唐傘お化け
唐傘お化けは、古い唐傘が一本足で跳ねる付喪神の一種。江戸期の妖怪画に描かれ、現代では最も親しまれる妖怪の一つ。

- 分類
- 器物の怪
- 分布
- 口承は稀
- 出没
- 絵画上
- 弱点・対処
- 記録なし
- 主な初期記録
- 『咡千里新語』(1762)
解説Overview
唐傘お化け(からかさおばけ)は傘の妖怪で、からかさ小僧、傘おばけ、傘化け、一本足とも呼ばれる。一般的な描写は、一つ目の付いた傘が一本足で飛び跳ねる姿である。腕や長い舌を出す図もあり、狩野宴信『百鬼夜行図巻』では二本足でも描かれる。
室町の『百鬼夜行絵巻』の傘の妖怪は、たたんだ傘を頭に頂いた人型である。一つ目・一本足は江戸以降の絵画と、江戸から大正のお化けかるたに多い。『松朝扇うつし絵』(1857年、中村座)に一本足、河竹新七『闇梅百物語』(1900年)に傘一本足、歌川芳員『百種怪談妖物双六』(1858年)に「鷺淵の一本足」がある。土地に即した口承はほとんど残らず、絵画上の妖怪と分類する書籍もある。付喪神とする書籍もあるが、それを証する古典は確認されていない。確認できる記録は、新潟県笹神村(現・阿賀野市)三十刈のカラカサバケモンと、1762年『咡千里新語』の「東花坊のからかさ」(興福寺)である。明治以降は玩具、お化け屋敷、映画にも用いられた。
名称と語源
唐傘お化けは傘(からかさ)の妖怪を指す呼び名で、からかさ小僧(唐傘小僧)、から傘おばけ、傘おばけ、傘化け(かさばけ)、おばけかさなどとも記される。「小僧」は童子を示す語であり、この呼びは器物の怪を童子型として立てた系統を示す。1762年(宝暦12年)の浮世草子『咡千里新語』三之巻第一「茶碗児の化物」は、「南部興福寺にいろいろの化物あり」として「東花坊(とうかぼう)のからかさ」を挙げる。奈良県の興福寺にこの呼び名の伝承があった可能性は示されるが、詳細は不明である。新潟県笹神村(現・阿賀野市)の三十刈ではカラカサバケモン(唐傘化け物)と呼ばれたと伝わる。
「一本足」「からかさ一本足」は足の数に拠る異名である。1857年9月、中村座の変化舞踊『松朝扇うつし絵』には一本足の役があり、1900年の河竹新七『闇梅百物語』は役名を傘一本足とする。1858年刊、歌川芳員の絵双六『百種怪談妖物双六』は「鷺淵の一本足」の名で掲げ、舞台と玩具絵では形態名が用いられた。
姿かたち
一つ目の付いた傘が一本足で飛び跳ねる姿が、一般的に描写される。傘から二本の腕が伸びていることや、目が二つのこともあり、長い舌を伸ばしていることもある。二本足で描かれた例もあり、狩野宴信『百鬼夜行図巻』がその一つである。
室町時代の『百鬼夜行絵巻』に見える傘の妖怪は、たたんだ傘を頭部に頂いた人型である。湯本豪一『百鬼夜行絵巻 妖怪たちが騒ぎだす』(2005年)が示すこの図像は一つ目・一本足ではなく、一つ目・一本足は江戸時代以降の絵画に現れる。
江戸時代から大正時代の『お化けかるた』絵札には一本足が多く見られる。歌舞伎舞踊では役者が一本足に扮し、顔は普通に傘の中から出している。安政四年(1857年)九月、中村座の変化舞踊『松朝扇うつし絵』に一本足の役があり、安政年間(1858年)の歌川芳員『百種怪談妖物双六』は「鷺淵の一本足」(さぎふちのいっぽんあし)の名で一つ目・一本足を描く。明治時代の河竹新七『闇梅百物語』(1900年)にも傘一本足という役名がある。
性質と弱点
唐傘お化けが人に対して何をするかを記した伝承は、ほとんど残されていないとされる。妖怪関連の書籍によっては「絵画上でのみ存在する妖怪」として分類されることもある。確認されている口頭伝承では、新潟県笹神村(現・阿賀野市)の三十刈にカラカサバケモン(唐傘化け物)が出たと伝わるが、襲ったとも、恩を返したとも、特定の物を好んだとも記されていない。宝暦12年(1762年)の浮世草子奇談集『咡千里新語』三之巻第一「茶碗児の化物」は、奈良県の興福寺の伝承とされる七種の妖怪の一つとして「南部興福寺にいろいろの化物あり 東花坊のからかさ」と記す。興福寺にからかさ小僧の伝承があった可能性は示唆されるが、その詳細は不明であり、人への害も恩もここには見えない。
弱点・対処法・禁忌を記した記録は確認されていない。三十刈の伝えも『咡千里新語』も、退け方や避け方、近づいてはならない条件には触れていない。室町時代の絵巻物『百鬼夜行絵巻』にも傘の妖怪は見えるが、封じ方は示されていない。書籍によっては付喪神の一例とするものもあるが、それを証明する古典などの文献は確認されていない。
伝承・逸話
三十刈のカラカサバケモン: 新潟県笹神村(現・阿賀野市)の伝承では、三十刈という場所にカラカサバケモン(唐傘化け物)が出たと伝える。出た場所は三十刈と名指され、化け物の名も唐傘に結びついている。何をしたか、誰が遇ったか、退け方はどうだったかまでは、この伝えには残されていない。
東花坊のからかさ: 宝暦12年(1762年)の浮世草子奇談集『咡千里新語』三之巻第一「茶碗児の化物」は、奈良県の興福寺にさまざまの化物があると記す。南部興福寺の七種の一つとして「南部興福寺にいろいろの化物あり 東花坊のからかさ」とある。話の主筋は茶碗児の化物であり、からかさは東花坊に付く化物として名を挙げられるにとどまる。寺にからかさ小僧の伝承があった可能性は、この一文から示唆されるが、東花坊で何が起きたかという筋は同書にも見えず、詳細は不明である。
鷺淵の一本足: 安政年間に出版された歌川芳員の絵双六『百種怪談妖物双六』(1858年)に、「鷺淵の一本足」の名で登場する。絵双六上の名であり、鷺淵で誰が遭遇したかという本文は付されていない。
中村座の一本足: 歌舞伎舞踊では、一本足の姿に役者が扮装して踊ることが行われ、顔は傘の中から出している。江戸後期の変化舞踊『松朝扇うつし絵』は、1857年9月に中村座で上演され、役の一つに一本足がある。
傘一本足: 明治時代の歌舞伎舞踊『闇梅百物語』(河竹新七、1900年)に、傘一本足という役名で登場する。役者が一本足の姿に扮装して踊る歌舞伎舞踊のなかで、傘一本足の役名が残る。
起源と解釈
図像系譜:室町期の絵巻
傘の妖怪の古い作例は、室町時代の絵巻物『百鬼夜行絵巻』に見られる。同絵巻での傘の妖怪は、たたんだ傘を頭部に頂いた人型であり、江戸時代以降の絵画に見られる一つ目・一本足の姿とは一致しない。後世の一つ目・一本足の型を、同絵巻の人型の傘妖怪と同一の存在と見なす記述は確認されていない。湯本豪一『百鬼夜行絵巻 妖怪たちが騒ぎだす』(2005年)はこの絵巻の図像を扱う。室町時代以後、同絵巻に数多くの無生物・器物の妖怪が登場している中、著名な妖怪として伝えられているのは傘の妖怪のみと見られ、器物の妖怪の中で最も知られたものであるともされる。
少数説:付喪神
書籍によっては付喪神の一例とするものもあるが、それを証明する古典などの文献は確認されていない。1762年(宝暦12年)の浮世草子奇談集『�神の一例とするものもあるが、それを証明する古典などの文献は確認されていない。1762年(宝暦12年)の浮世草子奇談集『咡千里新語』三之巻第一「茶碗児の化物」に「東花坊のからかさ」と記されることは、口承の痕跡として挙げられるにとどまり、詳細は不明である。
史料の変遷
絵巻と草双紙:室町時代の絵巻物『百鬼夜行絵巻』に傘の妖怪の作例がある。江戸時代以後は草双紙やおもちゃ絵、かるた、歌舞伎に姿が見られ、記録の場は絵巻から出版物と舞台へ移った。
宝暦の文章記録:1762年(宝暦12年)の浮世草子奇談集『咡千里新語』三之巻第一「茶碗児の化物」に記述があり、年次の分かる文章記録として残る。
安政・明治の舞台と双六:歌舞伎舞踊では役者が扮装して踊ることが行われ、1857年9月には中村座の変化舞踊『松朝扇うつし絵』に一本足の役が置かれた。安政年間に出版された歌川芳員の絵双六『百種怪談妖物双六』(1858年)には「鷺淵の一本足」の名で描かれ、江戸から大正にかけての『お化けかるた』にも絵札が残る。明治の歌舞伎舞踊では、河竹新七『闇梅百物語』(1900年)に傘一本足という役名で登場する。
図像研究:絵巻の図像を扱う研究として、湯本豪一『百鬼夜行絵巻 妖怪たちが騒ぎだす』(2005年)がある。
ゆかりの地
三十刈(新潟県阿賀野市): 所在は、新潟県笹神村(現・阿賀野市)の三十刈である。同地はカラカサバケモン(唐傘化け物)の出没地として伝えられる地名であり、碑や社、祭りを記す記述はない。
興福寺(奈良県): 奈良県の興福寺は、1762年(宝暦12年)の浮世草子奇談集『咡千里新語』三之巻第一「茶碗児の化物」が、南部興福寺の化物七種の一つに「東花坊(とうかぼう)のからかさ」を記す社寺である。東花坊は同寺に関わる坊として挙げられ、からかさの伝承が寺にあった可能性が示唆されるが、詳細は不明である。訪れる対象は興福寺の寺域であり、からかさに特化した碑や祭りの所在は記されていない。
出典: 〔2〕
現代の受容
娯楽とキャラクター化:河竹新七の『闇梅百物語』(1900)に「傘一本足」の役名がある。明治・大正時代以後は玩具、子供向けの妖怪関連の書籍、お化け屋敷の演出、映画にも姿が見られ、明治から昭和にかけては印刷物で享受され、漫画やアニメ、妖怪を題材とした映画などのキャラクターとしても多用された。『百鬼夜行絵巻』に数多くの器物の妖怪が登場するなか、著名な妖怪として伝えられているのは傘の妖怪のみと見られ、器物の妖怪のなかで最も知られたものであるともされる。
研究と観光:湯本豪一『百鬼夜行絵巻 妖怪たちが騒ぎだす』(2005)は絵巻の図像を扱い、通俗のキャラクター像とは別に史料として位置づける。境港市観光協会は「傘化け」の項を掲げる。書籍によっては付喪神の一例とするが、それを証明する古典などの文献は確認されておらず、娯楽で定着した像と、口承・古典で裏付けられる像とは層が異なる。
出典・参考文献References
- 『百鬼夜行絵巻』室町時代の絵巻。傘の妖怪はたたんだ傘を頭部に頂いた人型で、一つ目・一本足の姿ではない。
- 『咡千里新語』 1762三之巻第一「茶碗児の化物」。南部興福寺の化物の一つとして「東花坊のからかさ」と記す。
- 『百鬼夜行図巻』 狩野宴信傘の妖怪を二本足で描く例として挙げられる。
- 『お化けかるた』江戸から大正のお化けかるた絵札に、一本足の傘の妖怪が多く描かれる。
- 『松朝扇うつし絵』 1857安政4年9月中村座の変化舞踊。一本足の役がある。
- 『百種怪談妖物双六』 歌川芳員 1858「鷺淵の一本足」の名で一つ目・一本足の姿を描く。
- 『闇梅百物語』 河竹新七 1900明治の歌舞伎舞踊。傘一本足という役名で登場する。
- 『百鬼夜行絵巻 妖怪たちが騒ぎだす』 湯本豪一(小学館) 2005『百鬼夜行絵巻』の図像を扱う。からかさ小僧項の参考文献。
ランキング順位Rankings
ゆかりの地Places
- 三十刈(新潟県阿賀野市)旧笹神村の伝承で、カラカサバケモン(唐傘化け物)が出たと伝わる場所。
- 興福寺(奈良県)1762年『咡千里新語』に「東花坊のからかさ」とあり、伝承の可能性が示唆されるが詳細は不明。
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よくある質問FAQ
唐傘お化けは何の妖怪ですか?
唐傘お化けは、古い唐傘が妖怪化した付喪神の一種です。一本足で跳ね、人を驚かせますが、通常は害を加えません。
唐傘お化けはどこで生まれましたか?
江戸時代の日本で、付喪神信仰に基づいて生まれたと考えられています。文献では佐脇嵩之の『百怪図巻』(1737年)が早い例です。
唐傘お化けは実在しますか?
伝説上の存在であり、実在はしません。しかし、付喪神の考え方は日本の文化や民話に深く根付いています。
唐傘お化けの伝承はどこにありますか?
土地に即した口承はほとんど残らない。確認できるものに、新潟県笹神村(現・阿賀野市)三十刈のカラカサバケモンと、1762年『咡千里新語』に「東花坊のからかさ」とある奈良・興福寺の記録がある。後者の詳細は不明である。
一つ目・一本足の姿はいつからですか?
一つ目・一本足は江戸時代以降の絵画に見え、江戸から大正のお化けかるたにも多い。年代の分かる例に、1857年中村座『松朝扇うつし絵』の一本足役と、1858年歌川芳員『百種怪談妖物双六』の「鷺淵の一本足」がある。
唐傘お化けは付喪神ですか?
書籍によっては付喪神の一例とするものがある。それを証明する古典などの文献は確認されていない。一つ目・一本足の定型は江戸期以後の絵画とかるたに多く、古い『百鬼夜行絵巻』の傘の妖怪は人型である。
最終更新: · 編集: 百鬼編集室

