酒呑童子
丹波国大江山を本拠とした鬼の首領。源頼光と四天王に討たれた室町期以降の酒呑童子譚で知られる。

- 分類
- 鬼
- 分布
- 丹波国
- 出没
- 洞窟の御殿
- 弱点・対処
- 神便鬼毒酒
- 主な初期記録
- 『大江山絵詞』
解説Overview
酒呑童子(しゅてんどうじ)は、丹波国と丹後国の境の大江山、または山城国と丹波国の境の大枝(老の坂)に住んでいたと伝わる鬼の頭領、あるいは盗賊の頭目である。酒を好んだため手下からこの名で呼ばれ、酒顛童子、酒天童子、朱点童子とも記す。大江山では洞窟の御殿に棲み、茨木童子らを部下にした。伝承では源頼光と渡辺綱らに太刀で首を斬られて倒された。
諸本は住処を大江山とする大江山系と、近江国伊吹山とする伊吹山系に大別される。最古の稿本は南北朝後期から室町初期頃の『大江山絵詞』(逸翁美術館蔵)で、綴りは酒天童子である。同絵詞は身長五丈、五色の体、五本の角と十五の目と記し、頼光らが神便鬼毒酒を飲ませて首をはねたと語る。
名称と語源
酒呑童子は、酒を好んだために家来からその名で呼ばれたと、逸翁美術館蔵『大江山絵詞』(香取本、南北朝後期から室町初期頃)が伝える。文献によっては酒顛童子、酒天童子、朱点童子などとも記される。
『大江山絵詞』は「酒天童子」と綴り、住処を丹波国大江山とする系統に属する。室町時代成立のサントリー美術館蔵『酒伝童子絵巻』(古法眼狩野元信筆)は「酒伝童子」とし、近江国伊吹山を住処とする系統に属する。高橋昌明はこの二分を「逸本系」「サ本系」と呼ぶが、分類法には異論・慎重論もある。1720年刊の御伽文庫本は『酒吞童子』、奈良絵本は『酒典童子』と題する。
越後の伝承では、国上寺(新潟県燕市)蔵「大江山酒顛童子」絵巻が幼名を外道丸とする。御伽草子本では童子みずから「本国は越後の者」と語る。名を丹後漂着のドイツ人シュタイン・ドッチに由来させる説があり、高橋昌明は昭和27年(1952年)『週刊朝日』掲載の短編「酒顛童子」にその人物描写の出所を求めうるとしている。
姿かたち
『大江山絵詞』(逸翁美術館蔵、通称香取本。南北朝後期から室町初期頃)によれば、酒天童子の身長は五丈(約15メートル)に及び、頭と体は赤、左足は黒、右手は黄、右足は白、左手は青の五色に分かれ、五本の角と十五個の目を持つ異形の姿であったとされる。
室町時代成立のサントリー美術館蔵『酒伝童子絵巻』(古法眼狩野元信筆)は童子を図として残し、鳥山石燕『今昔画図続百鬼』(1779年)雨の巻は「酒顛童子」の図を載せる。絵詞の五色五角十五目とこれらの図との対応、および定型像が固まった時期は、これらの史料からは辿れない。
奈良絵本『酒典童子』は、比叡山の稚児であった酒典童子が、内裏の風流踊として出す鬼踊りの面を全て自ら用意し、面を着けたまま山に帰って寝たところ、翌朝外れなくなったと記す。その鬼の姿を僧たちに恐れられたとする。のち伊吹山北西の岩屋にこもり、神通力を持つ鬼の姿となったと伝える。
性質と弱点
京の都への出没と略奪が、酒呑童子の害として諸本に共通する。『大江山絵詞』(逸翁美術館蔵、香取本。南北朝後期から室町初期頃)では、一条天皇の時代に京の若者や姫君が次々と神隠しに遭い、安倍晴明の占いで大江山の鬼の仕業とされた。享保5年(1720年)の御伽文庫本(渋川本)『酒吞童子』では、茨木童子らを従えて大江山から京都に現れ、若い貴族の姫君をさらって側に仕えさせ、刀で切って生のまま喰ったと伝える。奈良絵本『酒典童子』は、近江国伊吹山の岩屋に棲んで一帯の人をさらって食べたとし、最澄の祈祷によってその山から追放されたと記す。
酒を好み、人の血を酒に見立てて飲む。この嗜好に乗じて毒酒が用いられた。渋川本では姫君の血の酒と人肉をともにしたのち、神から授かった「神便鬼毒酒」を酒盛りの最中に飲ませ、動けなくなったところを押さえて寝首を掻く。『大江山絵詞』も八幡大菩薩所与の「神変奇特酒」(神便鬼毒酒)を振る舞い、寝所を襲って首をはねたとし、生首はなお頼光の兜に噛みついたため、一行は仲間の兜を重ねて難を逃れた。渋川本では、欺かれた童子が「鬼に横道はない」と頼光をののしった。
伝承・逸話
大江山征伐: 逸翁美術館蔵『大江山絵詞』(香取本、南北朝後期から室町初期頃)では、帝が長徳元年(995年)に源頼光と藤原保昌らを大江山へ遣わしたとする(正歴元年〈990年〉に頼光へ勅宣を出したとする記述もある)。一行は山伏に装い一夜の宿を乞う。酒呑童子側は京から成敗に来るとの報を得て詰問するが、疑いを晴らしたのち酒を酌み交わす。頼光らは八幡大菩薩より授かった神変奇特酒(神便鬼毒酒)を振る舞い、笈の武具で身を固め寝所を襲って首をはねた。生首はなお頼光の兜に噛みつこうとしたが、一行は兜を重ねて難を逃れた。首級は京で帝らが検分したのち、宇治の平等院の宝蔵に納められたと伝える。
御伽草子本の大江山譚: 享保5年(1720年)刊の御伽文庫本(渋川本)『酒吞童子』では、摂津源氏の源頼光と嵯峨源氏の渡辺綱を筆頭とする頼光四天王(渡辺綱、坂田公時、碓井貞光、卜部季武)が討伐隊を組む。山伏に扮し甲冑を笈に隠す戦術は武者たち自身が考案したとする。途中で出会う洗濯女は花園の中納言の一人娘で、年齢十七、八と記される。酒盛りののち神便鬼毒酒で体を封じ寝首を掻いた一行に対し、切られた首は頼光の兜に噛み付き、酒呑童子は「鬼に横道はない」とののしった。配下には茨木童子のほか星熊童子、熊童子、虎熊童子、金童子がおり、茨木童子は渡辺綱に腕を切り落とされた経緯を述懐したのち戦闘で討たれる。
越後出生譚: 御伽草子本では、酒呑童子は本国を越後国とし山寺育ちであったと明かす。新潟県燕市の国上寺に伝わる話では、平安初期に越後で生まれた童子が同寺の稚児となり、届いた恋文を読まずに焼いたため、想いを伝えられなかった女たちの恋心が煙となって取り巻き、その怨念で鬼になったとされる。同寺の絵巻「大江山酒顛童子」は幼名を外道丸とし、越後国砂子塚城主・岩瀬俊綱の子として母の胎内に三年いたのち生まれ、乱暴を案じた両親により国上寺へ出されたと記す。『前太平記』は、6歳にして母親に捨てられ各地を流浪して鬼への道を歩んだとする。
伊吹山出生譚: 奈良絵本『酒典童子』によれば、近江国須川(米原市)の長者の娘・玉姫御前と伊吹山の伊吹大明神(八岐大蛇)との間に生まれ、祖父である須川の長者の子として育てられた。10歳で比叡山の稚児となり、内裏の風流踊に用いる鬼の面を用意し、披露ののち酒を飲んで面を着けたまま寝たところ翌朝外れなくなった。最澄に比叡山を追われ、祖父にも迎えられず伊吹山北西の岩屋にこもって鬼となり、のち最澄の祈祷で伊吹山からも追放され、各地の山を経て大江山に至ったと伝える。
起源と解釈
出自の伝承: 酒呑童子の生まれをめぐる語りに、単一の定説はない。広く流布したのは越後出生で、享保5年(1720年)刊の御伽文庫本『酒吞童子』では、童子が「本国は越後の者」と語り、比叡山を伝教大師に追われ大江山へ移ったとする。『前太平記』は越後に生まれ6歳で母に捨てられ流浪して鬼となったと記す。奈良絵本『酒典童子』は近江国須川の玉姫御前と伊吹大明神(八岐大蛇)の子とし、鬼の面が外れず最澄に比叡山を追われたのち伊吹山の岩屋で鬼となったと伝える。伊吹山麓ではスサノオに敗れた八岐大蛇が近江へ落ち延び富豪の娘に産ませたとする伝承もあり、父子ともに酒を好むことが根拠に挙げられる。大江山の伝説を、大枝の山賊が行人を悩ませたことの誤り伝えと見る説もある。
研究史: 歴史家の高橋昌明は『酒呑童子の誕生』(1992年)で、大江山奥の岩穴を生と死の境界、その御殿を仙境あるいは冥界、「一口で形容するならば、竜宮」と解釈した。高橋は正暦5年(994年)の疱瘡流行が伝説に関わると見、『史記』の蚩尤伝説、唐代小説『補江総白猿伝』、明代『陳巡権梅嶺失妻記』との類似も認める。血を酒のように飲む描写を、丹後に漂着したドイツ人シュタイン・ドッチの赤ぶどう酒とする説があるが、高橋は昭和27年(1952年)『週刊朝日』掲載の短編「酒顛童子」が出所かもしれないとし、古来の伝承とは分けて扱う。
史料の変遷
諸本の系統:諸本は、童子の住処を丹波国大江山とする大江山系と、近江国伊吹山とする伊吹山系とに大別されるとされる。この分類法には異論・慎重論もある。高橋昌明は前者を逸本系、後者をサ本系と呼んでいる。
最も古い稿本は、逸翁美術館蔵『大江山絵詞』(下総香取神社の大宮司家旧蔵、通称香取本。南北朝後期から室町初期頃)とされる。欠損部分が多く、冒頭は陽明文庫本によって補完でき、結末は本地譚であったことが断片などより判明している。重要文化財に指定されている。
大江山系にはこの絵詞と、1720年に渋川清右衛門が刊行した御伽文庫本『酒吞童子』が属する。伊吹山系に属するのはサントリー美術館蔵『酒伝童子絵巻』(因幡池田家旧蔵、室町時代成立、古法眼狩野元信筆)である。江戸時代の絵巻は多数伝来し、御伽草子版本のテキストには明治の頃よりの編本がある。
役割の移動:『大江山絵詞』には源頼光と藤原保昌の名が並び、古い形態では両者が対等の関係にあったとされる。室町時代中期から戦国時代にかけて頼光と四天王が主役へ置き換わり、御伽文庫本では保昌は頼光の郎党として扱われる。南北朝時代成立とされる千葉氏の「宝生の太刀」伝承のように、退治の功績を保昌(宝生)に帰する説話も残る。
ゆかりの地
大江山(京都府福知山市大江町):丹波国と丹後国の境にあり、逸翁美術館蔵『大江山絵詞』(香取本)が酒天童子の本拠とする。山中の鬼岳稲荷山神社は首を埋めたとの伝えを由来とする。山城国と丹波国の境の大枝・老ノ坂(京都市西京区)も住処の一説で、峠の首塚大明神は首を葬った地と伝え、首から上の病に霊験があるとする。丹後国の成相寺は神便鬼毒酒に用いたという徳利(瓶子)と酒杯を所蔵する。東京国立博物館の太刀「童子切」は国宝で天下五剣に選定され、兵庫県川西市の多田神社所蔵の安綱銘「鬼切丸」も退治の伝承を持つ。
伊吹山(滋賀県):サントリー美術館蔵『酒伝童子絵巻』(古法眼狩野元信筆)が住処とする。奈良絵本『酒典童子』は近江国須川(米原市)と伊吹山北西の岩屋を舞台に記す。国上寺(新潟県燕市):「大江山酒顛童子」の絵巻を伝える。和納(現・新潟市西蒲区)には童子屋敷、童子田の地名が残る。
現代の受容
舞台芸能:能に『大江山』がある。近代の歌舞伎では、萩原雪夫が十七代目中村勘三郎に宛てて書き下ろした長唄の舞踊劇『大江山酒呑童子』が昭和38年(1963年)6月、歌舞伎座で初演された。題は享保5年(1720年)刊の御伽文庫本『酒吞童子』の名を踏む。
祭礼:東京都千代田区の神田明神で5月に行われる神田祭では、2年に一度の本祭の神幸祭附祭として「大江山凱陣」が行われ、源頼光・頼光四天王らに扮した人々が酒呑童子の首をかたどった山車とともに練る。『江戸名所図会』の「神田明神祭禮」図にも見え、享保5年刊の御伽文庫本『酒吞童子』が広めた退治譚が江戸の祭礼でも題材化されていた。曳山の喪失後は途絶えていたが、平成19年(2007年)の神幸祭で文化資源学会の協力により高さ4メートルのバルーンとして復元され、約170年ぶりに復活した。佐賀県唐津市の唐津くんち(唐津神社の秋季例大祭、毎年11月)では米屋町の「酒呑童子と源頼光の兜」が市内を巡幸し、新潟県燕市の秋期イベント「酒呑童子行列」ではよさこい風演舞チーム「酒呑童子」が演舞を披露する。
近代の再話と像の差:高橋昌明は、昭和27年(1952年)『週刊朝日』掲載の短編「酒顛童子」にシュタイン・ドッチという人物が登場することを指摘している。民間伝承の古層ではなく、昭和の雑誌小説における再話である。祭礼の山車や舞踊の役は首・兜で扱いやすい像であり、逸翁美術館蔵『大江山絵詞』(香取本)が記す中世稿本上の像とは層を異にする。
出典・参考文献References
- 『大江山絵詞』南北朝後期から室町初期の稿本(逸翁美術館蔵、香取本)。酒天童子の綴りで、神便鬼毒酒による討伐と首級の平等院収納を記し、姿を五丈・五色・五角十五目とする。
- 『酒伝童子絵巻』 狩野元信室町時代成立、古法眼狩野元信筆(サントリー美術館蔵)。住処を近江国伊吹山とする伊吹山系(サ本系)の代表的絵巻。
- 『御伽草子 酒吞童子』(渋川清右衛門) 1720享保5年刊の御伽文庫本(渋川本)。越後出身、比叡山と高野山からの追放、神便鬼毒酒による寝首、切られた首の噛みつき、「鬼に横道はない」の罵倒を記す。
- 『酒典童子』奈良絵本。近江国須川の長者の娘・玉姫と伊吹大明神(八岐大蛇)の子として生まれ、鬼の面が外れず比叡山を追われ伊吹山の岩屋で鬼となる出生譚を記す。
- 『今昔画図続百鬼』 鳥山石燕 1779雨の巻に「酒顛童子」の図を載せる。
- 『前太平記』越後の出生譚として、6歳で母親に捨てられ各地を流浪して鬼への道を歩んだと記す。
- 『酒呑童子の誕生』 高橋昌明(中央公論社) 1992諸本を逸本系・サ本系に分け、大江山奥の岩穴を生と死の境界・竜宮と解釈する。正暦5年(994)の疱瘡流行との関係やシュタイン・ドッチ説にも触れる。
ランキング順位Rankings
ゆかりの地Places
- 大江山(京都府)丹波国と丹後国の境。洞窟の御殿に棲み、茨木童子らを部下にしたと伝える。
- 老ノ坂(京都市西京区)山城国と丹波国の境。討伐後に首が動かなくなり、首塚大明神として祀られたと伝える。
- 伊吹山(滋賀県)伊吹山系諸本の住処。奈良絵本では伊吹大明神(八岐大蛇)の子として生まれる。
- 国上寺(新潟県燕市)越後国の出生譚で稚児となった寺。絵巻に幼名を外道丸と記す。
- 平等院(宇治)『大江山絵詞』では首級を帝が検分したのち宝蔵に納めたと記す。
- 成相寺(京都府)丹後国。神便鬼毒酒に用いたという徳利と酒杯を所蔵する。
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よくある質問FAQ
酒呑童子はどこにいた鬼ですか?
丹波国の大江山(現在の京都府北部から兵庫県にかけての地域)を根城にしたとされる鬼の首領です。
酒呑童子を退治したのは誰ですか?
源頼光とその四天王(渡辺綱・坂田金時・碓井貞光・卜部季武)が討伐したと語られています。
酒呑童子の名前の由来は?
「酒を呑む童子」の意で、酒宴を好む鬼としての性格に由来するとされます。
酒呑童子の首塚はありますか?
京都府内に酒呑童子の首が落ちたと伝える首塚が複数あり、大江山周辺の伝承地として知られています。
酒呑童子はどこにいた鬼ですか
丹波国と丹後国の境の大江山、または山城国と丹波国の境の大枝(老の坂)に住んだと伝える。いずれも現在の京都府内である。近江国伊吹山を住処とする系統もある。
酒呑童子を退治したのは誰ですか
源頼光と配下の渡辺綱らが太刀で首を斬ったと伝える。『大江山絵詞』では藤原保昌も同行し、御伽草子渋川本では頼光四天王が討伐隊を組む。
最終更新: · 編集: 百鬼編集室

