砂かけ婆

すなかけばばあsunakake-baba

砂かけ婆(すなかけばばあ)とは、奈良県を中心に近畿地方で語られる、砂をかけて人を驚かす老女の姿をした妖怪。

イメージ画(当サイト制作)
分類
里の怪
分布
奈良・兵庫・滋賀
出没
神社脇・森・竹藪
弱点・対処
記録なし
主な初期記録
『大和昔譚』

8 出典 · 4,100 字 · 最終更新

解説Overview

砂かけ婆(すなかけばばあ)は、奈良県・兵庫県・滋賀県に伝わる、人に砂を振りかけて脅かす妖怪である。柳田國男『妖怪談義』が引く沢田四郎作『大和昔譚』には、淋しい森のかげや神社のかげを通ると砂をバラバラふりかけて驚かすとあり、その姿を見た人はいないと記す。

奈良県では神社の側や人通りの少ない森で砂をかけられるという。兵庫県西宮市では松の木の上から砂をかける音だけが聞こえ、尼崎市の稲荷神社では夜に鳥居の下をくぐると上から砂をかけられる。滋賀県草津市では砂ほりばばあと呼び竹薮の婆を正体とし、栗東市ではてんころという動物を正体とする。古典の絵巻には描かれず、和服の老婆のイメージは昭和以降の水木しげる『ゲゲゲの鬼太郎』などで広まった。

名称と語源

砂かけ婆(すなかけばばあ)は、奈良県・兵庫県・滋賀県に伝わる呼称である。沢田四郎作『大和昔譚』はスナカケババと記し、「おばけのうちにスナカケババといふものあり」と書く。柳田國男『妖怪談義』(原著1956年)はこの条を採録し、出所を同書とする。山田良隆は1938年12月、『民間伝承』第4巻第3号に「スナカケババ」の項を立てた。

「婆」は老女を指すとは限らない。汚物を意味する方言の「ババ」に由来するという説がある。滋賀県草津市の民族誌『草津のふるさと文化』は「砂ほりばばあ」を関西弁で砂を放る婆の意とし、追分町では婆を指す。栗東市の民俗誌『栗東の民話』の「目川の砂ほりばばあ」は、タヌキとイタチのあいのことされる「てんころ」を指す。

兵庫県西宮市および尼崎市では、有井基『怨霊のふるさと〈兵庫のミステリー〉』(1972年)が扱う話で、名は婆でもタヌキの仕業とされる。奈良県天理市別所の砂かけ坊主は、婆ではなく坊主の名である。青森県津軽地方、新潟県佐渡郡、千葉県利根川流域の砂撒き狸(すなまきだぬき)、徳島県板野郡撫養町小桑島の砂ふらし(すなふらし)、新潟県大面村(現・三条市)字矢田の翁坂で『越後三条南郷談』が記す砂撒き鼬(すなまきいたち)は、獣の名で砂かけの話型を共有する。

出典: 〔1〕〔2〕〔3〕〔4〕〔5〕〔6〕

姿かたち

沢田四郎作『大和昔譚』はスナカケババについて「その姿見たる人なし」と記す。古典の絵巻などにも描かれていないため、姿形は不明とされるか、姿を持たない妖怪とされる。自分の醜さを嫌って人前に現さないという説もある。

滋賀県草津市の民族誌『草津のふるさと文化』「砂ほりばばあ」項は、追分町の竹薮に住み着いた婆が通る村人に砂を投げたと記し、姿を老婆とする。同県栗東市の民俗誌『栗東の民話』「目川の砂ほりばばあ」項は、砂ほりばばあの正体をタヌキとイタチのあいのこ「てんころ」という動物とする。

昭和・平成以降、水木しげるの漫画『ゲゲゲの鬼太郎』および水木の妖怪画にある和服の老婆姿が一般的なイメージとなった。京極夏彦によれば、この妖怪画は佐渡島の郷土芸能・鬼太鼓の面をモデルとする。水木以外の昭和以降の妖怪関連書籍の妖怪画でも、便宜上、名のとおり老婆の姿で描かれることが多い。

出典: 〔1〕〔4〕〔5〕〔8〕

性質と弱点

奈良県では、人が神社の側や人通りの少ない森を通ると砂を振りかけて脅すとされる。沢田四郎作『大和昔譚』は、淋しい森のかげ・神社のかげを通れば砂をバラバラふりかけておどろかすと記す。

兵庫県西宮市では松の木の上から砂をかける音が聞こえたが、実際に砂が降りかかることはなかったと、有井基『怨霊のふるさと〈兵庫のミステリー〉』(1972年)が伝える。同書によれば、尼崎市の稲荷神社では夜に鳥居の下をくぐると上から砂をかけられ、庄下川でも砂かけの怪異があった。

滋賀県草津市追分町では、竹薮に住み着いた婆が通る村人に砂を投げた。民族誌『草津のふるさと文化』の「砂ほりばばあ」項は、子どもたちが「このやぶ通ったら、砂かけられる」と唱え、笹を千切っては投げ合いながら遊んだと記す。民俗誌『栗東の民話』の「目川の砂ほりばばあ」項では、栗東市目川の治田小学校の竹やぶで「てんころ」がガサガサと音を出して人を脅したという。

弱点、対処法、禁忌を記した文言は『大和昔譚』になく、有井基の兵庫の採録や草津・栗東の民族誌にも見えない。好む飲食物の名もなく、人を助ける話もこれらの記録にはない。

出典: 〔1〕〔4〕〔5〕〔6〕

伝承・逸話

西宮の松上の砂かけ: 有井基『怨霊のふるさと〈兵庫のミステリー〉』(1972年)は、兵庫県西宮市のある松の木の上に砂かけ婆が出没した話を載せる。砂をかける音は聞こえてきたものの、実際に砂が振りかかってくることはなかったという。土地の伝えでは、名に「婆」とあっても仕業はタヌキだとされる。

尼崎稲荷の夜の鳥居: 有井基『怨霊のふるさと〈兵庫のミステリー〉』(1972年)によれば、兵庫県尼崎市の稲荷神社では、夜に鳥居の下をくぐると上から砂をかけられるといい、同市内の庄下川でも砂かけの怪異があったという。西宮と同じく、ここでもタヌキの仕業とする伝えがある。

草津追分の砂ほりばばあ: 民族誌『草津のふるさと文化』の「砂ほりばばあ」項は、関西弁で砂を放る婆の意だとし、現在の滋賀県草津市追分町の竹薮の一角に婆が住み着き、そこを通る村人に砂を投げつけたと記す。子どもたちは「このやぶ通ったら、砂かけられる。砂ほりばばあがおるわいなぁ。」と言い、竹藪の笹を千切っては投げ合いながら遊んでいたという。草津では正体をタヌキではなく老婆とする。

目川のてんころやぶ: 民俗誌『栗東の民話』の「目川の砂ほりばばあ」項によれば、現在の滋賀県栗東市目川の治田小学校にある竹やぶは「てんころやぶ」と呼ばれていた。「てんころ」とはタヌキとイタチのあいのこを指す動物で、その動物が住みついていたという。人が竹藪の近くを通りかかると、その動物がガサガサと音を出し、人を脅かすものとされる。そのあたりの人は「砂ほりばばあが住んでる」と恐れられているという。

出典: 〔4〕〔5〕〔6〕

起源と解釈

砂かけ婆を民俗学の見出しに据えた早い記録に、山田良隆「スナカケババ」(『民間伝承』第4巻第3号、1938年)がある。柳田國男は『妖怪談義』(1956年)でこれを採録し、話の出所を沢田四郎作『大和昔譚』とした。

正体を小動物に帰する解釈は広い。有井基『怨霊のふるさと〈兵庫のミステリー〉』(1972年)が扱う西宮市・尼崎市の砂かけ婆は、名は婆でもタヌキの仕業とされる。青森県津軽地方と新潟県佐渡郡の砂撒き狸、新潟県大面村(現・三条市)字矢田の翁坂の砂撒き鼬は、タヌキやイタチに砂かけを帰す同型である。徳島県板野郡撫養町小桑島字前組の砂ふらしは、タヌキが砂をかけて方向感覚を狂わせ、水辺に落とすという。

少数の土地では人や別種の獣に帰す。『草津のふるさと文化』の「砂ほりばばあ」項は、滋賀県草津市追分町の竹薮に住み着いた婆が村人へ砂を投げたと記す。隣町の『栗東の民話』「目川の砂ほりばばあ」項は、治田小学校の竹やぶをてんころやぶと呼び、てんころ(タヌキとイタチのあいのこ)が音を立てて人を脅したとする。

村上健司『百鬼夜行解体新書』(2000年)は砂かけ婆の伝承を事典項目とする。少数説として、妖怪研究家・山口敏太郎は、東近江市八日市で川から砂を投げつけられた話に触れ、奈良県の広瀬神社の雨乞い「砂かけ祭り」や、砂をかけ合って「砂かけ婆だ」と囃す祭りが伝承に繋がった可能性を示唆する。鳥が空を飛びながら体に付着した砂を落としたものを正体とする説もある。

出典: 〔1〕〔2〕〔3〕〔4〕〔5〕〔6〕〔7〕

史料の変遷

近世の随筆・絵巻・見世物に砂かけ婆の項を立てた記録は、ここに用いる文献には見えない。後の記述が依拠する活字は、医学博士・沢田四郎作の『大和昔譚』がスナカケババの名で残したものである。

1938年12月、山田良隆「スナカケババ」が民間伝承の会の雑誌『民間伝承』第4巻第3号に載った。柳田國男は『妖怪談義』(原著1956年)で砂かけ婆を採録し、話の出所を友人である沢田の同書と記した。講談社学術文庫版は1977年4月に出ている。

兵庫県の怪異を活字にした例に、有井基『怨霊のふるさと〈兵庫のミステリー〉』(のじぎく文庫、1972年12月)がある。滋賀県では民族誌『草津のふるさと文化』が「砂ほりばばあ」の項を、民俗誌『栗東の民話』が「目川の砂ほりばばあ」の項を立て、地方の呼称で記録した。

村上健司ほか『百鬼夜行解体新書』(コーエー、2000年12月)は伝承と図像を項目として扱う。同系統の概説に、千葉幹夫『妖怪お化け雑学事典』(講談社、1991年7月)、宮本幸枝・熊谷あづさ『日本の妖怪の謎と不思議』(学習研究社、2007年5月)、妖怪ドットコム『図説 妖怪辞典』(幻冬舎コミックス、2008年11月)がある。

出典: 〔1〕〔2〕〔3〕〔4〕〔5〕〔6〕〔7〕

ゆかりの地

西宮市・尼崎市(兵庫県): 有井基『怨霊のふるさと〈兵庫のミステリー〉』(1972年)は、西宮市のある松の木、尼崎市の稲荷神社、同市内の庄下川を砂かけの伝え地とする。松の固有名は伝わらず、訪ね得るのは市域、社地の鳥居、河川である。

追分町(滋賀県草津市)・目川(滋賀県栗東市): 民族誌『草津のふるさと文化』の「砂ほりばばあ」項は、現在の追分町の竹薮の一角に婆が住み着いたと記す。民俗誌『栗東の民話』の「目川の砂ほりばばあ」項は、治田小学校にある竹やぶを「てんころやぶ」と呼んだとする。訪ね得るのは追分町の町域と、小学校周辺の竹やぶである。

出典: 〔4〕〔5〕〔6〕

現代の受容

昭和・平成以降、砂かけ婆が一躍全国に知られるようになったのは、水木しげるの漫画『ゲゲゲの鬼太郎』において、鬼太郎と共に戦う正義の妖怪として描かれたことによる。同漫画をはじめとする水木の妖怪画にある和服の老婆姿が、以後の一般的なイメージとなった。

水木以外の昭和以降の妖怪関連書でも、便宜上その名の通り老婆の姿で描かれることが多い。村上健司ほか編『百鬼夜行解体新書』(2000年)は、砂かけ婆の伝承と図像を現代の事典項目として扱う。

柳田國男『妖怪談義』(1956年)が沢田四郎作『大和昔譚』から採った砂かけ婆は、人を砂で驚かす土地の怪異であり、味方として戦う存在ではない。漫画で定着した正義の老婆像と、民俗記録に残る砂かけの怪異とは、層を異にする。

出典: 〔1〕〔3〕〔7〕〔8〕

出典・参考文献References

  1. 『大和昔譚』 沢田四郎作
    スナカケババの記述。淋しい森のかげ・神社のかげで砂をバラバラふりかけて驚かすとし、姿を見た人はいないと記す。
  2. 『スナカケババ』 山田良隆(民間伝承の会) 1938
    『民間伝承』第4巻第3号の論考。スナカケババの項を立てる。
  3. 『妖怪談義』 柳田國男(講談社) 1956
    砂かけ婆を採録し、話の出所を沢田四郎作『大和昔譚』とする。
  4. 『草津のふるさと文化』
    「砂ほりばばあ」項。草津市追分町の竹薮に住み着いた婆が、通る村人に砂を投げたと記す。
  5. 『栗東の民話』
    「目川の砂ほりばばあ」項。治田小学校の竹やぶをてんころやぶと呼び、タヌキとイタチのあいのこが人を脅したとする。
  6. 『怨霊のふるさと〈兵庫のミステリー〉』 有井基(のじぎく文庫) 1972
    兵庫の怪異を扱う。西宮市の松、尼崎市の稲荷神社および庄下川の砂かけ譚の典拠。
  7. 『百鬼夜行解体新書』 村上健司(コーエー) 2000
    現代の妖怪事典。砂かけ婆の伝承と図像を項目として扱う。
  8. 『ゲゲゲの鬼太郎』 水木しげる
    鬼太郎と共に戦う正義の妖怪として描き、和服の老婆姿を全国的なイメージにした。

ランキング順位Rankings

ゆかりの地Places

  • 西宮市(兵庫県)ある松の木の上に出没し、砂をかける音は聞こえたが砂は降りかからなかった。
  • 稲荷神社(兵庫県尼崎市)夜に鳥居の下をくぐると上から砂をかけられるという。
  • 庄下川(兵庫県尼崎市)同市内で砂かけの怪異があったとされる川。
  • 追分町(滋賀県草津市)竹薮に砂ほりばばあが住み着き、通る村人に砂を投げたと伝える。
  • 目川(滋賀県栗東市)治田小学校の竹やぶをてんころやぶと呼び、砂ほりばばあの住処とした。
  • 広瀬神社(奈良県)砂を雨に見立てた砂かけ祭りがある。山口敏太郎が伝承との関連を示唆する。

特集Collections

カードCards

画風ちがいのカード。保存してシェアできる。

妖怪「砂かけ婆」(すなかけばばあ)の絵巻風イラスト
emakiAI
妖怪「砂かけ婆」(すなかけばばあ)の浮世絵風イラスト
ukiyoeAI
妖怪「砂かけ婆」(すなかけばばあ)の墨絵
sumieAI

よくある質問FAQ

砂かけ婆は何をする妖怪ですか?

主に夕暮れ時や夜道で、人に砂をかけて驚かせます。直接的な危害は少ないとされます。

砂かけ婆はどこに現れますか?

奈良県を中心に、近畿地方の山間部や旧街道で語られています。

砂かけ婆の正体は何ですか?

地域によっては狐や狸の仕業とされることもありますが、はっきりした正体は不明です。

砂かけ婆の姿はどんなものですか?

『大和昔譚』は姿を見た人はいないと記し、古典の絵巻にも描かれていない。和服の老婆像は昭和以降、水木しげる『ゲゲゲの鬼太郎』の妖怪画などで広まった。

砂かけ婆はどこに伝わりますか?

奈良県・兵庫県・滋賀県に伝わる。奈良は神社と森、兵庫は西宮市の松と尼崎市の稲荷神社・庄下川、滋賀は草津市追分町と栗東市目川の竹薮などで語られる。

名前の「婆」は老婆のことですか?

草津市の砂ほりばばあは老婆を正体とする。西宮・尼崎では名は婆でもタヌキの仕業とされ、名称の「婆」を汚物の方言「ババ」に由来するとする説もある。

5つの質問で、あなたに宿る妖怪を占います。結果は図鑑ページにつながります。あなたはどの妖怪?診断

最終更新: · 編集: 百鬼編集室