がしゃどくろ

がしゃどくろgashadokuro

がしゃどくろは、飢饉や戦で倒れた人の骨が集まって生まれるという巨大な骸骨の妖怪で、夜に歩き回り人を食うとされる。

イメージ画(当サイト制作)
分類
死霊
分布
伝承地なし
出没
夜間
弱点・対処
記録なし
主な初期記録
『別冊少女フレンド』(1966)

9 出典 · 4,095 字 · 最終更新

解説Overview

がしゃどくろは、戦死者や野垂れ死にした者など、埋葬されなかった死者の骸骨と怨念が集まり巨大な骸骨になったとされる妖怪である。夜中にガチガチと音を立てて歩き、生者を見つけると握りつぶして食べると紹介される。本来漢字はなく、近年の創作で「餓者髑髏」と当てることがある。

昭和中期の創作で、民間伝承に由来しない。初出は『別冊少女フレンド』1966年11月号「あなたのそばにいる日本の妖怪特集」で、「あるくたびにガチガチと音をたて、目玉だけがとびでた巨大ながいこつ」とある。筆者斎藤守弘は、『ぼくら』昭和40年5月号のイギリス幽霊譚「グラミス城の黒い騎士」から作ったといい、幽霊の「がしゃがしゃ」という音が名の由来とされる。1968年に山内重昭『世界怪奇スリラー全集2 世界のモンスター』へ転載され、水木しげると佐藤有文の著書でも紹介が続いた。佐藤『日本妖怪図鑑』(1972)と水木の妖怪画は、国芳『相馬の古内裏』の巨大骸骨を姿の出自とした。この絵とがしゃどくろに直接の関係はない。

名称と語源

「がしゃどくろ」は、斎藤守弘が『別冊少女フレンド』1966年11月号「あなたのそばにいる日本の妖怪特集」で初めて活字にした呼称である。同記事では、歩くたびにガチガチと音を立てるものとしてこの名が紹介された。昭和中期に作られた名であり、民間伝承に由来する妖怪名ではない。

斎藤守弘によれば、種にしたのは『ぼくら』昭和40年5月号(1965年、講談社)に載ったイギリスの幽霊譚「グラミス城の黒い騎士」である。その幽霊が「がしゃがしゃ」と音を立てることが、がしゃどくろの語源と考えられる。種を明かしたのは記事を書いた斎藤自身であり、土地の方言や職能にさかのぼる語源説は、ここに挙げた文献には見当たらない。

漢字の定まった表記は本来存在しなかった。「餓者髑髏」と当て字できるため、近年の創作等ではその表記が用いられることもある。1966年の特集に土地ごとの異名は見えず、童子型・獣型といった在来の系統を示す別名でもない。

出典: 〔4〕〔5〕

姿かたち

がしゃどくろは、戦死者や野垂れ死にした者など、埋葬されなかった死者の骸骨や怨念が集まって巨大な骸骨の姿になったとされる。『別冊少女フレンド』1966年11月号「あなたのそばにいる日本の妖怪特集」は、目玉だけが飛び出した巨大な骸骨として紹介した。

佐藤有文『日本妖怪図鑑』(1972年)の図版と、水木しげるが描いた妖怪画は、歌川国芳の浮世絵『相馬の古内裏』に描かれた巨大な骸骨を出自とする姿を、がしゃどくろとして採用した。この浮世絵はがしゃどくろと直接の関係はないが、佐藤と水木の図像の出自となり、のちの定型像の根拠となった。目玉が飛び出した骸骨という紹介と、国芳図を出自とする図版とは、巨大な骸骨という点で重なる。

『相馬の古内裏』は、江戸時代に山東京伝が著した読本『善知安方忠義伝』を題材にした作品である。平将門の遺児である滝夜叉姫が呼び出した骸骨の妖怪が、大宅太郎光国に襲いかかる場面を描く。原作では等身大の骸骨が多数現われるところを、国芳は一体の巨大な骸骨として描いている。

出典: 〔4〕〔7〕〔8〕

性質と弱点

がしゃどくろは、夜中にガチガチという音を立ててさまよい歩き、生者を見つけると襲いかかり、握りつぶして食べるとされる。斎藤守弘が『別冊少女フレンド』1966年11月号に記した紹介も、歩く際に音をたてることを性質として挙げている。好む対象は生者であり、供物や特定の食物を求める記述はない。

弱点・対処法・禁忌は記録されていない。生者を握りつぶして食べるという害は、退散の手段を伴わずに語られる。初出を書いた斎藤守弘の記事は、音を立てて歩くことまでは伝えるが、退け方や避け方、近づいてはならない条件には触れていない。伝承地は無く、地域ごとの封じ方や禁忌も残っていない。

人に対しては害のみが語られる。水木しげるの著書は「がしゃどくろではないが」と断って、『日本霊異記』の備後国(広島県)の髑髏説話を同一項目に併載する。夜の野原で「目が痛い」とうめく髑髏の目の穴からタケノコを除き、乾飯を供えると、殺害の経緯など身の上を語って恩返しをした、という内容である。がしゃどくろの伝説と混同されることがあるが、がしゃどくろが人に恩を返す話ではなく、鎮めの手順にもならない。

出典: 〔4〕〔9〕

伝承・逸話

民間伝承の不在:がしゃどくろは昭和中期に創作された妖怪であり、民間伝承を由来とした妖怪ではない。最初に書籍に登場したのは、斎藤守弘が『別冊少女フレンド』1966年11月号「あなたのそばにいる日本の妖怪特集」に書いた紹介である。某村で誰が見たという一件も、土地の名を冠した話型も、この特集より前には確認できない。

善知安方忠義伝の骸骨群:歌川国芳の浮世絵『相馬の古内裏』は、江戸時代に山東京伝が著した読本『善知安方忠義伝』を題材にした作品である。原作の筋では、等身大の骸骨が多数現われる。がしゃどくろという名の妖怪がそこにあるわけではない。

相馬の古内裏の一体大骸骨:画題の「相馬の古内裏」は、平将門の遺児である滝夜叉姫が呼び出した骸骨の妖怪が、大宅太郎光国に襲いかかる場面を描く。姫が骸骨を呼び、光国へ向かわせる、という順である。原作の多数の等身大骸骨に対し、国芳は一体の巨大な骸骨として描いた。がしゃどくろと直接の関係はない。

日本霊異記の髑髏報恩:水木しげるの著書では、「がしゃどくろ」の項目に「がしゃどくろではないが」として髑髏に関する説話が併載されている。『日本霊異記』の話で、備後国(広島県)のある男が、夜の野原で「目が痛い」と不気味なうめき声を聞く。髑髏を見つけると、目の穴からタケノコが突き出ていた。男はそれを取り除き、乾飯を供える。髑髏は自分が殺害された経緯などの身の上を語り、男は恩返しを受ける。この説話をがしゃどくろの伝説と混同する向きもある。がしゃどくろは20世紀後半に生み出されたものであり、関連はない。

出典: 〔4〕〔8〕〔9〕

起源と解釈

定説:斎藤守弘の自己説明

斎藤守弘は、がしゃどくろを『ぼくら』昭和40年5月号(講談社)掲載のイギリスの幽霊譚「グラミス城の黒い騎士」から作ったと述べている。起源を作者自身が特定しており、民間伝承に遡る経路は示されていない。

図像出自の解釈:起源との区別

佐藤有文は『日本妖怪図鑑』(1972年)の図版で、歌川国芳の浮世絵『相馬の古内裏』をがしゃどくろの図像の出自とした。水木しげるの妖怪画も同じ出自による。国芳の画題は山東京伝の読本『善知安方忠義伝』であり、平将門の遺児である滝夜叉姫が呼び出した骸骨の妖怪が大宅太郎光国に襲いかかる場面を描く。原作では等身大の骸骨が多数現れるところを、国芳は一体の巨大な骸骨として描いた。この絵はがしゃどくろと直接の関係はない。

少数説:『日本霊異記』との混同

水木の著書は、がしゃどくろの項に「がしゃどくろではないが」として『日本霊異記』の備後国の髑髏説話を併載する。この説話をがしゃどくろの伝説と混同する向きもあるが、がしゃどくろは20世紀後半に生み出されたものであり、関連はない。

出典: 〔5〕〔7〕〔8〕〔9〕

史料の変遷

刊行の広がり:1968年、山内重昭『世界怪奇スリラー全集2 世界のモンスター』(秋田書店)に斎藤守弘の妖怪記事が転載された。同時期に水木しげるおよび佐藤有文も取り上げ、1970年代以後も両者の著書で紹介され続けた。

図像の転用:佐藤有文『日本妖怪図鑑』(1972)の図版と、水木しげるが描いた妖怪画は、歌川国芳の浮世絵『相馬の古内裏』に描かれた巨大な骸骨をがしゃどくろの図として採用した。国芳の絵はがしゃどくろと直接の関係はない。

画題の来歴:『相馬の古内裏』は山東京伝の読本『善知安方忠義伝』を題材とし、平将門の遺児である滝夜叉姫が呼び出した骸骨の妖怪が大宅太郎光国に襲いかかる場面を描く。原作では等身大の骸骨が多数現われるところを、国芳は1体の巨大な骸骨として描いている。

異説話の併載:水木の著書は「がしゃどくろではないが」として『日本霊異記』の説話を併載する。備後国(広島県)のある男が夜の野原で「目が痛い」という呻きを聞き、髑髏の目の穴から突き出たタケノコを除いて乾飯を供えると、髑髏が殺害の経緯を語り恩返しをしたとされる。この説話ががしゃどくろの伝説と混同される向きもあるが、関連はない。

出典: 〔6〕〔7〕〔8〕〔9〕

ゆかりの地

伝承地: 村名・社寺・祭礼・碑など、所在を特定できるがしゃどくろの伝承地は、斎藤守弘が1966年に記した初出記事にも現れない。訪ね得る土地はない。

備後国(広島県): 水木しげるの著書は、がしゃどくろ項に『日本霊異記』の髑髏説話を「がしゃどくろではないが」として併載する。舞台は備後国(広島県)とされる。同説話はがしゃどくろの伝承ではなく関連はないため、広島県をゆかりの地として訪ねる根拠にはならない。

相馬の古内裏: 歌川国芳『相馬の古内裏』の画題は、平将門の遺児・滝夜叉姫が呼び出した骸骨が大宅太郎光国に襲いかかる場面にかかる。がしゃどくろと直接の関係はなく、同図の舞台を所在地つきの伝承地として訪ねることはできない。

出典: 〔4〕〔8〕〔9〕

現代の受容

図像の定着:佐藤有文『日本妖怪図鑑』(1972年)の図版と水木しげるの妖怪画は、歌川国芳『相馬の古内裏』の巨大な骸骨をがしゃどくろの姿として用いた。同作は山東京伝『善知安方忠義伝』を題材に、平将門の遺児である滝夜叉姫が呼び出した骸骨が大宅太郎光国に襲いかかる場面を、原作の等身大の多数ではなく一体の巨大な骸骨として描いたもので、がしゃどくろと直接の関係はない。現代におけるがしゃどくろのイメージを決定付けた絵とされる。

キャラクターと民俗像:1970年代以後、水木しげるおよび佐藤有文の著書が紹介を続け、広く知られるようになった。土地の語りに対応する民俗学上の定型像は無く、流通しているのは図鑑と妖怪画が定着させたキャラクター像である。本来漢字表記は存在せず、近年の創作等では「餓者髑髏」の当て字が用いられることもある。

出典: 〔7〕〔8〕

出典・参考文献References

  1. 『諸国百物語』 1677
    江戸時代の怪談集。骸骨の怪異が収録される。
  2. 『遠野物語』 柳田國男(聚精堂) 1910
    岩手県遠野地方の伝承を収録。
  3. 『妖怪談義』 柳田國男(修道社) 1956
    がしゃどくろを含む妖怪の考察。
  4. 『別冊少女フレンド』 斎藤守弘(講談社) 1966
    1966年11月号「あなたのそばにいる日本の妖怪特集」。歩くたびにガチガチと音を立て、目玉だけが飛び出した巨大な骸骨として初紹介した。
  5. 『ぼくら』(講談社) 1965
    昭和40年5月号でイギリスの幽霊譚「グラミス城の黒い騎士」を紹介。斎藤守弘ががしゃどくろを作る種にしたと述べ、幽霊の「がしゃがしゃ」という音が名の由来とされる。
  6. 『世界怪奇スリラー全集2 世界のモンスター』 山内重昭(秋田書店) 1968
    斎藤守弘の妖怪記事を転載し、がしゃどくろを再紹介した。
  7. 『日本妖怪図鑑』 佐藤有文(立風書房) 1972
    図版で歌川国芳『相馬の古内裏』に由来する巨大骸骨をがしゃどくろの姿として用いた。
  8. 『相馬の古内裏』 歌川国芳
    滝夜叉姫が呼び出した骸骨が大宅太郎光国に襲いかかる場面を巨大な一体として描く。がしゃどくろと直接の関係はないが、佐藤・水木の図像の出自となった。
  9. 『日本霊異記』 景戒
    備後国の髑髏が目の痛みを訴え、タケノコを除かれ乾飯を供されて身の上を語り恩返しをする説話。水木の著書でがしゃどくろ項に併載されるが、がしゃどくろの伝承ではない。

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よくある質問FAQ

がしゃどくろは実在しますか?

がしゃどくろは伝説上の妖怪であり、実在はしません。ただし、その起源には飢饉や戦争で亡くなった人々への畏敬の念が反映されています。

がしゃどくろの弱点は何ですか?

一般的に明確な弱点は伝えられていませんが、一部の創作では、供養によって成仏させることができるとされます。

がしゃどくろは昔からの伝承ですか?

民間伝承に由来しない。昭和中期の創作で、書籍への初出は『別冊少女フレンド』1966年11月号の特集である。筆者の斎藤守弘が、イギリスの幽霊譚をもとに作ったと述べている。

がしゃどくろの名前の由来は何ですか?

斎藤守弘によれば、『ぼくら』昭和40年5月号に載った「グラミス城の黒い騎士」が「がしゃがしゃ」と音を立てることが名の由来と考えられる。漢字の「餓者髑髏」は本来なく、近年の創作で当てたものである。

がしゃどくろの姿のモデルは何ですか?

初出では、歩くたびにガチガチと音を立て、目玉だけが飛び出した巨大な骸骨とされる。佐藤有文『日本妖怪図鑑』(1972)や水木しげるの妖怪画は、歌川国芳『相馬の古内裏』の巨大骸骨を出自とした。この絵とがしゃどくろに直接の関係はない。

『日本霊異記』の髑髏の話はがしゃどくろですか?

備後国の男が野の髑髏の目からタケノコを除き、乾飯を供えて身の上を聞く説話である。水木の著書でがしゃどくろの項に併載されるが、がしゃどくろは20世紀後半の創作であり、この説話との関連はない。

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最終更新: · 編集: 百鬼編集室