九尾の狐

きゅうびのきつねkyubi-no-kitsune

尾が九本に分かれた狐の妖怪。中国の妖狐伝説に由来し、日本では玉藻前として朝廷を乱したとされる。

イメージ画(当サイト制作)
分類
狐狸
分布
漢文圏
出没
山中
弱点・対処
食して辟邪
主な初期記録
『山海経』南山経

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解説Overview

九尾の狐(きゅうびのきつね)は、九本の尾をもつキツネの霊獣または妖怪で、異称に九尾狐(きゅうびこ)・九尾狐狸(きゅうびこり)がある。古い記述は中国の『山海経』南山経にあり、青丘山に棲む獣として、外形は狐、尾は九本、鳴き声は嬰児のようで人を食うと記す。中国の史書では、その出現が泰平や明君の代を示す瑞獣とされる。『呉越春秋』では、禹が塗山で九尾の白狐に出会い、王者の証と解したと記す。

日本では『延喜式』治部省式祥瑞条に神獣として載り、形は赤または白、音は嬰児の如しとある。物語では殷の妲己や、鳥羽上皇に仕えた玉藻前の正体とされるが、玉藻前を九尾の狐と明言するのは江戸時代以降である。朝鮮ではクミホ、ベトナムでは西湖に棲む九尾狐として知られる。

名称と語源

九尾の狐(きゅうびのきつね)は、漢音では九尾狐(きゅうびこ)、九尾狐狸(きゅうびこり)とも記す。和語の「九尾の狐」は漢籍の三字を訓読した呼称である。中国の『山海経』南山経は青丘山の獣を「九尾狐」と呼び、海外東経・大荒東経にも名称を載せる。同書はこれを「獣」として掲げ、妖怪の名では記さない。朝鮮半島では同じ漢字をクミホ(구미호)、ベトナムではCửu vĩ hồと読み、いずれも漢文の「九尾狐」を音読した異名である。

『白虎通』は、帝徳が盛んな世に現れる瑞獣の一つとし、「九」を子孫繁栄を示す陽数と説く。日本の『延喜式』治部省式祥瑞条も「九尾狐」を掲げ、「神獣なり」と注する。数を冠した名は、獣型の祥瑞を示す系統である。

『呉越春秋』は「九尾の白狐」という呼称を用いる。元時代の『武王伐紂平話』は妲己の正体を記す箇所で九尾狐・九尾狐狸の両様を用い、同一の存在を指す表記のゆれである。

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姿かたち

『山海経』南山経は、外形は狐のようで尾は九本、鳴き声は嬰児のようだと記す。『延喜式』治部省式祥瑞条の「九尾狐」も神獣とし、その形は赤色、あるいは白色、音は嬰児の如しと伝える。

『呉越春秋』では禹の前に現れたのを九尾の白狐とする。毛色と尾数については、清の光緒年間(1888年)の酔月山人『狐狸縁全伝』に、千年修行すると尾が一本増え、一万年修行をすると黒かった毛が白くなるとある。

十四世紀成立の『神明鏡』に、鳥羽上皇に仕えた玉藻前の正体が「狐」であったとする話はすでに見える。室町時代の『玉藻物語』などでは尾が二本ある七尺の狐という描写であり、九尾とは明言されない。妲己の正体を九尾狐とする元の『武王伐紂平話』を、江戸時代前期に林羅山が『本朝神社考』の「玉藻前」項で引き、高井蘭山『絵本三国妖婦伝』(1803年–1805年)や岡田玉山『絵本玉藻譚』(1805年)が、玉藻前の姿を九尾の狐として定着させた。

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性質と弱点

『山海経』南山経は、その獣がよく人を食うと記す。同じ条は、これを食べた者が蠱毒あるいは邪気を退けるとも伝え、加害の記述に辟邪の効能を添える。人を食う箇所がありながら霊験として辟邪の要素が付与され、瑞獣のあつかいとなっている。好む供物や特定の食物を求める記述は、同経には見えない。

中国の各王朝の史書では、その姿が確認されることを泰平の世や明君のいる代を示す瑞獣とする。『白虎通』は時の皇帝の徳が良いと現われる瑞獣の一つとし、九の数が子孫繁栄を示し、陽数を持った瑞兆であるとも記す。『周書』や『太平広記』など一部の伝承では天界より遣わされた神獣であるとされる。日本では『延喜式』治部省式祥瑞条に神獣として載せられ、朝廷の祥瑞に数えられた。曲亭馬琴は『南総里見八犬伝』において善玉である九尾の狐「政木狐」を登場させている。

『呉越春秋』によれば、禹が三十歳で未娶のとき塗山で九尾の白狐に出会い、これを王者の証とする祥瑞と解して塗山氏の娘・女嬌を娶った。元時代の『武王伐紂平話』は殷の妲己の正体を九尾の狐とし、美女に変化して王朝を傾けたと伝える。この記述はのち漢文圏で広く知られた。

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伝承・逸話

塗山の白狐: 『呉越春秋』によれば、夏の始祖・禹は三十歳になっても娶らず、塗山で九尾の白狐に出会った。禹はこれを王者の証と解し、塗山氏の娘・女嬌を娶った。婚姻ののちわずか四日で禹は治水の旅に出て、三度自宅の前を通りながら中に入らなかったと伝える。

妲己の正体: 元時代の講史『武王伐紂平話』は、殷王朝を傾けたとされる美女・妲己の正体を九尾の狐(九尾狐・九尾狐狸)とする。武王を主役とした『武王軍談』および『封神演義』、明時代の『春秋列国志伝』もこの設定を用いる。清の光緒年間に成った酔月山人『狐狸縁全伝』(1888年)にも、これを踏まえた九尾狐が登場する。

玉藻前: 十四世紀成立の『神明鏡』には、平安時代に鳥羽上皇に仕えた美女・玉藻前の正体が狐であったとする物語が見える。室町時代の『玉藻物語』では尾が二本ある七尺の狐と描かれ、九尾の狐とは明言されない。江戸時代前期、林羅山は『本朝神社考』の「玉藻前」の項で『武王伐紂平話』を引き、妲己が九尾狐である話を玉藻前に結びつけた。高井蘭山の読本『絵本三国妖婦伝』(1803年 - 1805年)と岡田玉山『絵本玉藻譚』(1805年)が、玉藻前の正体を九尾の狐とする設定を日本に定着させたとされる。

政木狐: 曲亭馬琴は『南総里見八犬伝』に善玉の九尾の狐「政木狐」を出す。馬琴は、玉藻前に代表される悪玉のイメージは『封神演義』などの物語に影響された近年のものであるとして退け、史書を用い、九尾の狐は元来瑞獣であるという考証を作品や随筆のなかで展開した。

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起源と解釈

定説:典籍の瑞獣

中国の各王朝の史書は、九尾の狐の出現を泰平の世や明君の代を示す瑞獣と解する。『白虎通』は、時の皇帝の徳が良いときに現れる瑞獣の一つとし、「九」を子孫繁栄、陽数を帯びた瑞兆と説く。『周書』や『太平広記』の一部の伝承は、天界より遣わされた神獣とする。この瑞兆の読みは、禹の婚姻を記す『呉越春秋』に遡るとされる。日本では『延喜式』治部省式祥瑞条が「九尾狐」を神獣と記す。

通説:物語の妖婦

元の『武王伐紂平話』は殷の妲己の正体を九尾の狐とする。この観念は『封神演義』などの小説を経て漢文圏に広まり、美女に化して世を惑わす悪しき存在の正体として知られるようになった。林羅山は『本朝神社考』の「玉藻前」項でこの平話を引き、妲己=九尾狐の話を玉藻前に重ねた。

考証:曲亭馬琴

曲亭馬琴は『南総里見八犬伝』に善玉の九尾の狐「政木狐」を出し、悪玉の像は『封神演義』などの物語に影響された近年の創作だと退け、史書に拠れば元来は瑞獣だと考証した。物語で悪い狐と定めるのは俗説・荒唐無稽な創作である、という指摘は、馬琴以前からも学者や文筆家のあいだで繰り返されている。

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史料の変遷

『山海経』南山経は青丘山の獣として九尾の狐を載せる早い記録で、海外東経と大荒東経にも名称がある。『呉越春秋』は禹の条に九尾の白狐を記す。

日本の官撰では『延喜式』治部省式祥瑞条が「九尾狐」を掲げる。十四世紀成立の『神明鏡』には、鳥羽上皇に仕えた玉藻前の正体を「狐」とする話が見える。室町時代の『玉藻物語』などでは尾が二本の七尺の狐という描写であり、九尾の狐とは明言されていない。

元時代の講史『武王伐紂平話』は、殷の妲己の正体を九尾の狐(九尾狐・九尾狐狸)とした。その流れは明時代の『春秋列国志伝』や小説『武王軍談』『封神演義』へ受け継がれ、漢文圏で広く知られるようになった。江戸時代前期、林羅山は『本朝神社考』の「玉藻前」項で『武王伐紂平話』を引き、妲己=九尾狐の話を玉藻前に結びつけた。

玉藻前の正体を九尾の狐と定める設定を日本に定着させたのは、高井蘭山の読本『絵本三国妖婦伝』(1803年から1805年)と岡田玉山『絵本玉藻譚』(1805年)である。曲亭馬琴は『南総里見八犬伝』に善玉の九尾の狐「政木狐」を出し、悪玉の像は『封神演義』などの影響による近年の創作だとして退け、史書などを活用して考証した。清の光緒年間、酔月山人『狐狸縁全伝』(1888年)は千年で尾が一本増え、一万年で黒毛が白くなるとする九尾狐を載せた。1975年、田川くに子「玉藻伝説と『武王伐紂平話』」は、玉藻前の物語と元の講史との関係を論文として整理している。

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ゆかりの地

塗山:『呉越春秋』は、禹が九尾の白狐に出会った地を塗山とする。所在は河南省嵩県付近とする説と、安徽省蚌埠市懐遠県、あるいは重慶市南山とする説がある。

青丘山:『山海経』南山経に名が見える青丘山は、九尾狐の棲む地として記される。いまの行政地名への比定は、同条にはない。

西湖・真武観:ベトナムでは、九尾狐はハノイのタイ湖(西湖)に棲み、玄天鎮武神(真武大帝)によって退治されたと伝える。同神は国内各地の真武廟に祀られ、最古のものはハノイの真武観(Den Quan Thanh)で、北宋年間の創建とされ、1472年に西湖の南岸へ移築された。

出典: 〔1〕〔2〕

現代の受容

読本における像:高井蘭山『絵本三国妖婦伝』(1803年 - 1805年)と岡田玉山『絵本玉藻譚』(1805年)は、玉藻前の正体が九尾の狐であるという設定の物語を日本に定着させた。

考証との差:曲亭馬琴は『南総里見八犬伝』において善玉の九尾の狐「政木狐」を登場させ、玉藻前に代表される悪玉のイメージは『封神演義』などの物語に影響された近年のものであるとして退けた。馬琴は史書を活用し、九尾の狐は元来瑞獣であるという考証を作品や随筆のなかで展開した。

後世の創作:清の光緒年間に書かれた酔月山人『狐狸縁全伝』(1888年)は、元時代の『武王伐紂平話』が殷の妲己の正体を九尾の狐とした設定を踏まえ、千年修行すると尾が一本増え、一万年修行をすると黒かった毛が白くなると記す。漫画『NARUTO -ナルト-』では主人公・うずまきナルトの体内に九尾の狐が封印されているという設定があり、グリム童話第38話『奥様きつねの結婚』にも尾が9本ある狐が登場する。

出典: 〔4〕〔7〕〔8〕

出典・参考文献References

  1. 『山海経』
    南山経に青丘山の獣として、外形は狐のようで尾は九本、鳴き声は嬰児のようで人を食うと記す。海外東経・大荒東経にも名称がある。
  2. 『呉越春秋』
    禹が三十歳で未婚のとき塗山で九尾の白狐に出会い、王者の証と解して塗山氏の娘・女嬌を娶ったと記す。
  3. 『延喜式』
    治部省式祥瑞条に「九尾狐」を載せ、神獣であり形は赤色あるいは白色、音は嬰児の如しと記す。
  4. 『武王伐紂平話』
    元時代の講史。殷の妲己の正体を九尾の狐(九尾狐・九尾狐狸)とする。
  5. 『神明鏡』
    十四世紀成立。鳥羽上皇に仕えた玉藻前の正体が「狐」であったとする物語が見える。
  6. 『本朝神社考』 林羅山
    「玉藻前」の項で『武王伐紂平話』を引き、妲己=九尾狐の話を玉藻前に結びつける。
  7. 『絵本三国妖婦伝』 高井蘭山 1803
    玉藻前の正体が九尾の狐であるという設定を日本に定着させた読本。
  8. 『南総里見八犬伝』 曲亭馬琴
    善玉の九尾の狐「政木狐」を出し、悪玉像は『封神演義』などの影響による近年の創作だとして、元来は瑞獣だと考証する。

ランキング順位Rankings

ゆかりの地Places

  • 塗山禹が九尾の白狐に出会ったとされる地。所在は河南省嵩県付近、安徽省蚌埠市懐遠県、重慶市南山などに分かれる。
  • 青丘山『山海経』南山経で九尾狐が棲むとされる山。
  • 西湖(ハノイ)ベトナムの九尾狐が棲み、玄天鎮武神に退治されたとされる湖。
  • 真武観(ハノイ)真武大帝を祀る。北宋年間の創建とされ、一四七二年に西湖の南岸へ移築された。

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よくある質問FAQ

九尾の狐とは何ですか?

尾が九本に分かれた狐の妖怪です。中国の伝承に由来し、日本では玉藻前として朝廷を乱したとされます。

九尾の狐はどのようにして生まれたのですか?

中国の『山海経』に記された九尾の狐が起源とされ、日本に伝わって玉藻前の物語と結びつきました。

殺生石とは何ですか?

九尾の狐の死骸が石と化したとされるもので、栃木県那須郡にあります。近づく者を殺す毒石として恐れられました。

九尾の狐の最古の記録は何ですか?

中国の『山海経』南山経に、青丘山の獣として、外形は狐、尾は九本、鳴き声は嬰児のようで人を食う、とあります。海外東経と大荒東経にも名が見えます。

玉藻前は九尾の狐ですか?

十四世紀の『神明鏡』では玉藻前の正体は「狐」です。室町の『玉藻物語』は尾が二本の七尺の狐とし、九尾とは明言しません。九尾の狐と結びつくのは、妲己の九尾狐説を取り入れた江戸時代以降です。

九尾の狐は瑞獣ですか?

中国の史書や日本の『延喜式』では泰平を示す神獣です。『山海経』は人を食うとしつつ辟邪の霊験も記します。妲己や玉藻前の悪役像は、小説や読本で広まったものです。

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最終更新: · 編集: 百鬼編集室