天井嘗
天井嘗は、夜に天井を舐めるように舐め回す妖怪で、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』に描かれた。

- 分類
- 家の怪
- 分布
- 口承なし
- 出没
- 天井
- 弱点・対処
- 記録なし
- 主な初期記録
- 『百器徒然袋』(1784)
解説Overview
天井嘗(てんじょうなめ)は、鳥山石燕の妖怪画集『百器徒然袋』に描かれた妖怪で、長い舌で天井をなめる姿に描かれる。石燕の解説は『徒然草』第五十五段の「天井の高きは冬寒く燈暗し」を引き、その寒さと暗さを天井嘗が起こしているとする。
図様は室町時代の『百鬼夜行絵巻』に見える、顔を仰向けて舌を出した妖怪をモデルとしたと考えられている。同じ図様は江戸時代の『百鬼夜行絵巻』(松井文庫所蔵)などに「いそがし」の名でも描かれる。口承の分布は特定されず、村上健司は天井にまつわる怪談をもとに石燕が創作したと述べる。
昭和・平成の解説では、ほこりの集った天井をなめてしみを残し、柱や壁もなめるとされる。しみが化け物や人の顔に見え、見上げた者が発狂して死んだとする記述もある。藤澤衛彦は古屋敷・古堂の天井のしみをこの怪物のなめ跡とし、山田野理夫は館林藩の武士が天井嘗を捕えて館林城の天井をなめさせた話を記す。いずれも石燕の画集以後の解説とされる。
名称と語源
天井嘗(てんじょうなめ)は、鳥山石燕の妖怪画集『百器徒然袋』に「天井嘗」の名で図と解説を置かれた呼び名である。名は「天井」と「嘗(な)める」を重ねたもので、長い舌で天井をなめる姿に即して立てられている。『百器徒然袋』は『徒然草』の文を多く題材としており、石燕の解説は兼好法師『徒然草』第五十五段の「天井の高きは冬寒く燈暗し」を引く。その寒さと灯の暗さを天井嘗が発生させているとし、『徒然草』本文に妖怪の記述はない。
妖怪研究家の村上健司は、天井にまつわる怪談が多いことを踏まえ、石燕がその伝承をもとに天井嘗を創作したと述べている。土地ごとの異名は伝わらず、口承の別称も残されていない。
図様の系統は、室町時代の『百鬼夜行絵巻』に描かれた、顔を仰向けて舌を出した妖怪に拠るとされる。同じ図様は江戸時代の絵巻では松井文庫所蔵『百鬼夜行絵巻』などに「いそがし」の名でも描かれている。石燕の「天井嘗」はこの絵画上の系統に与えた名とされ、いそがしは土地の口承名ではなく絵巻上の別称である。
姿かたち
鳥山石燕の『百器徒然袋』では、天井嘗は長い舌で天井をなめる姿で描かれている。画集中の他の妖怪と同様、その図様は室町時代の『百鬼夜行絵巻』に見える、顔を仰向けて舌を出した妖怪をモデルとして描かれたものとされる。
同じ図様の妖怪は、江戸時代の絵巻物では松井文庫所蔵の『百鬼夜行絵巻』などに「いそがし」の名でも描かれている。
昭和・平成の妖怪関連の書籍では、長い舌をつかってほこりの集った天井をなめる妖怪として解説され、天井の板などに発生するしみをそのなめ跡とする。しみはときに化け物や恐ろしい表情の人間の顔に見えると記されることもある。民俗学者の藤澤衛彦は「古屋敷・古堂の天井にしみあるは此怪物の甞めし跡」と記し、天井以外に柱や壁をなめるとする記述もある。水木しげる『図説 日本妖怪大全』は「天井嘗」を項として収めており、長い舌と天井のしみを結びつける定型像はこの時期の図鑑で示された。
性質と弱点
鳥山石燕は『百器徒然袋』の解説において、『徒然草』第五十五段の「天井の高きは冬寒く燈暗し」を引き、冬の寒さと燈の暗さを天井嘗が発生させているとした。兼好法師の同段は妖怪を述べておらず、石燕がこの文を天井嘗の働きの説明に用いた。
昭和・平成の妖怪関連の書籍では、ほこりの集った天井を長い舌でなめ、天井の板などに生じるしみをなめ跡とする。天井以外に柱や壁もなめるとし、しみが化け物や恐ろしい表情の人間の顔に見えるため、寝床から見上げた者が恐怖に駆られ、発狂して死んだ者もいたと述べることがある。民俗学者の藤澤衛彦は著書で「古屋敷・古堂の天井にしみあるは此怪物の甞めし跡」と紹介した。
山田野理夫の解説には、館林藩(現・群馬県館林市)の武士が天井嘗を捕らえ、館林城の天井のクモの巣や汚れをなめ取らせて大掃除をさせた話がある。この話は昭和・平成以降の書籍に見えるが、捕えて使役する方法を『百器徒然袋』が示したわけではない。弱点、払い方、禁忌についての記録は同書の解説にない。
伝承・逸話
天井のしみ: 昭和・平成の妖怪関連の書籍では、天井嘗は長い舌をつかってほこりの集った天井をなめ、天井の板などに生じるしみをそのなめ跡とする。水木しげる『図説 日本妖怪大全』はこの時期の図鑑として「天井嘗」を項に収めており、しみをなめ跡と見る話型は、そうした後世の解説に見える。
柱・壁なめ: 昭和・平成の解説では、天井に限らず柱や壁もなめるとされる。天井板のしみだけでなく、柱や壁に残る汚れまで、天井嘗がなめた跡へ帰す話型である。
しみの顔: 天井嘗によってつけられたしみは、ときに化け物や恐ろしい表情の人間の顔に見える、と昭和・平成の書籍は述べることがある。寝床でそれを見上げた者は恐怖に駆られ、ついには発狂して死んだ者もいたとする点まで含み、しみを見た結果として発狂と死に至る筋を備える。
古屋敷・古堂の甞め跡: 民俗学者・藤澤衛彦は著書のなかで、「古屋敷・古堂の天井にしみあるは此怪物の甞(な)めし跡」と紹介した。しみの由来を怪物の嘗めに帰す点は前掲と重なるが、舞台を古屋敷と古堂に置いている。この紹介も昭和・平成以降の書籍に引かれる。
館林城の大掃除: 山田野理夫の解説には、館林藩(現・群馬県館林市)の武士が天井嘗を捕まえ、館林城の天井のクモの巣や汚れをなめとらせて大掃除をさせたという話が記されている。捕えて使役し、城の天井を清掃させる点で、しみや恐怖談とは筋が異なる。この解説も昭和・平成以降の書籍に見えるが、天井嘗は鳥山石燕の『百器徒然袋』における創作物と考えられており、館林城の話は少なくとも同書刊行後に発生したものであろうと指摘されている。
起源と解釈
定説: 天井嘗の起源について、研究上の定説は、鳥山石燕が妖怪画集『百器徒然袋』に図と解説を置いて立てた創作物であるとする。妖怪研究家の村上健司は、天井にまつわる怪談が多いことを踏まえ、石燕がそのような伝承をもとに天井嘗を創作したと述べている。
『百器徒然袋』は兼好法師『徒然草』の文を多く題材とした画集であり、天井嘗もその構想に連なる。石燕は第五十五段を解説文中に引用してこの妖怪を立てており、起源は民間の類型を採録した結果ではなく、古典を題材とした付会にあるとされる。
図様の淵源: 同じ絵画に拠る妖怪は、江戸時代の松井文庫所蔵『百鬼夜行絵巻』などで「いそがし」の名でも描かれている。室町時代の『百鬼夜行絵巻』を祖とする図様に、天井嘗という名義と解釈を与えたのは石燕の『百器徒然袋』である。
後世の解釈: 民俗学者・藤澤衛彦は著書でこの妖怪にふれ、山田野理夫も解説を残している。昭和・平成の妖怪関連の書籍はこれらを承けて伝承的に記すが、実際には石燕の創作物と考えられている。山田野理夫が記した館林藩の話についても、少なくとも『百器徒然袋』の刊行後に発生したものであろうと指摘されている。
史料の変遷
図の先行:室町時代の『百鬼夜行絵巻』には、天井嘗の名を持たない同種の妖怪が描かれている。名の記録はこの段階に無く、図のみが残る。
江戸の異称:江戸時代の妖怪絵巻では、松井文庫所蔵の『百鬼夜行絵巻』などに同じ妖怪が「いそがし」の名で描かれている。鳥山石燕が『百器徒然袋』に「天井嘗」と記す以前、図は別称で残されていた。
板本の初出:石燕の『百器徒然袋』に「天井嘗」の図と解説が置かれ、名を伴う印刷記録の初出となる。解説は兼好法師『徒然草』第五十五段を引く。
近代の書籍:民俗学者・藤澤衛彦は著書のなかで、古屋敷・古堂の天井のしみをこの怪物のなめ跡として紹介した。昭和・平成の妖怪関連書籍は項を立て、水木しげる『図説 日本妖怪大全』も「天井嘗」を収める。
後発の話:山田野理夫の解説には、館林藩(現・群馬県館林市)の館林城をめぐる話が記される。館林城の話は、少なくとも『百器徒然袋』刊行後に発生したものであろうと指摘されている。
ゆかりの地
館林城:山田野理夫の解説に、館林藩(現・群馬県館林市)の武士が天井嘗を捕まえ、館林城の天井のクモの巣や汚れをなめとらせ大掃除をさせたという話が記されている。鳥山石燕『百器徒然袋』より後の解説が、現在の群馬県館林市に所在する館林城を舞台とする。話の対象は城の天井の清掃であって、祠や祭礼の記述は伴わない。
時期:この話は昭和・平成以降の妖怪関連の書籍に記されており、少なくとも『百器徒然袋』の刊行後に発生したものであろうと指摘されている。社寺や碑として訪ねうる別の地点は示されていない。
出典: 〔1〕
現代の受容
図鑑と観光:水木しげる『図説 日本妖怪大全』(1994年)は「天井嘗」を項として収める。村上健司『妖怪事典』(2000年)も現代の事典項目として扱う。境港市観光協会は「水木しげるロードの妖怪たち」として関連ページを掲げる。漫画・アニメ・遊戯・広告の固有の作品名と年は、依拠できる材料には示されていない。
像:昭和・平成の妖怪関連の書籍が項を立てて流通させたのは、図鑑の一項目として名を固定したキャラクターの像である。水木しげる『図説 日本妖怪大全』(1994年)が読者に渡すのもこの層に属する。村上健司『妖怪事典』(2000年)が研究上の項とする位置づけは、土地の口承に根ざした民俗学上の定型像ではない。作品名と年を添えて文学・漫画・遊戯での役柄を記す記録は、これらの出典にない。
出典・参考文献References
- 『百器徒然袋』 鳥山石燕 1784「天井嘗」の図と解説。長い舌で天井をなめる姿を描き、『徒然草』第五十五段を引いて寒さと灯の暗さの因とする。
- 『徒然草』 兼好法師第五十五段に「天井の高きは冬寒く燈暗し」とあり、石燕が天井嘗の解説に引用する。妖怪そのものの記述はない。
- 『百鬼夜行絵巻』室町時代の絵巻。顔を仰向けて舌を出した妖怪が、石燕の天井嘗の図様のモデルとされる。
- 『妖怪事典』 村上健司(毎日新聞社) 2000天井にまつわる怪談をもとに、石燕が天井嘗を創作したと述べる。
- 『図説 日本妖怪大全』 水木しげる(講談社) 1994昭和以後の妖怪図鑑。「天井嘗」を項として収める。
ランキング順位Rankings
ゆかりの地Places
- 館林城(群馬県)山田野理夫の解説に、館林藩の武士が天井嘗を捕えて城の天井をなめさせた話がある。石燕の画集以後の話とされる。
特集Collections
カードCards
画風ちがいのカード。保存してシェアできる。
よくある質問FAQ
天井嘗とは何ですか?
天井嘗は、夜に天井を舐める妖怪で、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』に描かれました。
天井嘗は実在する伝承ですか?
天井嘗に関する伝承はほとんどなく、石燕の創作妖怪である可能性が高いです。
天井嘗は古くからの伝承ですか?
口承の分布は特定されない。村上健司は、天井にまつわる怪談をもとに石燕が創作したと述べ、昭和・平成の解説も石燕の創作物とみる。
いそがしと同じ妖怪ですか?
室町時代の『百鬼夜行絵巻』に顔を仰向けて舌を出した妖怪があり、石燕の図のモデルとされる。江戸時代の『百鬼夜行絵巻』(松井文庫所蔵)などでは同じ図様が「いそがし」の名で描かれる。
館林城に天井嘗の伝承はありますか?
山田野理夫の解説に、館林藩の武士が天井嘗を捕えて館林城の天井のクモの巣や汚れをなめさせた話がある。石燕の『百器徒然袋』刊行後に生じた話と指摘されている。
天井のしみは天井嘗の跡ですか?
昭和・平成の妖怪関連の書籍では、ほこりをなめた跡がしみだとする。藤澤衛彦も古屋敷・古堂のしみをなめ跡と紹介する。石燕の創作物とみる立場からは、後世の付会とされる。
最終更新: · 編集: 百鬼編集室

