見越し入道
見越し入道は、夜道で見上げるほど背が伸びる入道姿の妖怪で、東北や関東の伝承に名が見える。

- 分類
- 僧形の怪
- 分布
- 全国
- 出没
- 夜道・坂・四つ辻
- 弱点・対処
- 「見こした」と唱える
- 主な初期記録
- 『宿直草』(1677)
解説Overview
見越し入道(みこしにゅうどう)は、夜道や坂道の突き当たりに僧の姿で現れ、見上げれば見上げるほど大きくなる妖怪である。見越入道とも書き、見上げ入道・高入道・次第高など類名が多い。見ていると死ぬ、飛び越えられると死ぬともいい、「見こした」「見抜いた」と唱えれば消えるとされる。
『宿直草』はタヌキの変化とし、西村白鳥『煙霞綺談』(1770年)は正徳の三河国吉田で、熱病をもたらす約4メートルの大入道として記す。鳥山石燕『画図百鬼夜行』は「見越」の題で大木の陰から覆いかぶさる姿を描き、『百怪図巻』は顔と上半身だけを大きく捉える。伝承は壱岐・岡山・静岡・檜枝岐・天草などに残り、四つ辻や石橋、厠にも出る。
名称と語源
見越し入道は見越入道とも書き、読みはみこしにゅうどうである。この名は荻田安静編『宿直草』(1677年)や西村白鳥『煙霞綺談』(明和7年/1770年)など、江戸時代の怪談本と随筆に見える。見上げるほど大きくなることから見上げ入道の名がついたと伝える。『煙霞綺談』は正徳期の三河国吉田町(現・愛知県豊橋市)の話で、土地の者が山都(みこしにゅうどう)と呼ぶと記す。
村上健司『妖怪事典』は次第高、高入道、高坊主、伸上り、乗越入道、見上入道、入道坊主などを類称として全国に整理する。静岡県庵原郡両河内村(現・静岡市)ではお見越しともいい、小坊主の姿で話しかけるとする。熊本県天草郡一町田村(現・天草市)では発音は同じで御輿入道と記す。長野県南佐久郡南牧村海ノ口などでは単に見越しともいう。
入道・坊主の称は僧形、お見越しの小坊主は童子形の系統を示す。獣形では『宿直草』がタヌキの変化とし、キツネとする地方もあり、信濃国(現・長野県)はムジナ、福島県南会津郡檜枝岐村はイタチとする。北尾政美『夭怪着到牒』(1788年)の尼入道は女性版の見越し入道とされている。
姿かたち
見越し入道は民間伝承では僧の姿で現れ、見上げるほど背が伸びると伝える。佐脇嵩之『百怪図巻』(1737年)は顔と上半身だけを大きく捉え、全身の特徴を示さない。鳥山石燕『画図百鬼夜行』(1776年)の「見越」は大木の陰から覆いかぶさる入道で、首は長めだが、背後から人を見る構図によるもので、ろくろ首のように首の長さを主眼とした描写ではない。
西村白鳥『煙霞綺談』(明和7年/1770年)は、正徳の三河国吉田町(現・愛知県豊橋市)に現れた入道を身長1丈3、4尺(約4メートル)、仁王のようで目を鏡のように光らせたと記す。福島県南会津郡檜枝岐村では提灯・桶・舵などを手に持つ姿が伝えられ、静岡県庵原郡両河内村(現・静岡市)では道端の小坊主が話の途中で背を伸ばすという。
おもちゃ絵や草双紙では首のひょろ長い姿が珍しくなく、時代が下るにつれて首は誇張され、江戸後期には細い長首に三つ目を備えた形が定番となった。北尾政美の黄表紙『夭怪着到牒』(1788年)には毛深く長い首の女怪・尼入道が現れ、女性版の見越し入道とされる。
性質と弱点
見越し入道は夜道や坂道の突き当たり、四つ辻、石橋、木の上などに現れ、一人歩きの者の前に出ることが多いと村上健司『妖怪事典』(2000年)に見える。見上げ続けていると死ぬことがあり、飛び越えられると死ぬ、喉を締め上げられる、後ろに倒れて喉笛をかみ殺されるともいう。九州の壱岐島では現れる前に「わらわら」と笹を揺らすような音がし、「見越し入道見抜いた」と唱えなければ竹が倒れて死ぬと伝える。
対処は「見こした」「見抜いた」と唱えると消えるとされる。岡山県小田郡では頭から足元へ見下ろさねばならず、足から頭へ見上げると食い殺されると佐藤米司『岡山の怪談』(1979年)に見える。神奈川県では度胸を据えて煙草を吸っていたら消え、静岡県では差金で高さを計ろうとしたら消えた例がある。
福島県南会津郡檜枝岐村ではイタチの変化とされ、『日本民俗誌大系』第9巻「檜枝岐民俗誌」によれば、見上げた隙に喉を噛み切られるほか、提灯・桶・舵など持ち物を叩けば退治できるという。岡山県のある地域では厠にキツネの化けた見越し入道が現れ、しゃがむ女性を「尻拭こうか」と脅かすほか、大晦日の夜に厠で「見越し入道、ほととぎす」と唱えると必ず現れると伝える。西村白鳥『煙霞綺談』(明和7年/1770年)は人を熱病に侵す疫病神とする。
伝承・逸話
善右衛門の熱病: 西村白鳥『煙霞綺談』(明和7年/1770年)は、正徳のころ三河国吉田町(現・愛知県豊橋市)の商人・善右衛門が名古屋の伝馬町へ向かう途中でつむじ風に遭った話を載せる。馬が脚を痛め、善右衛門もうずくまっていると、身長1丈3、4尺(約4メートル)の大入道が現れた。入道は仁王のようで、目を鏡のように光らせつつ近づく。善右衛門が地に伏すと、入道は彼を踏み越えて去った。夜明けに民家で天狗などの怪異の有無を尋ねると、山都(みこしにゅうどう)ではないかと答えられた。善右衛門は名古屋に着いたが食欲が失せ、熱病に侵され、医者の手当ても薬も効かず、13日目に亡くなったという。同書は見越し入道を人を熱病に侵す疫病神としている。
壱岐島の笹鳴り: 九州の壱岐島では、見越し入道が現れる前に「わらわら」と笹を揺らすような音がすると村上健司『妖怪事典』(2000年)に見える。すかさず「見越し入道見抜いた」と唱えると入道は消え、何も言わずに通り過ぎようとすると竹が倒れてきて死ぬと伝える。
厠の呼び出し: 佐藤米司『岡山の怪談』(1979年)が収める岡山県の話では、厠で女性がしゃがんでいると、キツネが化けた見越し入道が現れて「尻拭こうか、尻拭こうか」と言って脅かすという。大晦日の夜に厠で「見越し入道、ほととぎす」と唱えると必ず現れるともいう。厠に現れる加牟波理入道と混同したとの説もある。
両河内のお見越し: 静岡県庵原郡両河内村(現・静岡市)ではお見越しともいい、道端にいる人に小坊主の姿で話しかけ、話している途中に次第に背が高くなる。その様子を見続けていると気絶するが、「見越したぞ」と言うと消えると『妖怪事典』は記す。道端に優しい人の姿で現れ、通りかかった人が話しかけると、話の内容によっては大きくなってみせるともいう。
天草の御輿入道: 熊本県天草郡一町田村(現・天草市)では、発音は同じで漢字の異なる御輿入道が伝わる。下田の釜という地の一本道に現れる身長5丈(約15メートル)の妖怪で、出遭った人を今にも嘗めるかのように舌なめずりをするという。ある者が一心に神を念じると、入道は恐れをなし、御輿のようなものに乗り、布を長く引いて山のほうへ飛び去ったと『妖怪事典』に見える。
起源と解釈
定説:一源に帰す定説は、依拠できる史料には示されていない。見越し入道の正体は不明とされることが多く、村上健司『妖怪事典』(2000年)は民間伝承と古典・図像を整理するにとどまる。
変化獣:地方によっては変化(へんげ)能力を持つ動物とする。荻田安静編『宿直草』(1677年)はタヌキが化けたものと記す。福島県南会津郡檜枝岐村ではイタチの変化とし、今野圓輔・池田彌三郎編『日本民俗誌大系』第9巻所収「檜枝岐民俗誌」(1974年、原著1951年)に見える。同地では提灯・桶・舵など持ち物が本体で、それを叩けば退治できるともいう。信濃国(現・長野県)ではムジナが化けたものといい、キツネとする地方もある。
疫病神:西村白鳥『煙霞綺談』(明和7年/1770年)は、見越し入道を人を熱病に侵す疫病神とし、土地の呼称を山都(みこしにゅうどう)と記す。
少数説:厠に現れる話は、厠の妖怪・加牟波理入道と混同したものとの説がある。佐藤米司『岡山の怪談』(1979年)は岡山県の厠譚を収める。類話は次第高、高入道、高坊主、伸上り、乗越入道、見上入道、入道坊主など全国に伝わり、村上がこれを整理する。
史料の変遷
見越し入道を記した刊行年のわかる早い例は、荻田安静編『宿直草』(1677年)である。これより古い刊行年の書を挙げる記述は、依拠できる史料には示されていない。西村白鳥『煙霞綺談』(明和7年/1770年)は随筆としてこれを録し、人を熱病に侵す疫病神として記した。
図像では、佐脇嵩之『百怪図巻』(1737年)が絵巻に収め、鳥山石燕『画図百鬼夜行』(1776年)が「見越」の題で画集の一項とした。北尾政美の黄表紙『夭怪着到牒』(1788年)は尼入道を出し、江戸の草双紙では妖怪の親玉として登場することがほとんどであった。
昭和では、今野圓輔・池田彌三郎編『日本民俗誌大系』第9巻(1974年)所収「檜枝岐民俗誌」(原著1951年)が土地の民俗誌として採録し、佐藤米司『岡山の怪談』(1979年)が岡山の話を収めた。記録は怪談本・画集から、土地つきの採録へと移った。
村上健司編著『妖怪事典』(2000年)は見越し入道の項で民間伝承と古典・図像を整理し、同年の多田克己『妖怪図巻』と湯本豪一『江戸の妖怪絵巻』(2003年)が図像・絵巻の記録を追った。
ゆかりの地
村上健司『妖怪事典』(2000年)は、九州の壱岐島を見越し入道の伝承地として記し、現れる前に笹を揺らすような音がすると伝える。静岡県庵原郡両河内村(現・静岡市)ではお見越しとも呼び、道端に現れるとし、熊本県天草郡一町田村(現・天草市)では御輿入道の名で下田の釜という地の一本道に出ると記す。長野県南佐久郡南牧村海ノ口、新潟県北蒲原郡赤谷村(現・新発田市)、静岡県榛原郡上川根村(現・本川根町)、周智郡三倉村(現・森町)では単に見越しの名で伝わるとする。
福島県南会津郡檜枝岐村の伝承は、今野圓輔・池田彌三郎編『日本民俗誌大系』第9巻所収「檜枝岐民俗誌」(1974年、原著1951年)に残る。岡山県小田郡の伝承は佐藤米司『岡山の怪談』(1979年)に見える。
現代の受容
事典と再刊:村上健司編著『妖怪事典』(2000年)は見越し入道の項を立て、民間伝承と古典・図像を整理する。今野圓輔・池田彌三郎編『日本民俗誌大系』第9巻(1974年、原著1951年)は「檜枝岐民俗誌」を再録し、佐藤米司『岡山の怪談』(1979年)は岡山県の話を活字にする。文学・漫画・アニメ・遊戯・広告・観光・商品での扱いを作品名と年で記す記述は、これらの出典には示されていない。
像:江戸後期のおもちゃ絵や草双紙では、首がひょろ長く顔に三つ目を備えた定型が用いられ、その容姿から妖怪の親玉として出すことがほとんどである。北尾政美『夭怪着到牒』(1788年)の尼入道は毛深く長い首の女怪で、女性版の見越し入道とされる。『妖怪事典』が項として示す僧形で伸びる口承の話型と、絵の定型として親玉化する像とは、同じ名で並ぶ別の層である。
出典・参考文献References
- 『宿直草』 荻田安静 1677タヌキが化けた見越し入道として記す。
- 『煙霞綺談』 西村白鳥 1770正徳の三河国吉田で、熱病を及ぼす約4メートルの大入道(山都)として善右衛門の話を記す。
- 『百怪図巻』 佐脇嵩之 1737見越し入道を顔と上半身だけ大きく捉え、全身の特徴は判然としない構図で描く。
- 『画図百鬼夜行』 鳥山石燕 1776「見越」の題で、大木の陰から覆いかぶさる姿を描く。首は長めだがろくろ首の強調ではない。
- 『夭怪着到牒』 北尾政美 1788毛深く長い首の女怪・尼入道を出し、女性版の見越し入道とされる。
- 『日本民俗誌大系』 今野圓輔、池田彌三郎(角川書店) 1974第9巻所収「檜枝岐民俗誌」。イタチの変化とし、提灯・桶・舵など持ち物を本体とする。
- 『岡山の怪談』 佐藤米司(日本文教出版) 1979岡山県の怪談を収める。小田郡の見下ろし禁忌と厠の見越し入道譚の出典。
- 『妖怪事典』 村上健司(毎日新聞社) 2000見越し入道の項で民間伝承と古典・図像を整理する。
ランキング順位Rankings
ゆかりの地Places
- 壱岐島(長崎県)現れる前に笹を揺らす音がし、「見越し入道見抜いた」と唱えれば消え、黙って通ると竹が倒れる。
- 檜枝岐村(福島県)イタチの変化とされ、提灯・桶・舵など持ち物が本体で、叩けば退治できるという。
- 豊橋(愛知県)旧三河国吉田町。『煙霞綺談』で善右衛門が大入道に踏み越えられた地。
- 小田郡(岡山県)頭から足元へ見下ろさねばならず、足から見上げると食い殺されるという。
- 両河内(静岡市)お見越しといい、小坊主が話の途中で背を伸ばし、「見越したぞ」と言えば消える。
- 天草(熊本県)一町田の下田の釜に御輿入道が現れ、神を念じると山へ飛び去ったと伝える。
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よくある質問FAQ
見越し入道とは何ですか?
夜道で出会うと、見上げるほどに背が伸びる入道姿の妖怪です。東北や関東の伝承に名が見え、高入道や見上げ入道と混同されることが多いです。
見越し入道は人を襲いますか?
積極的に人を害するというより、驚かせる・道を惑わせる類の怪とされます。見下ろすと小さくなる、正体を見破ると消える、といった結末も語られます。
高入道との違いは何ですか?
背の高い入道という点は共通し、江戸期の妖怪画では高入道の名で描かれることが多いです。見越し入道は、その類話が各地で「見越し」と呼ばれた例として整理されます。
見越し入道に遭ったらどうすればいいですか?
「見こした」「見抜いた」と唱えると消えるとされます。岡山県小田郡では頭から足元へ見下ろし、見上げると食い殺されるといいます。壱岐では現れる前の音を聞いて「見越し入道見抜いた」と唱えます。
見越し入道の正体は何ですか?
正体不明とする土地が多いです。『宿直草』はタヌキの変化とし、檜枝岐ではイタチ、信濃ではムジナ、キツネとする土地もあります。檜枝岐では提灯や桶など持ち物が本体ともいいます。
鳥山石燕はどのように描いていますか?
『画図百鬼夜行』に「見越」の題で、大木の陰から覆いかぶさるように描かれます。首が長めですが、ろくろ首のように首を伸ばす表現ではなく、背後から人を見る構図です。
最終更新: · 編集: 百鬼編集室

