海坊主
海坊主(うみぼうず)とは、日本の沿海に伝わる巨大な黒い僧形の海の妖怪で、船を沈めると恐れられた。

- 分類
- 海の怪
- 分布
- 沿海各地
- 出没
- 夜間の海上
- 弱点・対処
- 煙・底抜けの柄杓
- 主な初期記録
- 『和漢三才図会』(1712)
解説Overview
海坊主(うみぼうず)は、海に住む怪異で、夜間の海上で穏やかだった海面が突然盛り上がり、黒い坊主頭の巨人が現れて船を壊すとされる。大きさは数メートルから数十メートルが多く、人間大もある。別名は海法師(うみほうし)、海入道(うみにゅうどう)。船幽霊との区別は明らかでなく、五島列島では同じものを両方の名で呼ぶ。
姿は土地で分かれる。黒い僧形のほか、『和漢三才図会』(1712)は西海の海坊主を人面のウミガメ(和尚魚)に当て、下総国銚子では正覚坊と称した。弱点は煙(一説に煙草の煙)。柄杓を貸せと迫る話型では、渡すと水攻めで沈められるため底を抜いた柄杓を渡す。『本朝語園』(1706)の海入道は目鼻手足がなく、見なかったふりをし、「あれは何だ」と言えば船を沈められるという。
沿海各地に伝わり、長野の川に住む例もある。溺死者の亡霊とする土地があり、銚子では正覚坊が溺れてなったという。『奇異雑談集』(1687)は明応年間の黒入道を記し、竜神の零落した姿ともする。
名称と語源
海坊主(うみぼうず)は海に住む妖怪、海の怪異を指す呼称で、海法師(うみほうし)、海入道(うみにゅうどう)とも呼ばれる。『本朝語園』(宝永3年、1706年刊)は少弐嘉頼が漁師から聞いた話として、海入道を船入道とも記す。坊主・法師・入道は剃髪の僧を示す語で、名は僧形の系統を示す。
『奇異雑談集』(1687年刊)は明応年間(1492–1501年)、伊勢国から伊良湖岬へ向かう渡しに現れたものを黒入道と伝え、船頭は入道鰐と称したという。入道を冠しつつ鰐に寄せる名は、僧形と獣形の重ねを示す。
寺島良安『和漢三才図会』(1712年成立)は、中国の『三才図会』に載る和尚魚を西海の海坊主に当てた。讃岐では亀入道ともいい、越谷吾山『物類称呼』(1775年刊)は下総国銚子浦では正覚坊と称すと記す。正覚坊は溺れた僧の名に由来する呼称で、江戸期の書物に見える。五島列島では同一の怪異を海坊主とも船幽霊とも称すとされ、呼称の境界は明らかではない。静岡県賀茂郡のウミコゾウ(海小僧)は、童子型の名が立つ例である。
姿かたち
夜間の海上では、穏やかだった海面が突然盛り上がり、黒い坊主頭の巨人が現れるとされる。大きさは数メートルから数十メートルに及ぶことが多く、人間ほどと伝える話もある。
江戸期の文章は、この「坊主頭の巨体」に収まらない。『奇異雑談集』(1687年刊)が明応年間の見聞として記す黒入道は、頭が人間の五、六倍、目は天目茶碗ほどに光り、馬あるいは鳥に似た口が二尺ほどあった。『本朝語園』(宝永3年、1706年刊)の海入道は体長六、七尺で、目鼻も手足もない。柳原紀光『閑窓自語』(寛政年間)が記す和泉貝塚の見聞では、人間に似て巨大、全身が漆塗りのごとく黒く、半身だけが海から出ていた。『雨窓閑話』(1851年刊)の桑名に現れた大入道は、背丈一丈ばかり、両目が鏡に朱を差したようであったという。
図では、寺島良安『和漢三才図会』(1712年成立)が、紅赤色のスッポンに似て人面の和尚魚を西海の海坊主に当てる。『物類称呼』(1775年刊)は下総国銚子浦のそれを、顔は猫に似、手足の指が判然としないドロガメ属のような外形とする。ブリガムヤング大学蔵『化物之繪』の海坊主はナマズに似た絵であり、一般的な海坊主の描写ではないと考察されている。
土地ごとの姿も分かれる。岡山県備讃灘の「ぬらりひょん」は頭大の玉状、鳥取県では『因幡怪談集』に、海辺で周囲二尺ほどの棒杭のような一つ眼の怪物として現れ、体はぬるぬるする、とある。長野県中野の替佐付近の川に住むものは黒く大仏のような頭で、上半身だけを水上に出す。和歌山県毛見では、明治21年(1888年)12月26日の『都新聞』が、大猿のような体長七、八尺、茶色い髪、橙色の目、口は鰐、腹は魚、尾は海老のものを海坊主として報じた。
性質と弱点
単体のみならず集団でも現れ、船体や櫓にへばりついたり篝火を消したりすると伝える。東北地方では漁の初物を海の神に捧げねば船を壊し船主をさらうとし、長門(現・山口県)向津具川尻では夜漁の篝火を消しに来たので投げつけたという。
宇久島(長崎県・五島列島)では「柄杓を貸せ」と迫り、渡せば水攻めで沈めるので、底を抜いた柄杓を渡すという。弱点は煙で、一説に煙草の煙を用意すれば助かるとされる。
『本朝語園』(宝永3年、1706年刊)は、海入道に遭ったときは見ぬふりをし、「あれは何だ」と言えばたちまち船を沈められると記す。淡路島の由良町(現・洲本市)では、最も大切な荷物を船首から海に投じると助かるという。
『雨窓閑話』(1851年刊)の桑名(現・三重県)では月末の船出が憚られ、晦日に出た桑名屋徳蔵の前に大入道が「俺は恐ろしいか」と問い、「世を渡ることほど恐ろしいことはない」と答えると消えた。愛媛県宇和島市には人を襲う話がある一方、見ると長寿になるとも伝える。『和漢三才図会』(1712年)は西海の海坊主を見ることを不漁の前兆とし、捕えても放すと記す。
伝承・逸話
黒入道:『奇異雑談集』(1687年刊)は、明応年間(1492-1501年)の聞書を載せる。猿楽の太鼓打ちと笛吹きが駿河へ向かうため、伊勢国から伊良湖岬の渡しに乗った。船頭は女房を断っていたが、鼓打ちの善珍が妻を強引に乗せると大嵐となった。船主は竜神の怒りだと責め、欲しがりそうな物を海へ投げたが収まらず、人間の頭の五、六倍ほどの黒入道が現れた。天目茶碗ほどの目が光り、口は二尺ほどあった。善珍の妻が海に身を投じると、黒入道は妻を咥え、波は静まった。船頭はこれを入道鰐と称した。
晦日の大入道:『雨窓閑話』(1851年刊)は桑名の話を載せる。月末の船出は憚られていたが、桑名屋徳蔵が禁を破って晦日に独りで出たところ、背丈一丈ばかりの大入道が現れ、「俺は恐ろしいか」と問うた。徳蔵が「世を渡ることほど恐ろしいことはない」と答えると、姿は消えた。同書は、月末に座頭頭と呼ばれる盲目の坊主が海上に現れ、怖がると「月末に船を出すものではない」と言って消える話も記す。
和泉貝塚の上陸:随筆『閑窓自語』(柳原紀光著、寛政年間)によれば、和泉貝塚では海坊主が海から上がって三日ほど地上にいた。海に帰るまで、子供は外に出ないよう戒められた。目撃者は、姿は人間に似て巨大で、全身が漆塗りのように黒く、半身が海から出ていたが、後ろから見たので顔は確認できなかった、と述べる。
柄杓を貸せ:長崎県五島列島の宇久島では、海坊主が「柄杓を貸せ」と迫る。渡せば水を注いで船を沈めにかかるので、底を抜いた柄杓を渡す、というのが筋である。愛知県師崎では船幽霊が「あかとりくれい」と迫る同型が知られる。五島の語りでは、船王様が艫を向いているため、この妖怪は艫からは上がらず、舳からよじ登ろうとするとも伝える。『日本妖怪大事典』は、柄杓を求める話素が各地に分布することを整理する。
因幡の一つ眼:江戸時代の『因幡怪談集』は、宮相撲で負けなしの米子町の隣村の男が、海辺で周囲二尺ほどの棒杭のような一つ眼の怪物と組み、捕らえたと記す。噂を聞きつけた村人にも正体は分からず、九十歳の老人が、人をみればもたれかかり体はぬるぬるして触るとかゆくなる、海辺でたまに出会う海坊主だと語り、名が定まった。「怪異・妖怪伝承データベース」は海坊主の各地事例を収録する。
起源と解釈
死霊および水神の零落: 海坊主を溺死者の亡霊とする伝えは千葉県にもある。『物類称呼』(1775年刊)は下総国銚子浦の称を正覚坊とし、同地には僧が溺れてなったとする伝説が江戸期の書物に見える。村上健司『日本妖怪大事典』(2005年)はこうした呼称と各地の話型を整理する。
『奇異雑談集』(1687年刊)は海坊主を竜神の零落した姿とし、生贄を求めるとも記す。
和尚魚と中国記録への同定: 寺島良安は『和漢三才図会』(1712年成立)で、中国の類書『三才図会』に載る人面のウミガメ・和尚魚を西海の海坊主に当て、見ることを不祥、すなわち不漁の前兆とした。
池田四郎次郎は、中国の『草木子』に載る、僧に似て小柄で船に乗り乗員が騒げば大風を起こす「海人」を日本の海坊主に同定した。王大海『海島逸志』の海和尚も日本の海坊主に当てられ、ウミガメの妖怪視とする説がある。大田南畝は『海槎余録』の鬼哭灘の怪を海坊主の類とし、井上円了は船幽霊に相当するとした。
見誤り説と名称の類比: 海坊主の出現に海の異常が伴わない例もあり、海の生物や入道雲、大波などの見誤りとする指摘がある。角幡唯介は、セイウチに引きずり込まれる記憶が集合的無意識に刻印され海坊主神話となったのではないかと述べる。西洋のシー・モンクやシー・ビショップは名称が語義的に類似するにとどまる。
史料の変遷
江戸時代前期の刊本は、海の僧形の怪異を聞書として残した。『奇異雑談集』(1687年刊)は明応年間の伝えとして黒入道を記す。
1712年成立の『和漢三才図会』では、寺島良安が中国の類書に見える和尚魚を西海の海坊主に当て、漁師が捕えて放す図を載せる。
柳原紀光『閑窓自語』(寛政年間)は和泉貝塚での出現を記し、『雨窓閑話』(1851年刊)は桑名の晦日をめぐる大入道の話を載せる。ブリガムヤング大学蔵『化物之繪』の海坊主はナマズに似た絵であり、一般的な描写ではないと考察されている。
大田南畝は『海槎余録』の鬼哭灘の怪を海坊主の類と論じ、井上円了は船幽霊に相当するとした。明治21年(1888年)12月26日の『都新聞』は和歌山県三井寺に海坊主があがったと報じた。村上健司『日本妖怪大事典』(2005年)は「海坊主」項で呼称と各地の話型を整理し、国際日本文化研究センター『怪異・妖怪伝承データベース』は海坊主・海入道などの伝承事例を蓄積する。
ゆかりの地
長崎県五島列島の宇久島は、海坊主が柄杓を貸せと迫る話の伝え地である。千葉県銚子の銚子浦は『物類称呼』(1775年刊)に見える土地である。大阪府貝塚市の和泉貝塚では、柳原紀光『閑窓自語』(寛政年間)が、海坊主が海から上がり三日ほど地上にいた見聞を記し、帰るまで子供は外に出ぬよう戒められたとする。
三重県桑名は、『雨窓閑話』(1851年刊)に月末の船出を憚る港として名が出る。長野県中野の替佐付近は、海のない川に住むと伝える内陸の伝え地である。和歌山市毛見の毛見浦は出没地と伝え、明治21年(1888年)12月26日の『都新聞』は和歌山県三井寺に海坊主があがったと報じた。
現代の受容
通称:漫画・アニメ・テレビドラマでは、剃髪で大柄の男性を海坊主とあだ名することがある。『宇宙刑事シャリバン』の戦士サイコラー、『シティーハンター』の伊集院隼人がその例である。村上健司『日本妖怪大事典』(2005年)が項として整理する海坊主は沿海の怪異の呼称と話型であり、劇中の通称は体躯と剃髪の印象を借りた別の用法である。
報道と観光:1971年4月、宮城県牡鹿郡女川町の第28金比羅丸がニュージーランド方面で見たとする話は、同年7月17日の『毎日新聞』に載り、海坊主に似たUMA「カバゴン」とも呼ばれた。国際日本文化研究センターの『怪異・妖怪伝承データベース』は海坊主・海入道などの各地事例を収集し、境港市観光協会は水木しげるロードで妖怪として紹介する。
出典・参考文献References
- 『奇異雑談集』 1687明応年間、伊勢から伊良湖岬への渡しに現れた黒入道を記し、入道鰐とも竜神の零落と記す。
- 『本朝語園』 1706少弐嘉頼が漁師から聞いた話として、海入道(船入道)は体長六、七尺で目鼻手足がなく、見ぬふりをせず「あれは何だ」と言えば船を沈められると記す。
- 『和漢三才図会』 寺島良安 1712中国の和尚魚(人面のウミガメ)を西海の海坊主に当て、漁師が捕えて放す図を載せる。
- 『物類称呼』 越谷吾山 1775下総国銚子浦では海坊主を正覚坊と称すと記す。
- 『閑窓自語』 柳原紀光和泉貝塚で海坊主が海から上がり三日ほど地上にいた見聞を記す。
- 『雨窓閑話』 1851桑名で晦日に船出した桑名屋徳蔵の前に大入道が現れ「俺は恐ろしいか」と問う話を載せる。
ランキング順位Rankings
ゆかりの地Places
- 宇久島(長崎県)柄杓を貸せと迫り、底を抜いた柄杓を渡せばよいとされる五島の伝承地。
- 銚子(千葉県)僧の正覚坊が溺れて海坊主になったと江戸期の書に見える地。
- 貝塚(大阪府)『閑窓自語』に、海坊主が海から上がり三日ほど地上にいたと記される。
- 桑名(三重県)晦日の船出を憚り、桑名屋徳蔵の前に大入道が現れたとする地。
- 替佐(長野県)海の無い長野で、川に住む黒い大仏頭の海坊主が語られる地。
- 毛見(和歌山県)明治21年の『都新聞』に大猿のような海坊主が上がったと報じられた浦。
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よくある質問FAQ
海坊主は実在するのですか?
海坊主は伝説上の妖怪であり、実在は確認されていません。しかし、正体はダイオウイカやリュウグウノツカイなどの深海生物の誤認であったとする説や、海難事故の記憶が妖怪化したとする民俗学的解釈があります。
海坊主に遭遇したらどうすればいいですか?
伝承では、底のない柄杓を海に投げ入れると海坊主は去るとされています。また、船霊を海に捧げることで難を逃れるという説もあります。
海坊主と海座頭の違いは何ですか?
海坊主は主に船を沈める巨大な妖怪として語られ、海座頭は琵琶法師の姿をした海の怪異で、船の前に現れて問答を仕掛けるとされます。両者はしばしば混同されますが、伝承上は別の存在です。
海坊主と船幽霊はどう違いますか
区別は明らかではありません。五島列島では同じものを海坊主とも船幽霊とも呼びます。柄杓を求める話型は双方にあり、愛知県師崎では船幽霊が「あかとりくれい」と迫ります。
海坊主に遭ったらどうすればよいですか
弱点は煙で、一説に煙草の煙です。柄杓を貸せと迫られたら底を抜いた柄杓を渡します。『本朝語園』では見なかったふりをし、淡路の由良では舳から大切な荷物を海へ投げます。
海坊主は実在しますか
伝承上の怪異であり、実在は確認されていません。海の生物や入道雲、大波の誤認とする見方があります。船幽霊と違い、海の異常を伴わずに現れることもあります。
最終更新: · 編集: 百鬼編集室

