玉藻前
玉藻前は、鳥羽院の寵愛を受けた白面金毛九尾の狐が、陰陽師に見破られ那須野で討たれたとされる伝説上の女性。

- 分類
- 変化(へんげ)・妖狐
- 分布
- 京都、下野国那須(現在の栃木県那須町)など
- 姿
- 絶世の美女、または白面金毛九尾の狐
解説Overview
玉藻前(たまものまえ)は、平安時代末期の鳥羽院に仕えた女性とされ、その正体は白面金毛九尾の狐であったとする伝説で知られる。名前は「玉藻」の前(女官の敬称)に由来する。
由来は複数の説があり、『神明鏡』や『玉藻草紙』などの近世期の軍記・仮名草子類、また能や浄瑠璃の題材として流布した。九尾の狐がインドで華陽夫人、中国で妲己として王朝を傾け、日本へ渡来して再び帝の寵愛を受けたという三国伝来の筋立てが典型である。
物語では、鳥羽院の寵愛を得た玉藻前が病を起こしたとされ、陰陽師の安倍泰成(安倍晴明の子孫とされる)がその正体を見破った。狐は那須野へ逃れ、下野国那須の三浦介義明と千葉介常胤の軍勢に追われ、上総介広常の弓で射られて殺されたとされる。死後、その遺骸は石となり、那須の殺生石(せっしょうせき)となったという。殺生石をめぐる伝承は能『殺生石』や謡曲にも見え、狐の怨念が石に宿ったとする。
地域差としては、玉藻前の名は京都や那須地方に伝承が残り、殺生石は現在の栃木県那須郡那須町に所在する国の名勝及び天然記念物である。また、狐の正体を「九尾の狐」とする点は各地の狐伝承と共通するが、玉藻前の場合は特に王朝の政治と結びつけられている点が特徴である。
姿は、絶世の美女として描かれることが多く、江戸期の浮世絵や絵巻では十二単をまとった宮中の女性として表される。狐の本性は、九本の尾を持つ白い狐として描かれることが一般的だが、直接的に狐の姿が描写される例は限られる。
時代による変化として、中世には主に説話や軍記のなかで語られていたが、江戸期には読本や歌舞伎、浄瑠璃などで脚色され、玉藻前は「悪女」「妖狐」の代表的存在となった。近代以降も小説や漫画、ゲームなどに登場し、その名は広く知られている。
現代では、栃木県那須町の殺生石や、京都の玉藻前ゆかりの地として伝わる場所が観光や地域史の文脈で紹介されることがある。また、伝承上の人物として、狐の妖怪・変化譚の代表例に位置づけられることが多い。
伝承・史料Lore
安倍泰成の見破り: 鳥羽院の病の原因を占った安倍泰成が、玉藻前の正体を九尾の狐と見破ったとされる。泰成は安倍晴明の子孫と伝えられる。
殺生石: 那須野で討たれた狐の遺骸が石となり、その石から毒気が放たれて近づく者を殺したという。能『殺生石』や謡曲にも取材されている。
三国伝来: インドの華陽夫人、中国の妲己、日本の玉藻前は同一の狐であるとする説話。近世の軍記や読本で広く流布した。
出典・参考文献References
- 『神明鏡』 — 玉藻前の説話を含むとされる近世の軍記・史書。成立年代は諸説あり。
- 『那須町公式ウェブサイト(殺生石の紹介)』(那須町) — 殺生石が国の名勝及び天然記念物であること、伝承の概要。
- 『日本妖怪大事典』 村上健司(角川書店) 2005 — 「玉藻前」の項
- 『怪異・妖怪伝承データベース』 国際日本文化研究センター — 該当項目の各地事例(2026-09-19)
特集Collections
よくある質問FAQ
玉藻前とは何ですか?
平安時代末期の鳥羽院に仕えたとされる女性で、その正体は九尾の狐であったとする伝説で知られています。
玉藻前はどこで討たれましたか?
下野国那須野(現在の栃木県那須町)で討たれたとされ、その遺骸が殺生石になったという伝承があります。
玉藻前と妲己の関係は?
同一の九尾の狐がインド・中国・日本を渡り歩いたとする三国伝来の説話があり、中国では妲己として知られています。
最終更新: · 編集: 百鬼編集室