船幽霊
船幽霊(ふなゆうれい)とは、海上に現れ、柄杓で海水を舟に注ぎ入れて沈没させようとする日本の妖怪である。

- 分類
- 海の怪
- 分布
- 全国の海域
- 出没
- 海上・時化霧夜
- 弱点・対処
- 底抜けの柄杓
- 主な初期記録
- 『絵本百物語』(江戸)
解説Overview
船幽霊(ふなゆうれい)は、海上に現れる水難死者の霊で、ひしゃくで海水を汲み船に注いで沈めようとするとされる。害を防ぐには握り飯を海へ投じるか、底の抜けたひしゃくを用意する。舟幽霊とも書き、土地によりアヤカシ、亡者船、ボウコなどと呼ぶ。山口県や佐賀県ではアヤカシという。海坊主を船幽霊の一種とする土地もある。
姿は一定せず、船と亡霊が水上に出るもの、船そのものが亡霊となるもの、乗っている船に亡霊だけが現れるもの、海坊主や怪火、山や断崖の幻影として現れるものがある。時化や霧の夜、盆の十六日に多い。海上の伝えが主だが、河・湖・沼に現れたともいう。『絵本百物語』は西海の船幽霊を平家一門の死霊とし、関門海峡の壇ノ浦・和布刈間で「提子をくれ」と取りつくと記す。
名称と語源
船幽霊は舟幽霊とも書き、読みはふなゆうれいである。村上健司『妖怪事典』(2000年)に項目があり、江戸時代の『絵本百物語』も西海の怪異をこの名で記す。大藤時彦ほか『綜合日本民俗語彙』第4巻(1955年)は船幽霊と類称の民俗語彙を収録する。
土地により亡者船、ボウコ、アヤカシなどとも呼ばれ、山口県と佐賀県ではアヤカシの名が立つ。千葉県銚子市および旧海上郡(現・旭市)の亡霊ヤッサ(もうれんヤッサ)は、「モウレン」を亡霊、「いなが」をひしゃく、「ヤッサ」を漕ぎの掛け声とする呼称で、死霊の系統を示す。福岡県遠賀郡および宗像市鐘崎の迷い船(まよいぶね)は、盆の月夜に帆船として現れると伝え、幽霊船の系統を示す。
福島県沿岸のいなだ貸せ(いなだかせ)は、船上のひしゃくを「いなだ」と呼ぶ語に由来する。長崎県平戸市や熊本県御所浦島などのウグメ、岩手県九戸郡宇部村小袖(現・久慈市)のなもう霊(なもうれい)も、船幽霊に相当する土地の名として伝えられる。寛政12年(1800年)の『桂林漫録』は、覆溺して死んだ者の鬼を覆舟鬼と呼び、海外怪妖記に見ると記す。
姿かたち
船幽霊の姿は地方と伝承によって一定しない。江戸時代の奇談集『絵本百物語』は、西海に現れる船幽霊を平家一門の死霊とし、関門海峡の壇ノ浦・和布刈間(早鞆)の沖に甲冑姿で現れ、「提子をくれ」と船に取りつく、と記す。江戸期に図とともに残るのは、この甲冑の亡者という人型である。
民俗資料に見える現れ方は、船と亡霊が水上に並ぶもの、帆船そのものが亡霊となるもの、乗っている船の上に亡霊だけが現れるもの、海坊主や怪火として現れるもの、山や断崖の幻影や怪音として現れるものに大別され、重なる例もある。霧の濃い晩には絶壁や滑車のない帆船が目の前に現れる、とも伝える。国際日本文化研究センターの「怪異・妖怪伝承データベース」は船幽霊の各地の伝承例を収録する。海上の話が多いが、海のない土地では河・湖・沼に現れたともいう。
土地ごとの像も分かれる。島根県隠岐郡都万村(現・隠岐の島町)のムラサは夜光虫の光のなかで丸く固まって光り、船が乗りかかると散る。福岡県宗像市鐘崎などの迷い船は盆の月夜に帆船となり、怪火や人の声を伴うこともある。千葉県銚子市の亡霊ヤッサは霧や時化の日に海から手だけが飛び出し、長崎県平戸市など九州のウグメは船や島に化けるともいう。高知県では鬼火の一種けち火が船幽霊と見なされることがある。近現代では1969年に神奈川県の海で白い人影が語られ、松谷みよ子『現代民話考』第3巻(2003年)はこうした船幽霊譚を収録する。一体の定型がいつ固まったかは、これらの記述からは定めがたい。
性質と弱点
船幽霊はひしゃくで海水を汲み、船に注いで沈没させると信じられた。水難で死んだ者の成れの果てとされ、人間を仲間に引き入れようとするという。大藤時彦ほか『綜合日本民俗語彙』第4巻(1955年)と村上健司『妖怪事典』(2000年)に、握り飯を海へ投じ、底の抜けたひしゃくを用意する対処が載る。江戸時代の『絵本百物語』は、「提子をくれ」と取りつく霊に、底を抜いた椀を渡して凌いだと記す。
高知県幡多郡大月町ではコンパスを狂わせるとし、『高知県史』民俗編(1978年)に土地の伝えがある。同地では土用豆を投じ、県内では灰や四十九個の餅を海へ投じる、あるいは「わしは土左衛門だ」と仲間だと主張して追い払うという。富山県では北海道へ向かう漁船に乗り移り、乗員の首を締め上げるとされる。愛媛県では進路を変えると座礁し、マッチに火をつけて投じると退散したと伝える。
時化や濃霧の夜、また盆の十六日に操業していると、死者が船縁に寄って沈めようとする。かつては悪天候に陸地でかがり火を焚いたが、船幽霊が沖で火を焚いて船頭を迷わせ、近づくと溺死するとされた。宮城県では船を止めてにらむと消えるとされる。岩手県九戸郡小袖のなもう霊は櫂をよこせと迫るが、返事も貸与もしてはならないとされる。
伝承・逸話
提子をくれ:『絵本百物語』の西海譚では、壇ノ浦の戦いで滅びた平家一門の死霊が、壇ノ浦・和布刈間(早鞆)の沖で船に取りつき「提子をくれ」と求める。ひしゃくを渡せば海水を汲み入れられるため、船乗りはこの海を渡るにあたり椀の底を抜いて供えておき、それを渡して凌いだ。あるとき霊を憐れんだ法師が法会を行うと、この怪異は失せたと同書は記す。
亡霊ヤッサ:千葉県銚子市および海上郡(現・旭市)では、霧の深い日や時化の日に漁船のもとへ船幽霊が現れ、海難で死んだ者の霊が仲間を増やそうとしていると伝える。船へ「モウレン、ヤッサ、モウレン、ヤッサ、いなが貸せえ」との声が近づき、突然海から「ひしゃくを貸せ」と手が飛び出す。ひしゃくを貸せば沈められるので、底を抜いたものを渡すという。「モウレン」は亡霊、「いなが」はひしゃく、「ヤッサ」は船を漕ぐ掛け声とされる。村上健司『妖怪事典』(2000年)と国際日本文化研究センター『怪異・妖怪伝承データベース』にこの型が収録される。
ウグメ:長崎県平戸市や熊本県御所浦島など九州に伝わる。船が取り憑かれると航行が阻まれ、平戸では風もないのに突然帆船が追いかけて来るともいい、九州西岸では船や島に化けるともいう。この怪異を避けるため、平戸では灰を放り込み、御所浦島では「錨を入れるぞ」と言いながら石を投げ、それから錨を放り込む。煙草を吸うと消えるともいう。淦取り(あかとり)をくれといって現れ、底を抜いて渡さないと沈められる型もある。大藤時彦ほか『綜合日本民俗語彙』第4巻(1955年)に類称が載る。
なもう霊:岩手県九戸郡宇部村小袖(現・久慈市)では、時化のおりに黒い船とともに現れ、櫂をよこせと無理をいう。返事をしたり櫂を貸したりしてはならないとされる。『綜合日本民俗語彙』第4巻および『怪異・妖怪伝承データベース』にこの呼称が残る。
起源と解釈
定説:花部英雄は『昔話・伝説小事典』(1987年)で、船幽霊の根底を、祀られることのない水死者の霊が浮遊して船幽霊に化する死霊信仰に置く。風雨や濃霧の晩に出現が多いのは、事故が起きやすく僅かな怪異も伝承の枠に組み入れ、幻影を現実として語るためだとする。盆に多いのは精霊船のイメージと重なるためで、盆や大晦日、禁漁日に海へ出てはならない、近づいてはならない海域に現れる、といった禁忌の戒めでもあると述べる。松谷みよ子『現代民話考』第3巻(2003年)は近現代の船幽霊譚を収録し、1954年の洞爺丸事故のあと犠牲者が船幽霊となったという噂が立ったことを示す。
古典の解釈:江戸時代の奇談集『絵本百物語』は、西海の船幽霊を平家一門の死霊とする。壇ノ浦の戦いで滅びた一門に帰す説明は、海戦の水死を起源に据える江戸期の解釈である。山岡元隣は海上の火の玉や亡霊を朱子学に寄せ、気が滞って形や声をなすものを幽霊と呼び、滞った気が散れば消えうせる、と説いた。
比較・少数説:『桂林漫録』(寛政12年、1800年)は、覆溺して死せる者の鬼を覆舟鬼と呼び、『海外怪妖記』に見ると記す。溺死者の霊が舟を覆す同型が中国にもあったという指摘であり、船幽霊の渡来を説くものではない。航行を阻む伝えについては、塩分や水温の差による内部波が推進力を奪うという説明があり、極地探検家ナンセンは氷解水が混ざる場合にも同様の現象を記録した。
史料の変遷
奇談と随筆:江戸時代の奇談集『絵本百物語』は西海の船幽霊を一条に立てて図を添えた。知識人・山岡元隣は海上の火の玉や亡霊を朱子学の気の滞りとして論じ、もろこしの書にもおりおり見えると書いた。
対照の記録:寛政12年(1800年)の『桂林漫録』は、覆溺して死せる者の鬼を覆舟鬼と呼び、『海外怪妖記』に見ると記す。
民俗採集:大藤時彦ほか『綜合日本民俗語彙』第4巻(1955年)は船幽霊と類称を語彙として収め、高木啓夫ほか『高知県史』民俗編(1978年)は一県の伝承を活字にした。花部英雄ほか『昔話・伝説小事典』(1987年)は口承を民俗学の項とした。
事典とデータベース:村上健司『妖怪事典』(2000年)は船幽霊を事典項目として整理し、松谷みよ子『現代民話考』第3巻(2003年)は近現代の船幽霊譚を収録する。国際日本文化研究センターの『怪異・妖怪伝承データベース』は各地の伝承例を収める。
ゆかりの地
関門海峡の壇ノ浦・和布刈間(早鞆)の沖は、『絵本百物語』が西海の船幽霊の出現地として記す海域で、現地は海峡の航路にあたる。山口県阿武郡相島(現・萩市)は夜走りの伝承地である。
千葉県銚子市および旧海上郡(現・旭市)の沿岸は、霧や時化の日に漁船へ寄る亡霊ヤッサの伝承地である。福岡県遠賀郡および宗像市鐘崎では、盆時期の月夜の晩に海へ帆船の姿で現れる迷い船が語られる。
長崎県平戸市はウグメ、島根県隠岐の島町(旧隠岐郡都万村)はムラサの語られる海である。水木しげるの出身地である鳥取県境港市では、猛霊八惨を鎮める祭礼が開催されている。
現代の受容
漫画と祭礼:妖怪漫画家・水木しげるの著書は、千葉県銚子市および海上郡(現・旭市)に伝わる亡霊ヤッサを「猛霊八惨」(もうれいやっさん)と記す。水木の出身地・鳥取県境港市では、この猛霊八惨を鎮める祭礼が開かれている。漫画・アニメ・ゲーム・広告の固有の作品名と年は、依拠できる材料には示されていない。
図鑑と近現代の語り:村上健司『妖怪事典』(2000年)は船幽霊の項目を収める。松谷みよ子『現代民話考』第3巻(2003年)は近現代の船幽霊譚を収録する。1954年の洞爺丸事故のあと、就航した連絡船のスクリューに傷が見つかり、犠牲者が船幽霊となって爪を立てているという噂が立った。傷はのちに電蝕と判明した。1969年には神奈川県の海で白い人影が「ひしゃくを下さい」と求め、大学ヨット部の遭難部員が沈んだヨットから水を汲み出したがっているとされた。
像:民俗記録の亡霊ヤッサは、霧や時化の日に漁船へ近づき柄杓を求める水死者の霊である。水木の著書が「猛霊八惨」と記した像は、伝承地ではない境港市の祭礼で鎮められる対象である。洞爺丸やヨット遭難に重ねた近年の噂は、海難の死者を船幽霊とする話型を戦後の事故へ移したもので、固有名を持つキャラクターとは層を異にする。
出典・参考文献References
- 『絵本百物語』 1841西海の船幽霊を平家一門の死霊とし、壇ノ浦・和布刈間で「提子をくれ」と取りつく話、底を抜いた椀を渡す対処、法会で怪異が失せたことを記す。
- 『桂林漫録』 1800寛政12年。覆溺して死せる者の鬼を覆舟鬼と呼び、海外怪妖記に見ると記し、中国にも船幽霊に当たる怪異があると述べる。
- 『綜合日本民俗語彙』 大藤時彦他(平凡社) 1955第4巻に船幽霊および類称の民俗語彙を収録する。
- 『昔話・伝説小事典』 花部英雄他(みずうみ書房) 1987花部英雄が、風雨や濃霧の晩に多い出現、盆と精霊船の重なり、祀られぬ水死者の死霊信仰と禁漁日の戒めとして船幽霊を解釈する。
- 『妖怪事典』 村上健司(毎日新聞社) 2000船幽霊の項目を収録する。
- 『現代民話考』 松谷みよ子(筑摩書房) 2003第3巻に近現代の船幽霊譚を収録する。
- 『高知県史』 高木啓夫他(高知県) 1978民俗編に高知の船幽霊伝承を収録する。
ランキング順位Rankings
ゆかりの地Places
- 壇ノ浦・和布刈(山口県)『絵本百物語』に、甲冑姿の船幽霊が「提子をくれ」と取りつくと記される関門海峡の沖。
- 銚子(千葉県)霧や時化の日に「いなが貸せえ」と手が飛び出す亡霊ヤッサの伝え地。
- 平戸(長崎県)ウグメに取り憑かれると航行が阻まれ、灰を放り込む、淦取りの底を抜いて渡すと伝える。
- 隠岐の島(島根県)旧都万村。夜光虫の光の中に丸く固まるムラサの伝え地。
- 境港(鳥取県)水木しげるの表記「猛霊八惨」を鎮める祭礼が開かれる。
- 鐘崎(福岡県宗像市)盆の月夜に帆船の姿で現れる迷い船の伝え地。
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よくある質問FAQ
船幽霊はどのようにして船を沈めるのですか?
船幽霊は柄杓で海水を汲み、舟に注ぎ入れて沈めようとします。これに対抗するには、底のない柄杓を渡すか、米や小豆を撒きます。
船幽霊はどこに現れますか?
主に西日本の海、瀬戸内海、九州北部、日本海側の島々などで、海運が盛んな地域に伝承があります。
船幽霊と船霊の違いは何ですか?
船霊(ふなだま)は船に祀られる守護霊ですが、船幽霊は海に現れる怪異です。漢字表記が似ているため混同されることがありますが、別の存在です。
船幽霊はどのように船を沈めるのですか?
ひしゃくで海水を汲み、船に注ぎ入れて沈めようとする。渡すと沈没させられるため、底の抜けたひしゃくを渡すか、握り飯を海へ投じると害を防げるという。
船幽霊を追い払う方法は?
土地により異なる。握り飯を投じる、底の抜けたひしゃくを渡すほか、灰や餅、線香、洗米などを海へ投じる伝えがある。宮城県では船を止めてにらむと消えるという。
船幽霊と海坊主はどう違いますか?
海坊主も海の怪異として知られるが、土地によっては妖怪ではなく船幽霊の一種とされる。姿や話型が重なる例があり、両者を厳密に分けない伝えもある。
最終更新: · 編集: 百鬼編集室

