一つ目小僧
一つ目小僧(ひとつめこぞう)は、江戸時代の絵草子や随筆に現れ、京阪を中心に東海・関東にも伝わる一つ目の小僧姿の妖怪。

- 分類
- 僧形の怪
- 分布
- 関東・会津・岡山・丹波
- 出没
- 路上・坂・橋・人家
- 弱点・対処
- 軒先の目籠
- 主な初期記録
- 『怪談老の杖』
解説Overview
一つ目小僧は、額の真ん中に目が一つだけある坊主頭の子供の姿をした妖怪である。一般には突然現れて人を驚かせるだけで、特に危害を加えないとされる。絵に描かれるときはかわいらしい、あるいはユーモラスな姿になることが多い。
呼称は土地で分かれる。江戸時代の妖怪画『百怪図巻』『化物づくし』『化物絵巻』では「目一つ坊」と描かれ、奥州では「一つまなぐ」と呼ばれたという。小僧の姿については、比叡山の一眼一足法師に由来するとの説がある。
性質は、屋内より屋外に現れることが多い。平秩東作『怪談老の杖』の江戸麻布の屋敷話では、十歳ほどの小僧が掛け軸を巻き上げ下ろし、振り返ると目が一つしかなく、出会った男は倒れたが、屋敷では年に四、五回あっても悪さはしないとされた。会津若松や岡山の一口坂、丹波篠山の番所橋(酒買い小僧)にも出現譚がある。関東では旧暦二月八日と十二月八日の事八日に山里から出て、目籠を軒先に掲げて追い払う。柳田國男は『妖怪談義』で、山の神の零落した姿と説いた。
名称と語源
一つ目小僧(ひとつめこぞう)は、目が一つである小僧、すなわち修行中の僧の童子を指す呼び名である。「小僧」の姿で呼ばれることについては、第18代天台座主・良源の化身とされる比叡山の妖怪「一眼一足法師」に由来するという説があり、「一つ目入道」の名も併せて挙げられる。江戸時代の怪談・随筆には一つ目小僧の名が多く見え、平秩東作『怪談老の杖』の話がよく知られる。
江戸の妖怪画では表記がゆれる。佐脇嵩之『百怪図巻』(1737年)、『化物づくし』、『化物絵巻』はいずれも「目一つ坊」の名で描き、「坊」も僧の童子を示す。
地方の異名も童子型に属する。奥州では「一つまなぐ」と呼ばれたとされ、兵庫県丹波篠山市の「篠山の怪談七不思議」では番所橋の怪異が「酒買い小僧」の名で伝わる。村上健司編『日本妖怪大事典』(2005年)は、これらの呼称を一つ目小僧の項に整理している。
柳田國男は『妖怪談義』(1956年)で、眇(すがめ)を俗に「目が一つ」と言う土地があることを記し、「一つ目」の呼称をこの言い回しと結びつけて論じた。
姿かたち
額の中央に目を一つだけ置いた坊主頭の子供が、一つ目小僧の基本の姿である。江戸時代の妖怪画では、『百怪図巻』『化物づくし』『化物絵巻』に「目一つ坊」の名で、一つ目の坊主姿が描かれている。
随筆と地方の記録では、年齢や丈に差がある。平秩東作『怪談老の杖』は、江戸麻布の武家屋敷に現れた十歳ほどの小僧が、振り返ると目を一つしか持たなかったと記す。『会津怪談集』では会津若松で八、九歳ほどの子供の顔に目が一つだったと伝え、兵庫県丹波篠山市の「篠山の怪談七不思議」では、番所橋に顔の中央の丸い一つ目が光る、身の丈三尺足らず(約九十センチ)の小僧が晩秋の雨の夜に立つという。『岡山の怪談』では、岡山県久米郡久米南町上籾今井谷の一口坂に、青白い光とともに現れ、長い舌で嘗める姿が伝えられる。
絵にされるときは、かわいらしい、あるいはユーモラスな姿にまとまることが多い。妖怪かるたには豆腐を持たせた図があり、多田克己は『幻想世界の住人たち』で、豆粒が魔滅に通じるために豆を嫌った伝承が、好物を豆腐とする描き方へすり替わったと述べている。
性質と弱点
一つ目小僧は、これといって危害を加えるようなことはなく、突然現れて人を驚かすだけとされる。村上健司編『日本妖怪大事典』(2005)は比較的無害な部類とし、性格・行動はからかさ小僧に通じると整理する。平秩東作『怪談老の杖』の麻布の武家屋敷でも、年に四、五回の怪異はあるが特に悪さはせず、四谷の小嶋弥喜右衛門は二十日ほど寝込んだのち回復したと伝える。
好物として妖怪かるたに豆腐を持つ図がある。多田克己は『幻想世界の住人たち』(1990)で、「豆粒」が「魔滅」に通じるため豆を嫌う伝承が、いつしか豆腐好みへすり替わり、豆腐小僧へ繋がったと説明する。
関東では旧暦二月八日と十二月八日の事八日の夜、箕借り婆とともに山里から出て帳面を持ち、戸締りや行儀の落ち度を調べ、運勢を決める、または疫病神へ報告して災難をもたらすと伝える。対処は軒先の目籠と、籠に刺して一つ目を突くヒイラギである。事八日は物忌として仕事をせず家に籠もる地方が多く、柳田國男「年中行事調査標目」(『旅と伝説』6巻9号、1933)が禁忌理解の根拠となる。のちに化け物が現れるから籠もると読み替えられ、その化け物を一つ目小僧や箕借り婆とする説がある。横浜市瀬谷区では一月十四日のどんど焼きで道祖神の仮の祠を、静岡県伊豆地方では正月十五日の道祖神祭で道祖神像を焼き、預けた帳面を失わせて災難を免れると伝える。
伝承・逸話
屋敷の掛け軸:平秩東作『怪談老の杖』に、江戸四谷の小嶋弥喜右衛門が麻布の武家屋敷で遭った話がある。所用で屋敷へ赴き、部屋で待たされていたところ、十歳ほどの小僧が現れて、床の間の掛け軸を巻き上げたり下ろしたりを繰り返した。弥喜右衛門が悪戯を注意すると、小僧は「黙っていよ」と振り返り、その顔には目が一つしかなかった。弥喜右衛門は悲鳴を上げて倒れ、声に驚いた屋敷の者により自宅へ運ばれた。屋敷の者によれば、そのような怪異は年に四、五度あるが、特に悪さはしないという。弥喜右衛門は二十日ほど寝込んだものの、その後は元気を取り戻したとされる。
銭を勧める童:『会津怪談集』によれば、会津若松の本四ノ丁付近である少女が八、九歳ほどの子供に出会い、「お姉さん、お金欲しい?」と問われて「欲しい」と答えると、子供の顔には目が一つしかなかった。一つ目に睨まれた少女はそのまま気絶したという。村上健司編『日本妖怪大事典』(2005)は、会津に残るこの話を一つ目小僧の伝承として記す。
一口坂の嘗め:『岡山の怪談』によれば、岡山県久米郡久米南町上籾今井谷に一口坂という坂道がある。かつて夜にそこを歩くと青白い光とともに一つ目小僧が現れ、腰を抜かした者を長い舌で一口嘗めたといい、一口坂の名の由来とされる。
番所橋の酒買い小僧:兵庫県丹波篠山市に伝わる「篠山の怪談七不思議」では、晩秋の雨の夜に番所橋へ、顔の真ん中に丸い一つ目が光る、身の丈三尺足らず(約九十センチ)の小僧が現れると伝える。これに出会うと武士でも怖気がするといい、この怪談は「酒買い小僧」の名称で伝わる。
起源と解釈
定説:柳田國男は『妖怪談義』(原著1956年)で、妖怪を神の零落した姿とみる考えを基に、一つ目小僧を山の神の零落した姿であると説いた。同書によれば、山の神は眇(すがめ。斜視・やぶにらみの意)であるという伝承を持つ地域があり、眇は俗に「目が一つ」と言われることから、これも山の神霊を起源とするものだという。柳田は、古の神祭の生贄として供された片目片足を損じられた者の存在も示唆し、猟師やきこりが山中に祀った自然神の伝承には一つ目一本足の異形の神の姿形が垣間見えるとした。
少数説:『妖怪談義』は製鉄神との関連にも触れ、たたら製鉄に従事する者に炉を見続けることによって片目を失った者が多くいたことを根拠に、製鉄従事者が信仰する単眼神・天目一箇神とのつながりを指摘する説があるとする。
祭事の解釈:関東地方では、旧暦2月8日と12月8日の事八日の夜に、箕借り婆とともに山里から出てくるという言い伝えがある。事八日はかつて物忌として仕事をせず家に籠もる地方が多かったが、その家籠もりが化け物の出現のためと解釈され、その化け物を一つ目小僧とする説もある。柳田國男「年中行事調査標目」(『旅と伝説』6巻9号、通巻69号、1933年)は年中行事の調査項目を示した。
史料の変遷
一つ目小僧の名は江戸時代の怪談・随筆に多く見え、絵の記録は佐脇嵩之『百怪図巻』(1737年)、『化物づくし』、『化物絵巻』が「目一つ坊」の画題で残す。随筆の呼称と画巻の呼称が並走していた。
文字資料でよく知られるのは平秩東作『怪談老の杖』である。絵巻が画題を残すのに対し、随筆は麻布の武家屋敷での遭遇を怪異の記録として残した。
柳田國男「年中行事調査標目」(『旅と伝説』6巻9号、通巻69号、1933年)は年中行事の調査項目を示し、関東の旧暦2月8日と12月8日の事八日にかかわる禁忌の理解を民俗調査の枠に置いた。怪談の名として残っていた存在が、物忌や家籠もりの解釈と結びつけて記録される。
柳田國男『妖怪談義』(原著1956年)は一つ目小僧を論の対象として取り上げ、口承と年中行事の記述を学術の文脈に載せた。多田克己『幻想世界の住人たち』(1990年)は妖怪かるたの図像を資料に伝承のすり替わりを跡づけ、村上健司編『日本妖怪大事典』(2005年)は姿・伝承・民間信仰を事典項目として整理した。この段階で参照される口承には、奥州の「一つまなぐ」という呼びと、見世物を落ちにした落語『一眼国』がある。
ゆかりの地
一口坂:岡山県久米郡久米南町上籾今井谷に一口坂がある。『岡山の怪談』は、夜に青白い光とともに一つ目小僧が現れた坂とし、坂名の由来とする。
番所橋:兵庫県丹波篠山市の番所橋は、「篠山の怪談七不思議」に晩秋の雨の夜の出現を伝える橋である。この話は「酒買い小僧」の名でも残る。
一つ目小僧地蔵:神奈川県座間市では、1932年(昭和7年)に市内の墓地から眼窩が一つしかない頭蓋骨が掘り出され、供養のために一つ目小僧地蔵が建造された。
麻布・本四ノ丁:江戸の麻布は、平秩東作『怪談老の杖』に武家屋敷の怪異の舞台として見える。会津若松の本四ノ丁付近は『会津怪談集』に子供の怪異を伝える通りである。
瀬谷・伊豆:神奈川県横浜市瀬谷区では、事八日にかかわる道祖神の仮の祠を1月14日のどんど焼きで燃やす。静岡県伊豆地方では正月15日の道祖神祭で道祖神像を火に入れる。
現代の受容
妖怪研究家・多田克己の『幻想世界の住人たち』(1990)は、妖怪かるたの豆腐を持つ一つ目小僧を取り上げ、豆粒が魔滅に通じるため豆を嫌った伝承が好物豆腐へすり替わり、豆腐小僧の伝承に繋がったと説明する。かるたという商品が、禁忌の言い伝えとは別の図柄を流通させた。絵としてはかわいらしい、もしくはユーモラスなデザインになることが多く、突然現れて驚かす話型の小僧とは印象が分かれる。
村上健司編『日本妖怪大事典』(2005)は姿・伝承・民間信仰を事典項目にまとめた。柳田國男「年中行事調査標目」(『旅と伝説』6巻9号、1933年)は事八日などの禁忌を調査項目に示し、『妖怪談義』(原著1956年)は山の神の零落した姿として説く。事典と民俗学が扱う像と、かるたの童子像とは、同じ名で並ぶ別の層である。
出典・参考文献References
- 『怪談老の杖』 平秩東作江戸四谷の小嶋弥喜右衛門が麻布の武家屋敷で十歳ほどの一つ目の小僧に遭い、倒れて二十日ほど寝込んだ話。
- 『百怪図巻』 佐脇嵩之 1737「目一つ坊」の名で一つ目の坊主姿を描く。
- 『化物づくし』江戸時代の妖怪画。「目一つ坊」の名で描く。
- 『化物絵巻』江戸時代の妖怪画。「目一つ坊」の名で描く。
- 『妖怪談義』 柳田國男(講談社) 1956一つ目小僧を山の神の零落した姿とし、眇を「目が一つ」と呼ぶ伝承および生贄・製鉄神との関連を説く。
- 『年中行事調査標目』 柳田國男(三元社) 1933『旅と伝説』6巻9号(通巻69号)。年中行事の調査項目を示し、事八日などの禁忌理解の根拠となる。
- 『幻想世界の住人たち』 多田克己(新紀元社) 1990妖怪かるたの豆腐図について、豆粒が魔滅に通じるため豆を嫌った伝承が好物豆腐へすり替わり、豆腐小僧へ繋がったと説明する。
- 『日本妖怪大事典』 村上健司(角川書店) 2005一つ目小僧の姿・伝承・民間信仰を整理する現代の妖怪事典。
ランキング順位Rankings
ゆかりの地Places
- 麻布(東京都)『怪談老の杖』で小嶋弥喜右衛門が武家屋敷に待たされ、一つ目の小僧に遭った土地。
- 会津若松(福島県)『会津怪談集』で本四ノ丁付近の少女が一つ目の子供に金を問われて気絶したとされる。
- 一口坂(岡山県久米南町)夜に青白い光とともに現れ、腰を抜かした者を長い舌で嘗めたとされる坂。
- 番所橋(兵庫県丹波篠山市)晩秋の雨の夜に身の丈三尺足らずの一つ目の小僧(酒買い小僧)が現れる。
- 座間(神奈川県)1932年に眼窩が一つの頭蓋骨が出土し、供養の一つ目小僧地蔵が建てられた。
- 瀬谷(神奈川県横浜市)事八日の帳面を除くため、道祖神の仮の祠を1月14日のどんど焼きで燃やす。
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よくある質問FAQ
一つ目小僧は人を食べますか?
伝承では、直接的な危害を加えることはないとされる。人を驚かせる程度の存在として語られることが多い。
一つ目小僧と一つ目入道の違いは何ですか?
柳田國男は両者を同種のものと見なした。呼称の違いは地域差によるもので、特徴に大きな違いはない。
一つ目小僧の好物は豆腐ですか?
妖怪かるたには豆腐を持つ絵がある。多田克己は、豆粒が魔滅に通じるため豆を嫌ったはずが、好物が豆腐だとする伝えにすり替わり、豆腐小僧へも繋がったとする。
事八日の一つ目小僧をどう払いますか?
関東では旧暦二月八日と十二月八日の事八日の夜、目籠を軒先に掲げて追い払う。籠にヒイラギを刺して一つ目を突く土地もある。帳面を道祖神に預けたあと焼く土地もある。
一つ目小僧と一つ目入道は同じですか?
小僧の姿は、第十八代天台座主・良源の化身とされる比叡山の一眼一足法師に由来するとの説があり、一つ目入道の項で扱われる。同一かどうかはこの材料だけでは決まらない。
一つ目小僧は山の神ですか?
柳田國男は『妖怪談義』で、妖怪を神の零落とみる立場から、一つ目小僧を山の神の落ちた姿と説いた。眇を俗に「目が一つ」と呼ぶ土地の伝えを根拠とする。
最終更新: · 編集: 百鬼編集室

