一目連
一目連は、片目または一つ目の姿で描かれる日本の妖怪で、伊勢の長島城主の霊や風の神ともされる。

- 分類
- 風の怪
- 分布
- 伊勢・尾張・美濃・飛騨
- 出没
- 多度山
- 弱点・対処
- 海難除けの祈願
- 主な初期記録
- 『和漢三才図会』(1712)
解説Overview
一目連(いちもくれん、ひとつめのむらじ)は、三重県桑名市多度町多度の多度大社別宮・一目連神社にまつる片目の龍神である。祭神は天目一箇神と同一視されるが、本来は片目が潰れた龍神であり、のちに習合したという。天候と風を司り、江戸時代には伊勢湾の海難防止と雨乞いの祈願が行われた。
呼称は一目連のほか、ひとつめのむらじがある。片目の龍として伝えられ、習合先の天目一箇神は『古語拾遺』『日本書紀』『播磨国風土記』に見える鍛冶の神である。『和漢三才図会』の「颶(うみのおほかせ)」は、勢州・尾州・濃州・驒州の不時の暴風を俗に一目連と称し、樹を抜き巖を仆し屋を壊すが破らないところは一路のみだとする。伊勢・尾張・美濃・飛騨では神社を出て暴れると暴風が起きるとされ、勢州桑名郡の多度山に一目連がある。社殿に扉がないのは、神威を発揮するため自由に出入りできるようにした配慮という。柳田國男は、伊勢湾の船乗りが多度山の様子から天候を予測したことから生まれた信仰と考察した。
名称と語源
一目連は「いちもくれん」または「ひとつめのむらじ」と読む。『和漢三才図会』「颶(うみのおほかせ)」項は、勢州・尾州・濃州・驒州の不時の暴風を俗に一目連と称して神風とし、勢州桑名郡多度山に一目連があると記す。
多度大社(三重県桑名市多度町多度)別宮・一目連神社の祭神である天目一箇神(あめのまひとつのかみ)と同一視される。同神は『古語拾遺』『日本書紀』『播磨国風土記』に見え、天之麻比止都禰命、天津麻羅、天目一命などと記され、『新撰姓氏録』は天津彦根命の子とする。大谷治作『御上神社沿革考』(明治32年)は近江国野洲郡三上村の御上神社について、天之御影命を正式名称、天目一箇神を別称とする。
神名の「目一箇」(まひとつ)は「一つ目」の意とされる。鍛冶が鉄の色で温度をみる際に片目をつぶったこと、または片目を失明する職業病に由来するという説がある。谷川健一『青銅の神の足跡』は一つ目の鍛冶神として製銅・製鉄の職能神の系譜で扱う。本来は片目の潰れた龍神で、習合により同一視されたとされる。
姿かたち
一目連の姿として多度に伝えられるのは、片目の潰れた龍神である。多度大社(三重県桑名市多度町多度)別宮の一目連神社の祭神は天目一箇神と同一視されるが、『多度町史 民俗編』が扱う土地の伝えでは、本来は片目が潰れてしまった龍神であり、のちに習合して同一視されるようになったという。
天目一箇神の神名「目一箇」は「一つ目」「片目」を意味する。『古語拾遺』(807)と『日本書紀』(720)に製鉄・鍛冶の神として見え、谷川健一『青銅の神の足跡』(1979)はこれを一つ目の鍛冶神として扱う。天目一箇神はひょっとこ(火男)の原型とも伝えられる。
寺島良安『和漢三才図会』(1712)「颶(うみのおほかせ)」項は、勢州桑名郡多度山に一目連があると記すにとどまり、体躯や面相の記述は無い。片目または一つ目という外形は龍神の伝えと鍛冶神の神名解釈が重なった結果として残り、全身の定型像がいつ固まったかはこれらの史料からは辿れない。
性質と弱点
一目連は天候のうち風を司るとされ、伊勢・尾張・美濃・飛騨では、神社を出て暴れると暴風が起きると伝える。寺島良安『和漢三才図会』(1712)「颶(うみのおほかせ)」項は、その吹きざまを樹を抜き巖を仆し屋を壊すが、破れないところはただ一路であって傷をつけないと記す。勢州桑名郡の多度山に一目連があるとする同項の記述は、暴風の起こりをその山に置く。
人との関わりは害と恩の両面である。害は樹・巖・屋を損なう暴風であり、恩は雨と伊勢湾の航海の安全にかかわる。江戸時代には伊勢湾での海難防止の祈願と雨乞いが盛んに行なわれたとされ、『多度町史 民俗編』は多度の民俗として一目連神社の信仰とともにこの祈願を記録する。好む供物や特定の食物を求める記述は見えない。
対処は海難除けの祈願と雨乞いである。一目連神社の社殿に扉がないのは、一目連が神威を発揮するために自由に出入りできるようにとの配慮であると伝える。神社を出て暴れるとの伝えと、扉を設けない配慮は、出入りを妨げないことを前提にしている。弱点として忌む物や退け方を定めた伝えは見えず、人は祈願によって鎮めた。
伝承・逸話
盟酒の父当て:『播磨国風土記』託賀郡(のちの多可郡)の条は、天目一命の名で次の話を載せる。土地の女神・道主日女命が父のわからない子を産んだ。道主日女命は子に盟酒(うけいざけ)をつがせ、相手を諸神のなかから選ばせた。諸神のうち、子が酒をついだのは天目一命であった。ついだことから、天目一命が子の父であると知られた。この天目一命は、一目連神社の祭神と同一視される天目一箇神の名で見える神である。
颶の一路:寺島良安『和漢三才図会』(1712)「颶(うみのおほかせ)」項は、勢州・尾州・濃州・驒州に不時の暴風が至ると書く。一目連の風が吹けば樹を抜き、巖を仆し、屋を壊す。破れざる者は惟一路のみで、その処は傷つかない。同項は「勢州桑名郡多度山有一目連」と結び、この一路の風の座を桑名郡の多度山に置く。
海難除けと雨乞い:江戸時代、伊勢湾では海難を防ぐ祈願が多度で盛んに行われた。船が湾を往くうえでの難を除くため、人々は多度大社(三重県桑名市多度町多度)別宮の一目連神社に祈った。同じ時期、同じ社では雨乞いも盛んに行われたと『多度町史 民俗編』は伝える。
無扉の社殿:一目連神社の社殿には扉がない。一目連が神威を発揮するために自由に出入りできるようにとの配慮であると伝える。『多度町史 民俗編』は多度の民俗として、この社の信仰を記す。
忌部の祖:『新撰姓氏録』(815)は天目一箇神を天津彦根命の子と記す。後裔として筑紫国・伊勢国の忌部氏、山城国菅田首、山城国山背忌寸、大和国葦田首、山代直(山背国造)を挙げる。
起源と解釈
職能神の系譜: 天目一箇神は『古語拾遺』(807)と『日本書紀』(720)に見える製鉄・鍛冶の神で、『古事記』岩戸隠れの段で鍛冶をしていると見られる天津麻羅と同神とされる。神名の「目一箇」(まひとつ)は片目の意であり、鍛冶が鉄の色で温度をみるために片目をつぶっていたこと、または片目を失明する職業病があったことに由来するという。谷川健一『青銅の神の足跡』(1979)は、この神を製銅・製鉄の職能神の系譜から扱う。ひょっとこ(火男)の原型とも伝えられる。
風土記をめぐる解釈: 『播磨国風土記』託賀郡(多可郡)条の天目一命の話については、農耕民と製銅者集団の融合を表すという解釈がある。大谷治作『御上神社沿革考』(1899)は、近江国野洲郡三上村鎮座の御上神社について、天之御影命を正式名称とし、天目一箇神をその別称とする。
多度における信仰の起源: 一目連と天目一箇神の同一視は、習合によるものであるという。柳田國男は、伊勢湾を航行する船乗りが多度山の様子から天候の変化を予測したことから生まれた信仰と考察した。養老山地の南端に位置する多度山は、伊勢湾北部周辺の山としてはもっとも湾に近く、山にかかる霧などの様子から天候の変化を読むのに適していたとされる。『多度町史 民俗編』は多度の一目連信仰を土地の民俗として扱う。
史料の変遷
一目連の名は『日本書紀』(720)、『古語拾遺』(807)、『播磨国風土記』、『新撰姓氏録』(815)には見えない。これらの書が記すのは天目一箇神であり、『播磨国風土記』託賀郡(のちの多可郡)条は天目一命の名で載せる。寺島良安『和漢三才図会』(1712)の「颶(うみのおほかせ)」項が、勢州桑名郡多度山に一目連があるとし、俗称を条目に採った。
江戸時代には伊勢湾での海難防止の祈願と雨乞いが盛んに行われたと、『多度町史 民俗編』は記す。明治三十二年(1899)に大谷治作が編んだ『御上神社沿革考』は、近江国野洲郡三上村鎮座の御上神社について、天之御影命を正式名称、天目一箇神を別称とする。柳田國男は、伊勢湾を航行する船乗りが多度山の様子から天候の変化を予測したことから生まれた信仰と考察した。谷川健一『青銅の神の足跡』(1979)は天目一箇神を一つ目の鍛冶神として論じた。
ゆかりの地
多度大社・一目連神社:三重県桑名市多度町多度の多度大社別宮に一目連神社がある。社殿に扉はなく、一目連が神威を発揮するため自由に出入りできるようにとの配慮であるという。『多度町史 民俗編』は、江戸時代にこの社で伊勢湾の海難防止祈願と雨乞いが盛んに行なわれたことを土地の民俗として記す。
多度山:養老山地の南端に位置し、伊勢湾北部周辺の山としてはもっとも伊勢湾に近い。寺島良安『和漢三才図会』(1712)「颶(うみのおほかせ)」項に「勢州桑名郡多度山有一目連」とある。
天目一神社:兵庫県西脇市大木町(旧多可郡日野村大木)にあり、現在の社は再興である。製鉄の神として信仰されていた。旧多可郡は『播磨国風土記』託賀郡条の地にあたる。
御上神社:滋賀県野洲市三上に鎮座し、天之御影命と天津彦根命を祀る。大谷治作『御上神社沿革考』(1899)は天之御影命を正式名称、天目一箇神を別称とする。
現代の受容
沿革考と研究書: 一目連神社の祭神と同一視される天目一箇神について、明治32年2月、太田治左衛門から刊行された大谷治作編『御上神社沿革考』は、近江国野洲郡三上村鎮座の御上神社の正式名称を天之御影命、別称を天目一箇神とした。谷川健一『青銅の神の足跡』(1979)は、一つ目の鍛冶神としての天目一箇神を製銅・製鉄の職能神の系譜から扱った。
土地誌と像の層: 『多度町史 民俗編』(多度町)は、一目連神社の信仰を多度の民俗として収め、江戸時代に伊勢湾で盛んであった海難防止の祈願と雨乞いを土地の資料として記録する。これらの文献が残す民俗学上の像は祭神名・職能神・社の祈願であり、一目連を特定の小説・漫画・遊戯の登場人物として描く記述はない。
出典・参考文献References
- 『和漢三才図会』 寺島良安 1712「颶(うみのおほかせ)」項に、勢州・尾州・濃州・驒州の不時の暴風を俗に一目連と称して神風とし、勢州桑名郡多度山に一目連があると記す。
- 『古語拾遺』 斎部広成 807製鉄・鍛冶の神である天目一箇神を記す。一目連神社の祭神と同一視される神。
- 『日本書紀』 舎人親王ほか 720天目一箇神が登場する。一目連の祭神と同一視される鍛冶の神。
- 『播磨国風土記』託賀郡(多可郡)条に天目一命の名で見え、道主日女命の子が盟酒をついだ相手として父と判明する話を載せる。
- 『新撰姓氏録』 815天目一箇神を天津彦根命の子とし、筑紫国・伊勢国の忌部氏などの後裔を記す。
- 『青銅の神の足跡』 谷川健一(集英社) 1979一つ目の鍛冶神としての天目一箇神を、製銅・製鉄の職能神の系譜から扱う。
- 『多度町史 民俗編』(多度町)多度の民俗として一目連神社の信仰、雨乞い、伊勢湾の海難防止祈願などを扱う土地資料。
- 『御上神社沿革考』 大谷治作(太田治左衛門) 1899近江国野洲郡三上村の御上神社について、天之御影命を正式名称、天目一箇神を別称とする。
ランキング順位Rankings
ゆかりの地Places
- 多度大社・一目連神社(三重県)別宮の一目連神社に一目連を祀る。社殿に扉がなく、神威を発揮するため自由に出入りできるようにした配慮とされる。
- 多度山(三重県)養老山地の南端。『和漢三才図会』が一目連の所在とし、伊勢湾の船乗りが天候の変化を読む山。
- 伊勢湾江戸時代、一目連への海難防止と雨乞いの祈願が盛んだった海域。
- 天目一神社(兵庫県)西脇市大木町(旧多可郡日野村大木)にあり、天目一箇神を製鉄の神として祀る。現在の社殿は再興。
- 御上神社(滋賀県)野洲市三上にあり、天之御影命・天津彦根命を祀る。『御上神社沿革考』は天目一箇神を天之御影命の別称とする。
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よくある質問FAQ
一目連とは何ですか?
一目連は、一つ目の姿で描かれる日本の妖怪で、伊勢国長島の城主の霊や風の神として伝承される存在です。
一目連はどこに現れますか?
主に伊勢国長島(現在の三重県桑名市)周辺の伝承に登場し、風を起こすとされています。
一目連と天目一箇神は同じですか?
多度大社別宮・一目連神社の祭神として天目一箇神と同一視される。ただし本来は片目が潰れた龍神であり、習合して同一視されるようになったという。天目一箇神自体は『古語拾遺』などに見える鍛冶の神である。
一目連はどこにまつられていますか?
主座は三重県桑名市多度町多度の多度大社別宮・一目連神社である。『和漢三才図会』は勢州桑名郡の多度山に一目連があるとし、伊勢・尾張・美濃・飛騨で暴風の神とされる。
一目連と暴風の関係は?
天候と風を司る神とされる。『和漢三才図会』の「颶」は、勢州・尾州・濃州・驒州の不時の暴風を俗に一目連と称し、樹を抜き巖を仆し屋を壊すが、破らないところは一路のみだとする。
一目連神社の社殿に扉がないのはなぜですか?
一目連が神威を発揮するため、自由に出入りできるようにした配慮とされる。江戸時代には伊勢湾での海難防止と雨乞いの祈願が盛んに行われた。
最終更新: · 編集: 百鬼編集室

