豆腐小僧
豆腐小僧は、江戸時代の妖怪画に描かれた、豆腐の入った皿を盆にのせた子供の姿の妖怪。

- 分類
- 子どもの怪
- 分布
- 江戸の出版文化
- 出没
- 雨の夜
- 弱点・対処
- 特段の害なし
- 主な初期記録
- 『妖怪仕内評判記』(1779)
解説Overview
豆腐小僧は、頭に笠をかぶり、盆にのせた豆腐を持つ子供の姿で描かれる妖怪である。顔は人の子供のままのものと一つ目のものとがあり、豆腐は紅葉の葉のかたちが浮き出た紅葉豆腐であることが多い。民俗採集や昔話、当時の随筆・奇談集に出現譚はほとんど無く、江戸時代の草双紙上の創作と見られている。
確認できるのは安永年間(1772年-1781年)以降で、恋川春町『妖怪仕内評判記』(1779年)が初期の例である。草双紙では豆腐や酒を運ぶ子供として現れ、雨の夜に人のあとをつけることもあるが、ひどい悪さはしない。気弱で滑稽な役が多く、ほかの妖怪にいじめられる話もある。一つ目小僧が豆腐を持つ絵も多く境界は曖昧だが、一つ目でない豆腐小僧も少なくない。昭和以降の図鑑に多い「豆腐を勧めて食べると体にカビが生える」という話は、江戸期の資料には見えない。
名称と語源
豆腐小僧(とうふこぞう)は、豆腐を持つ子供の姿に拠る呼び名である。「小僧」は童子を示す語であり、この名は童子型の系統を示している。安永年間の恋川春町『妖怪仕内評判記』(1779年)は「豆腐小僧といふ化物は頭大ぶりにて」と記し、作中ではイタチの化けたものとして扱う。童子の名を負いながら、獣が化する設定が初期の用例に並ぶ。
北尾政美『夭怪着到牒』(1788年)では、豆腐小僧の特徴を持つ妖怪が「大頭小僧」の名で描かれる。同じく「小僧」を残しつつ、頭の大きさを名に移した表記である。
草双紙やおもちゃ絵では一つ目小僧も豆腐を持つ図が多く、狂歌に「笠のうち眼は一ツ賽の目の奴にも化す豆腐小僧は」とあるように、両名の境界は曖昧であった。豆腐小僧を一つ目小僧の異名と見る考察がある一方、「豆腐小僧」と称される例には一つ目でないものも多く、別に独立して生まれたとする主張もある。十返舎一九『化皮太鼓伝』(1833年)は狸の妖怪によって豆腐小僧の存在をほのめかし、獣型の側からこの名に近づく例を残す。
姿かたち
頭に笠をかぶり、盆にのせた豆腐を持つ子供の姿が、草双紙や錦絵に描かれる。顔は人間の子供のままのものと一つ目のものとがあり、豆腐小僧と具体的に称される例のなかには一つ目でないものも多い。持ち歩く豆腐には、紅葉の葉のかたちが浮き出た紅葉豆腐が描かれることが多く、これは江戸時代後期に実際に販売されていた豆腐である。恋川春町『妖怪仕内評判記』(1779年)は「豆腐小僧といふ化物は頭大ぶりにて」と記し、頭の大きさを図像上の特徴として示す。
北尾政美『夭怪着到牒』(1788年)では、大頭小僧という名の妖怪が豆腐小僧の特徴で描かれており、頭の大きさと豆腐を持つ子供の姿とが重ねられている。
着物はごく普通の子供の着衣として描かれることが多い。格子模様は童子格子に似るとされ、芝居の酒呑童子に由来するともされる。春駒・達摩・耳みみずくなど疱瘡除けとされる玩具を着物に描き込んだ例も数点あり、竹原直道が2011年の論考でこの着物表現を扱っている。
性質と弱点
草双紙では、買って来た豆腐や酒を持ち運ぶ子供として現れ、雨の夜などに人間のあとをつけて歩くこともあるが、特にひどい悪さはしないと扱われている。ストーリー上は、人間に相手にされることもない、お人好しで気弱、滑稽な役回りに置かれることが多い。恋川春町『妖怪仕内評判記』(1779年)は、この化物をイタチの化けたものとして描く初期の黄表紙である。
ほかの妖怪にいじめられる話型もある。北尾政美『夭怪着到牒』(1788年)では、豆腐小僧の特徴をもつ大頭小僧に、父を妖怪の総大将・見越入道、母を轆轤首とする作中設定が付けられており、人を襲う話型ではなく、化物同士の家族や序列のなかで動かされている。
昭和・平成以降の妖怪図鑑では、雨の夜に通りかかった人へ豆腐を勧めて食べさせ、体中にカビが生えると記すことが多い。『妖怪仕内評判記』をはじめ江戸時代の資料にはこの害の記載は見られず、昭和以降の図鑑で創作的に付け加えられたものである。民俗学的な採集や昔話、当時の随筆、奇談集では出現譚がほとんど確認されておらず、土地ごとの禁忌や退け方も伝わっていない。
伝承・逸話
イタチの化けた豆腐小僧: 安永年間(1772年-1781年)の黄表紙、恋川春町『妖怪仕内評判記』(1779年)は、豆腐小僧をイタチが化けたものとして描く。作中に「豆腐小僧といふ化物は頭大ぶりにて」とあり、イタチが化物の豆腐小僧に変化して登場する。民俗学的な採集や昔話、当時の随筆、奇談集には出現譚がほとんど確認されておらず、この話型は草双紙のうえに残る。
大頭小僧の系譜: 北尾政美『夭怪着到牒』(1788年)では、大頭小僧という名の妖怪が豆腐小僧の特徴で描かれる。作中設定では、父を妖怪の総大将・見越入道、母を轆轤首とする。見越入道と轆轤首のあいだに生まれた子が大頭小僧とされ、豆腐小僧の特徴を帯びて描かれる、という筋である。
いじめられる豆腐小僧: 草双紙には、ほかの妖怪たちにいじめられる話型の例もある。豆腐小僧が他の妖怪からいじめを受け、話が進む。固有の書名は示されていないが、恋川春町『妖怪仕内評判記』(1779年)や北尾政美『夭怪着到牒』(1788年)が属する黄表紙の枠で、この役回りが用いられた。
化皮太鼓伝の狸: 十返舎一九の合巻『化皮太鼓伝』(1833年)では、笠をかぶった狸の妖怪が豆腐のような柄の着物を着て現れる。豆腐小僧が自ら人と出会う話ではなく、狸の姿と着物の柄によって豆腐小僧の存在をほのめかす、という筋である。
カビの生える豆腐: 昭和・平成以降の妖怪図鑑では、雨の夜に現れ、通りかかった人に豆腐を食べるようにすすめ、食べると体中にカビが生える、という話型が記されることが多い。人が通り、豆腐を勧められ、食べ、カビが体に生じる、という順である。恋川春町『妖怪仕内評判記』(1779年)をはじめ江戸時代の資料にはこの特徴を記載したものは見られず、昭和以降の妖怪図鑑で創作的に付け加えられた話型である。
起源と解釈
定説:草双紙上の創作
民俗学的な採集や昔話、当時の随筆、奇談集では出現譚がほとんど確認されておらず、豆腐小僧は江戸時代の草双紙に描かれた創作上の妖怪と見られている。安永年間(1772年-1781年)から確認でき、恋川春町の黄表紙『妖怪仕内評判記』(1779年)が初期の作例である。都市文化のなかで生まれたとされるが、創出の経緯は判明していない。豆腐が好まれていたことを反映したという見方もある。
関連説:一つ目小僧ほか
豆腐などを持ち運ぶ描かれ方は一つ目小僧、雨降小僧、狸、河童にもあり、一つ目小僧や河童が豆腐を持つ図もあるため、これらを関連あるいは原型とする説がある。十返舎一九の合巻『化皮太鼓伝』(1833年)では、笠をかぶった狸が豆腐のような柄の着物を着ており、豆腐小僧の存在をほのめかす。一つ目小僧の異名とする考察もあるが、「豆腐小僧」と称される例に一つ目でないものが多いことからの否定と、独立して誕生したとする主張もある。
少数説:疱瘡神のパロディ
着物に春駒、達摩、耳みみずくなど疱瘡除けの玩具を描き込んだ例が数点あり、竹原直道は2011年の論文「疱瘡神のパロディとしての豆腐小僧」(『文化/批評』第3号)で、豆腐小僧を疱瘡神のパロディとして扱った。
史料の変遷
初出は当時の随筆や奇談集ではなく、安永年間(1772年-1781年)の草双紙である。恋川春町の黄表紙『妖怪仕内評判記』(1779年)が初期の確認例であり、北尾政美『夭怪着到牒』(1788年)、十返舎一九の合巻『化皮太鼓伝』(1833年)と版本上の記録が続く。『化皮太鼓伝』では笠をかぶった狸が豆腐のような柄の着物で現れ、豆腐小僧の存在をほのめかす。幕末から明治にかけては凧・すごろく・かるたなどのおもちゃ絵に描かれ、川柳・狂歌・歌舞伎にも見える。
昭和以後は妖怪図鑑に収録されるが、通りかかった人に豆腐を勧めて食べると体中にカビが生えるという記述は江戸時代の資料には見られず、昭和以降の図鑑で創作的に付け加えられた。平成期にはアダム・カバット編著『江戸化物草紙』(1999年)と『大江戸化物細見』(2000年)が絵双紙を翻刻し、竹原直道「疱瘡神のパロディとしての豆腐小僧」(『文化/批評』第3号、2011年)が文献研究として加わった。
ゆかりの地
伝承地: 村名・峠・社寺・祭礼・碑など、所在を特定できる豆腐小僧の伝承地は、恋川春町の黄表紙『妖怪仕内評判記』(1779年)にも、北尾政美『夭怪着到牒』(1788年)にも現れない。訪ね得る土地はない。
版本の場: 十返舎一九の合巻『化皮太鼓伝』(1833年)は、笠をかぶった狸が豆腐のような柄の着物を着て豆腐小僧の存在をほのめかすが、国・郡・村の名は残さない。アダム・カバット『江戸化物草紙』(1999年)と『大江戸化物細見』(2000年)が紹介・翻刻した絵双紙も、訪ね得る土地ではなく版本の記録である。
現代の受容
昭和以後の妖怪図鑑では、雨の夜に通りかかった人へ豆腐をすすめ、食べると体中にカビが生えると記す例が多い。江戸時代の資料にこの記述は見られず、昭和以降の図鑑で創作的に付け加えられた像である。平成期にはアダム・カバット編著『江戸化物草紙』(1999年)と『大江戸化物細見』(2000年)が、豆腐小僧の登場する絵双紙作品を広く紹介・翻刻し、妖怪を用いた創作にも用いられていった。
京極夏彦は『豆腐小僧双六道中ふりだし』(副題『本朝妖怪盛衰録』、2003年)で豆腐小僧を主人公に据えた。竹原直道『疱瘡神のパロディとしての豆腐小僧』(『文化/批評』第3号、2011年)は、絵双紙上の豆腐小僧を論じた平成の論考である。
図鑑像と草双紙像:昭和以降の図鑑が記すカビの害は、民俗採集に裏付けられた出現譚ではない。平成の翻刻と小説が再提示するのは、絵双紙に描かれた童子の役柄である。
出典・参考文献References
- 『妖怪仕内評判記』 恋川春町 1779「豆腐小僧といふ化物は頭大ぶりにて」と記し、イタチの化けたものとして描く初期の黄表紙。
- 『夭怪着到牒』 北尾政美 1788豆腐小僧の特徴を持つ大頭小僧を描き、父を見越入道、母を轆轤首とする作中設定を付ける。
- 『化皮太鼓伝』 十返舎一九 1833笠をかぶった狸が豆腐のような柄の着物を着て現れ、豆腐小僧の存在をほのめかす。
- 『江戸化物草紙』 アダム・カバット 1999豆腐小僧の登場する絵双紙作品を紹介・翻刻した編著。
- 『大江戸化物細見』 アダム・カバット 2000豆腐小僧の登場する絵双紙を広く紹介・翻刻した編著。
- 『疱瘡神のパロディとしての豆腐小僧』 竹原直道(国際日本学研究会) 2011『文化/批評』第3号。着物に疱瘡除けの玩具を描き込む例を論じ、豆腐小僧を疱瘡神のパロディとして扱う。
- 『豆腐小僧双六道中ふりだし』 京極夏彦 2003副題『本朝妖怪盛衰録』。豆腐小僧を主人公に据えた平成の長編小説。
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よくある質問FAQ
豆腐小僧は何をしますか?
人を害することはなく、豆腐の載った皿を持って現れるとされる。江戸時代の読み物や妖怪画に描かれた。
豆腐小僧はどこで生まれましたか?
江戸時代後期の出版文化の中で生まれたとされ、黄表紙や草双紙などの読み物に登場した。
豆腐小僧は韓国にもいますか?
韓国には直接の伝承はないが、日本の妖怪文化として紹介されることがある。
豆腐小僧は民間伝承の妖怪ですか?
民俗採集や昔話、当時の随筆・奇談集に出現譚はほとんど確認されておらず、安永年間以降の草双紙に描かれた創作上の妖怪と見られている。幕末から明治にはおもちゃ絵にも描かれた。
豆腐小僧と一つ目小僧は同じですか?
草双紙やおもちゃ絵では一つ目小僧が豆腐を持つ例が多く、川柳・狂歌でも境界は曖昧である。一方、豆腐小僧と称される絵には一つ目でないものも多く、同一視を否定する見方もある。出自は断定できない。
豆腐を食べるとカビが生えますか?
昭和以降の妖怪図鑑には、雨の夜に豆腐を勧めて食べさせると体中にカビが生えると書くものが多い。江戸時代の資料にはこの特徴は見えず、昭和以降の図鑑で付け加えられた記述である。
最終更新: · 編集: 百鬼編集室

