑の今にも坂では大入道が現れるといい、その話をしながら坂を通ると「今にも」と声がして大入道が現れたという。
起源と解釈
柳田國男は『妖怪談義』(1956年)の「アブラスマシ」の項で、浜田隆一『天草島民俗誌』(1932年)を引用し、「(油すましという)名の怪物」と記した。何者であるかは述べず、ツルベオトシ・ヤカンヅル・サガリと並べて紹介している。いずれも頭上から物が落ちてくる怪異であり、起源を定める記述はなく、依拠する語りはこの一件である。それより古い起源譚は引かれていない。研究史における位置づけは、この話型への帰属が先に立つ。
少数説として、妖怪研究家の京極夏彦は『完全復刻 妖怪馬鹿』(2008年、原著2001年2月)で、柳田が「名の怪物」と書いたのに対し、原典は「油瓶さげたん出よらいた」(油瓶を下げたのが出た)とのみ述べ、「油瓶をさげた怪物が出た」とは書いていない点を挙げた。これを『妖怪談義』の配列と合わせて読み、人の姿をした妖怪ではなく、釣瓶落としと同様に油瓶が頭上から下がってくる怪異である可能性を示した。調査は行ったが確証には至らず、2001年8月時点では仮説にとどまると記している。定説と呼べる起源説明は立っていない。
史料の変遷
油すましの活字としての記録は、昭和初期の郷土史家・浜田隆一『天草島民俗誌』(1932年)に始まる。同書が「油ずまし」の名で記した一話が初出とされ、それ以外の採録は少ない。1975年4月、池田彌三郎編『日本民俗誌大系』第2巻(角川書店)がこの本文を収録し、初出譚の通行テキストとなった。
柳田國男『妖怪談義』(1956年)は「アブラスマシ」の項を設け、新たな採話を加えず浜田の記述を引用した。講談社学術文庫版は1977年4月に刊行されている。
昭和以降の妖怪関連の書籍では、1932年の本文にはない解説がしばしば付される。研究の側では、そうした解説は天草の伝承像とは大きく異なるとされる。原典へ戻る動きとしては、京極夏彦ほか『完全復刻 妖怪馬鹿』(新潮社、2008年8月、原著2001年2月)が2001年8月時点までの再調査を記し、雑誌『怪』vol.0018(角川書店、2005年3月)にも図像資料をめぐる京極奨励賞の評論が載った。
ゆかりの地
草越峠:浜田隆一『天草島民俗誌』(1932年)に油ずましの伝承地として記される草隅越は、熊本の天草郡栖本村字河内(現・天草市)と下浦村(現・同)とを結ぶ峠道である。熊本県天草郡有明町(現・天草市)の調査では、この峠は有明町と天草郡栖本町(現・同)を繋ぐ草越峠だと判明している。
中の門・すべりみち:2004年、栖本村字河内にあたる栖本町河内地区で、「油すましどん」と呼ばれる石像の一部が発見された。栖本町中の門・すべりみちに安置されていたものが町道拡張工事で山中の私有地へ移され、首のない石像が両手を合せた姿をしている。土地の伝承者によれば、かつては子供がこのすべりみちで遊んでいると「油すましどんが出る」と言って恐れたという。
出典: 〔1〕
現代の受容
昭和以降の妖怪関連の書籍では、油すましが蓑を羽織った姿として解説されることが多い。漫画『ゲゲゲの鬼太郎』に登場する、蓑を羽織った地蔵のような油すましと、大映映画の妖怪シリーズ『妖怪百物語』『妖怪大戦争』の油すましが、その後の各種媒体に影響を与えたためと見られている。映画『さくや妖怪伝』に登場する妖怪「化け地蔵」も、大映映画の油すましへのオマージュとしてこのデザインを踏襲している。
これらのオリジナルは、妖怪漫画家・水木しげるの妖怪画である。伝承とは無関係に描かれた創作であり、本来の天草の伝承像とは大きく異なるものと考えられている。雑誌『怪』vol.0018(2005年)に載った京極奨励賞受賞の評論は、文楽の人形頭「蟹首」をこの妖怪画のモチーフと指摘しており、妖怪研究家・京極夏彦も自著でこの説を支持している。
児童向けの書籍では「頭が良い」「天才的」と解説されることがある。映画『妖怪大戦争』で油すましが参謀格として位置づけられていたことが由来と解釈されている。
出典: 〔5〕
出典・参考文献References
- 『天草島民俗誌』 浜田隆一 1932油ずましの名で初出。栖本村河内と下浦村を結ぶ草隅越で、老婆が孫に油瓶を下げたものが昔出たと話すと「今もー出るーぞー」と現れた話を記す。
- 『日本民俗誌大系』 池田彌三郎(角川書店) 1975第2巻に浜田隆一『天草島民俗誌』(1932)を収録する。油ずましの初出譚の通行テキスト。
- 『妖怪談義』 柳田國男(講談社) 1956「アブラスマシ」の項。『天草島民俗誌』を引き「(油すましという)名の怪物」と記すが外観は書かない。ツルベオトシ・ヤカンヅル・サガリと並べ、「すまし」の由来は不明とする。
- 『完全復刻 妖怪馬鹿』 京極夏彦他(新潮社) 2008原著2001年。原典の「油瓶さげたん出よらいた」は人型ではなく、油瓶が頭上から下がる怪異の可能性を指摘し、2001年8月時点で確証には至っていないとする。
- 『怪 vol.0018』(角川書店) 2005京極奨励賞の評論が、水木しげるの油すまし画のモチーフを文楽の人形頭「蟹首」と指摘する。京極夏彦も自著でこの説を支持する。
ランキング順位Rankings
ゆかりの地Places
- 草越峠(熊本県天草市)有明町の調査で、初出譚の草隅越と比定された、有明と栖本を結ぶ峠。
- 栖本・河内(熊本県天草市)初出譚の起点。2004年に油すましどんと呼ばれる石像の一部が見つかった。
- 下浦(熊本県天草市)初出譚で栖本村河内と峠道で結ばれるもう一端。
- 中の門・すべりみち(熊本県天草市)油すましどんの石像が安置されていた場所。子どもが遊ぶと出ると恐れられた。
特集Collections
カードCards
画風ちがいのカード。保存してシェアできる。
よくある質問FAQ
油すましは人を襲いますか?
いいえ、伝承では人に害をなすことはほとんどないとされています。
油すましの正体は何ですか?
正体は不明ですが、油をすます行為や油坊主との関連が指摘されることがあります。
油すましはどこで見られますか?
熊本県球磨地方の山道で、夕暮れ時や夜に現れるとされています。
油すましの姿はどんなものですか
初出の『天草島民俗誌』は「油瓶さげたん出よらいた」とのみ記し、人の姿とは書いていない。『妖怪談義』も外観を記さない。蓑を羽織った地蔵のような姿は水木しげるの妖怪画と映画に由来し、天草の伝承とは別の創作である。
油すましはどこに伝わりますか
熊本県天草である。初出譚の場所は栖本村河内と下浦村を結ぶ草隅越で、のち有明町の調査により有明と栖本を結ぶ草越峠と比定された。球磨地方の伝承とする記述は、この初出資料にはない。
「すまし」の名の由来は何ですか
『妖怪談義』は由来を不明とする。後世の書籍にはすまし顔とする説がある。地元では油絞りを「油をすめる」と言い、油絞りの職人が神から妖怪に変じたとの説もある。児童書の「頭が良い」は映画『妖怪大戦争』で参謀格とされたことに由来する。
最終更新: · 編集: 百鬼編集室

