玉藻前

たまものまえtamamo-no-mae

玉藻前は、鳥羽院の寵愛を受けた白面金毛九尾の狐が、陰陽師に見破られ那須野で討たれたとされる伝説上の女性。

イメージ画(当サイト制作)
分類
狐狸
分布
下野国那須野
出没
宮中・那須野原
弱点・対処
真言と騎射
主な初期記録
『神明鏡』(14世紀後半)

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解説Overview

玉藻前(たまものまえ)は、平安時代末期に鳥羽上皇の寵姫であったとされる伝説上の人物である。妖狐の化身とされ、正体を見破られたのち下野国那須野原で討たれ、殺生石になったという。

呼び名は、宮中に仕えたのち玉藻前とされ、それ以前は藻女(みくずめ)と呼ばれたとする。姿は美貌と博識の女官として語られ、正体は九尾の狐(『玉藻の草子』では二尾の狐)である。性質は上皇を病に伏せさせ、那須野では婦女子をさらうと記される。見破ったのは陰陽師・安倍泰成で、討伐は三浦介義明・千葉介常胤・上総介広常らによる。伝説は室町時代前期以前に成立したとみられ、『神明鏡』(14世紀後半)、御伽草子『玉藻の草子』、能『殺生石』、『下学集』(1444年)に見える。九尾の狐としての三国伝来の筋は、江戸時代の『絵本三国妖婦伝』(1803年から1805年)や『絵本玉藻譚』(1805年)で本格化した。

名称と語源

玉藻前(たまものまえ)は、平安時代末期に鳥羽上皇の寵姫であったとされる伝説上の人物の呼び名である。この名は十四世紀後半の史書『神明鏡』に見え、文安元年(1444年)の辞書『下学集』にも説話が載る。

高井蘭山の読本『絵本三国妖婦伝』(享和三年から文化二年、1803年–1805年)は、最初の名を藻女(みくずめ)とする。十八歳で宮中に仕え、のちに鳥羽上皇の女官となって玉藻前と呼ばれる、と記し、改称を宮仕えの段階に置く。同書は来日の際の名を若藻ともする。

室町時代の御伽草子は『玉藻の草子』とも『玉藻の草紙』とも記され、別名に『玉藻前』『玉藻前物語』がある。川島朋子は『国語国文』七十三巻八号(2004年)で室町物語の本文展開を論じ、書名を『玉藻前』と掲げる。能は題を『殺生石』とし、玉藻前の名を題に用いない。

室町期の本文では、斑足王の夫人や周の幽王の后・褒姒が前歴の名としてすでに挙げられる。『玉藻の草子』の古い系統では二尾の狐として記され、九尾とは呼ばない。蘭山の読本と岡田玉山『絵本玉藻譚』(文化二年、1805年)に至って殷の妲己が関連付けられ、九尾の狐の化身とする呼び方が本格的に語られる。

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姿かたち

玉藻前の貌は、宮中の女官としての人と、正体を現した狐と、死後に化する石の三態で記される。室町時代の御伽草子『玉藻の草子』(別名『玉藻前』『玉藻前物語』)では、正体を現したのち二尾の狐として描かれる。同書の古い系統には殺生石の説話がなく、石の貌は後に付加されたものと考えられる。

人の貌は、享和3年から文化2年(1803–1805)の高井蘭山『絵本三国妖婦伝』に詳しい。最初は藻女と呼ばれ、子に恵まれない夫婦の手で育てられて美しく成長し、十八歳で宮中に仕え、美貌と博識によって鳥羽上皇の寵を得たとする。狐の貌は同書で九尾とされ、殷の妲己も齢千年を経た九尾の狐の化身として関連付けられる。文化2年(1805)の岡田玉山『絵本玉藻譚』も唐土・天竺の条を本格的に語り、同じく九尾とする。

後世に流布した九尾の貌は、室町の草子にいう二尾ではなく、江戸の読本で妲己と結び付けられた段階で定まった。のち巨大な毒石に変化し、近づく人や獣の命を奪う殺生石となったと伝え、能『殺生石』はこの石の貌を題材とする。

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性質と弱点

玉藻前の害は、女官として鳥羽上皇の寵を得、上皇を病に伏せさせることにある。朝廷の医師には原因が分からず、陰陽師・安倍泰成がこれを玉藻前の仕業と見抜いたと、享和三年から文化二年(1803-1805)の高井蘭山『絵本三国妖婦伝』は記す。同書は美貌と博識をもって側に近づくことを化身の働きとし、好む飲食物の定めは日本の条には見えない。

宮中を出たのち、下野国那須野(現在の栃木県那須郡周辺)では婦女子をさらうと伝える。討伐の軍が攻め寄せても妖術で多くの兵を失わせ、息絶えたのちは毒石に変わり、近づく人や獣の命を奪った。村人はこれを殺生石と名づけ、鎮魂に来た高僧まで毒気に倒れたという。石に残る害は能『殺生石』でも後日譚として扱われ、近づくこと自体が禁忌である。

『絵本三国妖婦伝』によれば、対処は真言と騎射である。安倍が真言を唱えると化けが解け、宮中を脱走した。那須野では三浦介義明と上総介広常らが、犬の尾を狐に見立てた犬追物で騎射を練り直し、矢と長刀で仕留めたとされる。領主・須藤権守貞信の夢に許しを乞うたが、弱りと見て攻め切った。人との関わりは害に偏り、恩を施す話はこの筋には見えない。

殷の妲己としては太公望の照魔鏡と宝剣に、天竺摩竭陀国の華陽夫人としては耆婆が金鳳山で得た薬王樹の杖に、正体を暴かれるとも同書は記す。

出典: 〔4〕〔5〕

伝承・逸話

那須野の討伐: 高井蘭山の読本『絵本三国妖婦伝』(1803年から1805年)によれば、宮中を脱した玉藻前は那須野(現在の栃木県那須郡周辺)で婦女子をさらい、その報が朝廷に届いた。鳥羽上皇は那須野領主・須藤権守貞信の要請に応じ、三浦介義明・千葉介常胤・上総介広常を将軍、陰陽師・安倍泰成を軍師として軍を送った。初戦は狐の術で多くの兵を失い敗れ、将兵は犬の尾を狐に見立てた犬追物で騎射を練り直した。九尾の狐は貞信の夢に娘の姿で現れ許しを乞うたが、貞信は弱りと読み攻勢に出た。三浦介の二矢が脇腹と首筋を貫き、上総介の長刀が斬りつけて息絶えたという。

殺生石: 同書は、息絶えたのち巨大な毒石に化し、近づく人や獣の命を奪ったと記す。村人はこれを殺生石と名付け、鳥羽上皇の死後も周辺を恐れさせた。鎮魂に来た高僧も毒気に倒れたが、南北朝時代、会津の元現寺を開いた玄翁和尚が石を破壊し、破片は各地へ飛散したとされる。能『殺生石』はこの石の後日譚を題材とする。

殷の妲己: 『絵本三国妖婦伝』と岡田玉山の読本『絵本玉藻譚』(1805年)は、玉藻前の経歴を殷に遡らせる。紂王の后・妲己の正体は千年を経た九尾の狐で、妾の寿羊を食い殺してその身を奪い、酒池肉林と炮烙の刑で王を惑わした。周の武王に捕らえられ処刑される際、妲己の術で処刑人は首を切れず、太公望が照魔鏡をかざすと九尾の狐の姿を現して逃げようとした。太公望が宝剣を投げると、体は三つに飛散したと伝える。

天竺の華陽夫人: 同二書は、飛散ののち天竺・摩竭陀国の斑足太子の妃・華陽夫人として再び現れたとする。夫人は王子に千人の首をはねるようそそのかした。耆婆が魔界の妖怪と見破り、金鳳山中で得た薬王樹の杖で打つと九尾の狐の正体を現し、北の空へ飛び去ったという。

周の褒姒と来日: 周の第十二代・幽王の后・褒姒も同一の九尾の狐とされる。褒姒が笑わぬため、幽王は事もなきに烽火を上げ、諸侯が集まる珍事に初めて笑った。以後烽火は空しくなり、后の座を追われた申后の一族が周を攻めたとき諸侯は来ず、王は殺され、褒姒は捕虜となったがいつの間にか行方知れずとなった。のち十六歳ほどの少女・若藻に化け、吉備真備の遣唐使船に同乗して来日したと、『絵本三国妖婦伝』は記す。

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起源と解釈

通説: 玉藻前の伝説の成立期は室町時代前期以前であると考えられている。十四世紀後半の史書『神明鏡』に説話が見え、室町時代の御伽草子『玉藻の草子』、能『殺生石』、文安元年(1444年)の辞書『下学集』にも見える。

『玉藻の草子』の諸本のうち古い系統には殺生石説話がなく、後に付加されたものと考えられる。斑足王の夫人および周の幽王の后の褒姒を前歴に挙げる記述はこの頃すでに見える。唐土・天竺の条を本格的に語り、殷の妲己を関連付けて玉藻前を九尾の狐の化身とするのは、高井蘭山の読本『絵本三国妖婦伝』(1803年から1805年)および岡田玉山の読本『絵本玉藻譚』(1805年)による。

少数説: 史実の人物をモデルとする説もある。鳥羽上皇に寵愛された皇后美福門院(藤原得子)が玉藻前のモデルであるともいわれるが、美福門院が実際にどの程度まで皇位継承に関与していたかについては諸説がある。

研究史: 田川くに子は1975年の論考「玉藻伝説と『武王伐紂平話』」(『文藝論叢』第11号)で、玉藻前伝説と元の講史『武王伐紂平話』との関係を論じた。川島朋子は2004年の「室町物語『玉藻前』の展開」(『国語国文』73巻8号)で、室町物語『玉藻前』の本文展開を論じた。

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史料の変遷

現存する早い記録は十四世紀後半の史書『神明鏡』と、文安元年(1444年)の『下学集』である。室町時代の御伽草子『玉藻の草子』の古い系統には殺生石説話がなく、のちに付加されたと考えられる。能『殺生石』は石の後日譚を題材とする。この頃すでに前歴として斑足王の夫人と周の幽王の后・褒姒が挙げられている。

唐土・天竺の条が本格的に語られ、殷の妲己が関連付けられて九尾の狐の化身とされるのは、享和三年から文化二年(1803年から1805年)の高井蘭山『絵本三国妖婦伝』と文化二年の岡田玉山『絵本玉藻譚』によってである。それより前、寛延四年(1751年)の浪岡橘平ら『玉藻前曦袂』が人形浄瑠璃として上演されている。

文化文政期には物語が流行し、文化三年(1806年)の近松梅枝軒・佐川藤太『絵本増補玉藻前曦袂』をはじめ多くの作品が作られた。現行の文楽・歌舞伎で上演されるのはこの増補改作で、三段目「道春館」だけが通例である。1975年、田川くに子は元の講史『武王伐紂平話』との関係を論じ、2004年、川島朋子は室町物語『玉藻前』の本文展開を整理した。国立国会図書館デジタルコレクションには『絵本三国妖婦伝』が収められている。

出典: 〔1〕〔2〕〔3〕〔4〕〔5〕〔6〕〔7〕〔8〕

ゆかりの地

那須野:下野国那須野原(現在の栃木県那須郡周辺)は、高井蘭山の読本『絵本三国妖婦伝』(1803年から1805年)が殺生石の所在を記した伝承地である。周辺には玉藻前(殺生石)を祀る社があり、栃木県大田原市に玉藻稲荷神社、那須町の那須温泉神社境内に九尾稲荷神社、那須烏山市に解石神社、那須塩原市に椿稲荷神社がある。

会津・各地の社:同書は、南北朝時代に会津の元現寺を開いた玄翁和尚が殺生石を破壊したと記す。同寺は会津に所在する。那須野の外でも玉藻前(殺生石)を祀る社があり、福島県白河市の常在院内に法石稲荷社、大沼郡の伊佐須美神社境内に殺生石稲荷神社、岡山県真庭市の化生寺鎮守社に玉雲宮(玉雲大権現)、宮崎県宮崎市に内山神社がある。

出典: 〔5〕

現代の受容

研究:近現代の研究は、玉藻前を本文の展開と大陸の講史との対応から扱う。田川くに子「玉藻伝説と『武王伐紂平話』」(『文藝論叢』第11号、1975年)は元の講史との関係を論じ、川島朋子「室町物語『玉藻前』の展開」(『国語国文』73巻8号、2004年8月)は室町物語の本文展開を跡づけた。

再話と上演:岡本綺堂の小説『玉藻の前』は青空文庫に収められ、1999年6月、原書房『岡本綺堂伝奇小説集』其ノ一に再録された。楠山正雄の『殺生石』も青空文庫にある。須永朝彦訳『飛騨匠物語・絵本玉藻譚』(国書刊行会〈現代語訳・江戸の伝奇小説〉3、2002年11月)は岡田玉山の読本を現代語に移した。現行の文楽・歌舞伎は文化3年(1806年)の『絵本増補玉藻前曦袂』を『玉藻前曦袂』として上演し、三段目「道春館」だけを出すのが普通である。

像:後世に流通する九尾の化身という像は、高井蘭山の読本『絵本三国妖婦伝』(1803年から1805年)が殷の妲己と結びつけて本格的に語ったことに拠る。室町時代の御伽草子『玉藻の草子』では二尾の狐として描かれており、キャラクターとして定着した貌と草子の記録とは一致しない。

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出典・参考文献References

  1. 『神明鏡』
    14世紀後半の史書。玉藻前の説話を含む、現存する早い記録の一つ。
  2. 『玉藻の草子』
    室町時代の御伽草子(別名『玉藻前』『玉藻前物語』『玉藻の草紙』)。古い系統には殺生石説話がなく、玉藻前を二尾の狐として描く。
  3. 『下学集』 1444
    文安元年(1444年)の辞書。玉藻前の説話が見える。
  4. 『殺生石』
    能。殺生石にまつわる玉藻前の後日譚を題材とする。
  5. 『絵本三国妖婦伝』 高井蘭山 1803
    享和3年から文化2年(1803–1805)の読本。殷の妲己を関連付け、玉藻前を九尾の狐の化身とする三国伝来の筋を本格的に語る。
  6. 『絵本玉藻譚』 岡田玉山 1805
    文化2年の読本。唐土・天竺の条を本格的に語り、玉藻前を九尾の狐とする。
  7. 『玉藻伝説と『武王伐紂平話』』 田川くに子 1975
    『文藝論叢』第11号。玉藻前伝説と元の講史『武王伐紂平話』との関係を論じる。
  8. 『室町物語『玉藻前』の展開』 川島朋子 2004
    『国語国文』73巻8号。室町物語『玉藻前』の本文展開を論じる。

ランキング順位Rankings

ゆかりの地Places

  • 那須野(栃木県)討伐の地。現在の栃木県那須郡周辺。狐の遺骸が殺生石になったとされる。
  • 玉藻稲荷神社(栃木県大田原市)玉藻前(殺生石)を祀る神社。
  • 九尾稲荷神社(栃木県那須町)那須温泉神社の境内にあり、玉藻前を祀る。
  • 解石神社(栃木県那須烏山市)玉藻前(殺生石)を祀る神社。
  • 元現寺(会津)南北朝時代に殺生石を破壊したとされる玄翁和尚が開いた寺。
  • 玉雲宮(岡山県真庭市)化生寺の鎮守社。玉雲大権現として玉藻前を祀る。

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よくある質問FAQ

玉藻前とは何ですか?

平安時代末期の鳥羽院に仕えたとされる女性で、その正体は九尾の狐であったとする伝説で知られています。

玉藻前はどこで討たれましたか?

下野国那須野(現在の栃木県那須町)で討たれたとされ、その遺骸が殺生石になったという伝承があります。

玉藻前と妲己の関係は?

同一の九尾の狐がインド・中国・日本を渡り歩いたとする三国伝来の説話があり、中国では妲己として知られています。

殺生石とは何ですか?

那須野で討たれた九尾の狐が変化した巨大な毒石で、近づく人や動物の命を奪うとされた。南北朝時代、会津の元現寺を開いた玄翁和尚がこれを破壊し、破片は各地へ飛散したという。

玉藻前の正体ははじめから九尾だったのですか?

『玉藻の草子』では二尾の狐として描かれる。九尾の狐の化身とされたのは、江戸時代の『絵本三国妖婦伝』や『絵本玉藻譚』によってである。

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