鵺
鵺(ぬえ)は、頭は猿、体は狸、尾は蛇、手足は虎に似るとされる日本の妖怪。平安時代の『平家物語』に、源頼政が退治した怪鳥として描かれる。

- 分類
- 動物の怪
- 分布
- 京都御所周辺
- 出没
- 御所の上空
- 弱点・対処
- 弓矢
- 主な初期記録
- 『日本紀略』(905)
解説Overview
鵺(ぬえ)は、夜に鳴く鳥の名と、御所に現れて矢で射られた合成獣の伝承が重なった日本の怪である。『平家物語』などでは猿の顔、狸の胴、虎の肢、蛇の尾と描かれ、『源平盛衰記』は頭は猿、背は虎、尾は狐、足は狸、音は鵺と記す。『和漢三才図会』は怪鳥ではなく鳥類の一種とする。
名は『古事記』『万葉集』に見え、鵼は鳩大の黄赤色とされ、いまはトラツグミとするのが定説である。声は「ヒョーヒョー」と聞きなされ、平安の天皇や貴族は凶事を避けるため祈祷した。『平家物語』の怪物はもともと「鵺の声で鳴く得体の知れないもの」で、名は後世に定着した。巻第四の源頼政の退治が最も知られ、清涼殿の黒煙を山鳥の尾の矢で射たと語る。出現の記事は京都の御所と北野社に多く、屍を流して葬ったとする塚は摂津の芦屋と大阪に残る。
名称と語源
鵺は鵺・鵼・恠鳥・夜鳥・奴延鳥とも記し、いずれも「ぬえ」と読む。元来の「鵺(や)」はキジに似た鳥を指すとされるが、正確な同定は不明である。「夜」は形声の音符であり、意味を伴わない。日本では夜に鳴く鳥とされ、『古事記』『万葉集』にその名が見える。
諏訪春雄は、中国の博物誌『山海経』「北山経」の白鵺(はくや)と、別の想像上の怪鳥・鵼(こう・くう)とを、日本では同一視してともに「ぬえ」と読み、意味のうえでも混同したと述べる。『日本紀略』は延喜五年二月二日、空で恠鳥(ぬえ)が鳴いたので十五日に諸社へ幣を奉ったと記す。
鵼は鳩ほどの大きさで黄赤色の鳥と考えられたが、いまはトラツグミとするのが定説である。その鳴き声は平安時代の人々には不吉に聞こえ、凶鳥として祈祷の対象となった。『和漢三才図会』は鵺を怪鳥・怪異ではなく鳥類の一種として立てる。
『平家物語』巻第四の怪物は、鵺の声で鳴く得体の知れないものであり、当時は固有の名を持たなかった。『源平盛衰記』も「音は鵺なり」と記し、声によって鵺に結びつける。のちにこの怪物自体が鵺と呼ばれ、鳥名よりも有名になった。
姿かたち
『平家物語』巻第四に登場する鵺は、猿の顔、狸の胴体、前後の肢は虎、尾は蛇と伝えられる。文献によっては胴体を記さないものもあり、胴を虎として描く例もある。この姿を、北東の寅、南東の巳、南西の申、北西の乾(犬とイノシシ)といった方位の獣の合成とみる考えもある。
『源平盛衰記』は部位の配当を変え、「頭は猿、背は虎、尾は狐、足は狸、音は鵺なり」と記す。室町時代の『看聞日記』応永二十三年四月二十五日条は、北野社に現れた怪鳥を頭は猫、身は鶏、尾は蛇、目が大きく光るとし、これを鵺の類とする見方もある。
寺島良安『和漢三才図会』(1712)は鵺を怪鳥・怪異ではなく鳥類の一種として立てる。藤沢衛彦『図説日本民俗学全集』(1971)の「日本怪奇妖怪年表」は、『看聞日記』の北野社の怪鳥を応永二十三年の鵺の出現として掲げる。猿・狸・虎・蛇の合成は『平家物語』系の描写として知られるが、部位の配当は書によって一定せず、ここに挙げた文献だけでは一つの定型がいつ固まったかは見えない。
性質と弱点
鵺は夜の上空に現れ、鳴いて人を煩わせるとされる。『平家物語』巻第四は、清涼殿を毎夜黒煙と鳴き声が覆い、天皇が病に臥せ、薬も祈祷も効かなかったと語る。声は「ヒョーヒョー」と伝えられる。
延喜五年(905年)二月二日、『日本紀略』は空で恠鳥が鳴いたので十五日に諸社へ幣を奉ったと記す。藤沢衛彦『図説日本民俗学全集』の「日本怪奇妖怪年表」は、延応二年(1240年)四月八日に前武州御亭で鳴いたため九日に百怪祭りを行ったとする『吾妻鏡』の記事を掲げる。鳴き声だけの記録には鳥類の鵺が混じる可能性がある。
弱点は弓矢である。『平家物語』巻第四では源頼政が山鳥の尾の尖り矢で射、猪早太がとどめを刺すと天皇の病は快復したとされる。応永二十三年(1416年)四月二十五日の『看聞日記』は北野社の怪鳥を宮仕が射落とす。『源平盛衰記』巻一は、声だけの化鳥を平清盛が音に躍り掛かって捕らえ竹に籠めて埋めたとし、捕らえ損ねれば疫と飢饉と兵乱が続くという言を載せる。都の人々は祟りを恐れて屍を鴨川に流したと『平家物語』は伝え、埋められた屍を掘れば祟りがあったとも『源平盛衰記』は記す。
伝承・逸話
源頼政の鵺退治: 『平家物語』巻第四は、清涼殿の怪を弓の達人である源頼政に命じた話を英雄伝説として語る。側近たちは、かつて源義家が弓を鳴らして怪事を鎮めた前例に倣ったとされる。頼政は家来の猪早太(井早太とも記す)を連れ、先祖の源頼光より受け継いだ弓「雷上動」を手に出向いた。清涼殿を黒煙が覆い始めると、山鳥の尾で作った尖り矢を射て悲鳴とともに鵺を二条城の北方あたりへ落とさせ、猪早太が取り押さえてとどめを差したという。そのとき宮廷の上空にカッコウの鳴き声が二声三声聞こえ、静けさが戻ったのち、頼政は天皇から刀「獅子王」を賜ったと伝える。摂津国の地誌『摂津名所図会』もこの退治譚を載せる。
鵺のその後: 退治された鵺のゆくえについて、『平家物語』は京の人々が祟りを恐れ、死体を船に乗せて鴨川へ流したと語る。淀川を下った船は大阪東成郡に一旦漂着したのち海を漂い、芦屋川と住吉川の間の浜に打ち上げられ、芦屋の人々がねんごろに葬って鵺塚を築いたという。『摂津名所図会』は「鵺塚 芦屋川住吉川の間にあり」と記す。江戸時代初期の地誌『芦分船』では淀川下流に流れ着いた屍を、祟りを恐れた村人が母恩寺の住職に告げて弔い、塚を建てたと伝える。一方『源平盛衰記』は鵺を京都府の清水寺に埋めたとし、江戸時代にそれを掘り起こしたために祟りがあったともいう。別説では死霊が一頭の馬と化し、木下と名づけられて頼政に飼われたが、良馬であったため平宗盛に取り上げられ、それを機に頼政は以仁王の挙兵に与して滅び、鵺は宿縁を晴らしたとされる。
平清盛の化鳥退治: 『平家物語』および『源平盛衰記』では、頼政に先立ち平清盛が鵺を捕らえた話がある。崇徳天皇の時代、御所の南殿(紫宸殿の別名)に鵺の鳴き声が響き、一匹の鳥が飛び渡った。右衛門尉であった清盛に朝敵討伐として捕えよと命が下ったが、自在に空を飛び、姿は見えず声だけの相手であった。清盛は、天子の命によって天竺では獅子、中国では虎、本邦では空の雷や池の鷺を捕らえた者が名を残した故事を思い出し、音を頼りに宣旨であると申し出て躍り掛かると、鳥は右袖へ飛び込んできて捕らえられた。捕らえてみると鼠に似た動物(毛朱)であり、博士によれば垂仁天皇の即位三年二月二日にもこの動物が現れ、捕らえ損ねたのち七年の疫病・七年の飢饉・七年の兵乱が続いたという。今回捕らえたのは吉事であるとして竹に籠めて清水寺の岡に埋め、その地は「毛朱一竹塚」と呼ばれた。清盛は恩賞として安芸守に任じられたと、『源平盛衰記』巻一は記す。
起源と解釈
通説:妖怪としての鵺は、夜に鳴く鳥の名が、その声で鳴く怪物の呼称へ移ったものと見る。『古事記』は鵺を夜に鳴く鳥の名として記す。『平家物語』巻第四の怪物は「鵺の声で鳴く得体の知れないもの」であって、当初は固有の名を持たなかった。のちにこの怪物自体が鵺と呼ばれ、鳥の名より広く知られるようになった。『和漢三才図会』は鵺を怪鳥や怪異ではなく鳥類の一種として立てており、百科の分類では鳥の系譜が残る。
記録の解釈:延喜五年二月二日、『日本紀略』は空で恠鳥が鳴いたので十五日に諸社へ幣を奉ったと記す。声を凶兆として朝廷が祭祀で応じた記録が、英雄伝説としての怪物譚に先立つ。
研究史:藤沢衛彦は『図説日本民俗学全集』の「日本怪奇妖怪年表」に延喜五年から安永三年までの出現を掲げ、年表で鵼と記されたものを鵺に改め、鳴き声のみの記述には鳥類の鵺が含まれる可能性があると注した。この注は、年表の記事をすべて妖怪の出没と読むことを戒める。京都市埋蔵文化財研究所の丸川義広は同年表を根拠に、世情が不安定だった平安末期から鎌倉時代、南北朝時代の動乱期に鵺が多く現われると分析している。
史料の変遷
鵺の出現を日付とともに記す記録は、『日本紀略』延喜五年(905年)二月二日にさかのぼる。空で恠鳥が鳴いたため、十五日に諸社へ幣を奉ったとある。藤沢衛彦『図説日本民俗学全集』(1971)の「日本怪奇妖怪年表」は、永久三年(1115年)の『殿暦』と『拾芥抄』、天養元年(1144年)の『台記』、建暦二年(1212年)の『玉葉』、寛喜元年(1231年)と延応二年(1240年)の『吾妻鏡』、元弘三年(1333年)の『太平記』を含む日記・歴史書の条を列挙し、鳴き声のみの記録には鳥類の鵺が混じる可能性を注記する。
物語として最も広く知られるのは『平家物語』巻第四で、仁平三年(1153年)に宮中へ化鳥が現れ源頼政が帝命で退治した話を英雄伝説として語る。『源平盛衰記』巻一は、これに先立つ平清盛の化鳥捕縛も載せる。1712年の『和漢三才図会』は、同じ「鵺」を怪鳥・怪異ではなく鳥類の一種として立てた。
応永二十三年(1416年)四月二十五日の『看聞日記』は北野社に怪鳥が現れ宮仕が射落としたと記し、これを鵺の類とする見方がある。近世の地誌『摂津名所図会』は「鵺塚 芦屋川住吉川の間にあり」と葬地を掲げ、安永三年(1774年)の『閑憲自語』は京都御所の屋根で手車を挽くような声がしたと記す。京都市埋蔵文化財研究所の丸川義広は、藤沢の年表を根拠に、世情が不安定だった平安末期から鎌倉時代、南北朝時代の動乱期に鵺が多く現われると分析した。
ゆかりの地
芦屋の鵺塚:『平家物語』巻第四は屍を鴨川に流したと語り、『摂津名所図会』は「鵺塚 芦屋川住吉川の間にあり」と記す。いまの塚は阪神芦屋駅近くの松浜公園にあり、鵺塚橋の名もこの塚に由来する。碑石は1917年(大正6年)建立で、戦前に橋東の松林へ移された。都島の鵺塚(大阪市):江戸時代初期の『芦分船』は、淀川下流へ流れ着いた鵺を母恩寺の住職が弔い塚を建てたと伝える。現在の塚は1870年に大阪府が改修し、祠は1957年に地元の人々が改修した。
清水寺(京都市):『源平盛衰記』は鵺を同寺に埋めたと伝える。鵺池(上京区主税町):二条公園に、頼政が矢を洗ったとされる池と鵺池碑がある。池跡は親水施設状に改装されている。神明神社(下京区):頼政が奉納したという矢尻を社宝とし、普段は写真のみ展示し、毎年9月の祭礼で実物を公開する。三ヶ日町(浜松市浜名区):鵺代・胴崎・羽平・尾奈は、浜名湖西方に落ちた鵺の頭・胴・羽・尾に由来するという。鵺ばらい祭(伊豆の国市):伊豆長岡温泉で毎年1月28日に鵺踊りと餅まきが行われる。
現代の受容
掴みどころがなく正体の定まらない人物・集団を「鵺のようだ」と喩える用法がある。この比喩は、『平家物語』巻第四が英雄伝説として語る、声は鵺でありながら得体の知れない怪物という話型に依る。
能の『鵺』は世阿弥の作で、切能(五番目物)の畜類物として同物語の説話を基にする。壬生寺大念仏狂言『夜鳥(ぬえ)』も平家物語から取話した無言劇であり、綱渡りや高跳び降りがある。石見神楽は源頼政の退治譚を『頼政』として代表的演目の一つに持つ。
静岡県伊豆の国市伊豆長岡温泉では毎年1月28日に鵺ばらい祭が行われ、鵺踊りと餅まきがある。大阪港は鵺塚の伝説から大阪湾との関わりを見て、紋章のモチーフに鵺を選んだ。塚を地誌に記すのは『摂津名所図会』である。
民俗資料では『和漢三才図会』が鵺を怪鳥・怪異ではなく鳥類の一種として立てる。観光施設では、大分県別府市の八幡地獄にあった「怪物館」に鵺のミイラが置かれていたとされるが、園は現存せず行方は不明である。新潟で見つかった化石を根拠に正体をレッサーパンダとする説も流れたが、Parailurusとされた化石自体が誤っていた。
出典・参考文献References
- 『古事記』 712鵺を夜に鳴く鳥の名として記す。
- 『日本紀略』延喜五年二月二日、空で恠鳥(ぬえ)が鳴いたので十五日に諸社へ幣を奉ったと記す。
- 『平家物語』巻第四。清涼殿を覆う黒煙の怪を源頼政が射止め、屍を鴨川に流した話を英雄伝説として語る。平清盛が先に化鳥を捕らえた話も載せる。
- 『源平盛衰記』「頭は猿、背は虎、尾は狐、足は狸、音は鵺なり」と記す。巻一に清盛が毛朱を捕らえて清水寺の岡に埋めた話を載せ、鵺を同寺に埋めたともする。
- 『看聞日記』応永二十三年四月二十五日、北野社に頭は猫・身は鶏・目が大きく光る怪鳥が現れ、宮仕が射落とすと記す。鵺の類とされることがある。
- 『和漢三才図会』 寺島良安 1712鵺を怪鳥・怪異ではなく鳥類の一種として立てる。
- 『摂津名所図会』「鵺塚 芦屋川住吉川の間にあり」と記し、頼政が退治した鵺の葬地とする。
- 『図説日本民俗学全集』 藤沢衛彦(高橋書店) 1971「日本怪奇妖怪年表」に、延喜五年から安永三年までの鵺・恠鳥の出現記録を掲げる。
ランキング順位Rankings
ゆかりの地Places
- 芦屋の鵺塚(兵庫県)阪神芦屋駅近くの松浜公園にある塚。『平家物語』で流された屍を葬った地とされ、現在の碑は大正六年建立。
- 都島の鵺塚(大阪府)大阪市都島区。『芦分船』で淀川下流に流れ着いた鵺を葬ったとする塚。明治三年に改修。
- 鵺池(京都府)上京区主税町の二条公園。頼政が血塗られた矢を洗ったとされる池で、鵺池碑がある。
- 神明神社(京都府)京都市下京区。頼政が退治の前に祈願し、礼として矢尻を奉納したと伝える。
- 清水寺(京都府)『源平盛衰記』は鵺をここに埋めたとし、清盛が捕らえた毛朱も岡に埋め毛朱一竹塚と呼ぶ。
- 三ヶ日(静岡県)浜名湖西方。鵺代・胴崎・羽平・尾奈は、鵺の頭・胴・羽・尾が落ちた地とする。
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よくある質問FAQ
鵺とは何ですか?
鵺(ぬえ)は、日本の古典に現れる妖怪です。頭は猿、体は狸、尾は蛇、手足は虎に似た姿とされ、『平家物語』では源頼政に退治された怪鳥として描かれます。
鵺はどこに現れましたか?
『平家物語』によれば、平安時代の京都、近衛天皇の御所(清涼殿)の上空に毎夜現れたとされています。
鵺を退治したのは誰ですか?
源頼政(みなもとのよりまさ)です。弓の名手として鵺を射落とし、その功績で名を残しました。
鵺の姿はどのようなものですか?
『平家物語』などでは猿の顔、狸の胴、虎の肢、蛇の尾とする。『源平盛衰記』は頭は猿、背は虎、尾は狐、足は狸と記し、『看聞日記』の北野社の怪鳥は頭が猫、身は鶏、尾が蛇で目が光ると描く。
鵺という名の由来は何ですか?
もとキジに似た鳥の名で、『古事記』『万葉集』に見える。鵼はいまトラツグミとされる。諏訪春雄は『山海経』の白鵺と鵼を日本で同一視して「ぬえ」と読んだと述べる。『平家物語』の怪物自体には当初名がなかった。
鵺塚はどこにありますか?
『平家物語』では屍を鴨川から流し、芦屋川と住吉川の間の浜に葬ったとする。いま阪神芦屋駅近くの松浜公園に大正六年建立の碑がある。大阪市都島区にも『芦分船』に基づく塚が残る。
最終更新: · 編集: 百鬼編集室

