のっぺらぼう
のっぺらぼうは、顔から目・鼻・口が消えた人形のような姿で現れる日本の妖怪。江戸期の怪談本から現代の都市伝説まで語られる。

- 分類
- 里の怪
- 分布
- 京都・江戸ほか
- 出没
- 夜の往来・坂
- 弱点・対処
- 記載なし
- 主な初期記録
- 『曽呂利物語』(1663)
解説Overview
のっぺらぼう(野箆坊)は、人に近い姿でありながら顔に目・鼻・口がない妖怪である。害は人を驚かすことにとどまり、それ以上の危害を記す話は少ない。逃げた先でもう一度同じ顔に遭う「再度の怪」の落ちがよく用いられる。
呼び名は土地で揺れる。寛文3年(1663年)の『曽呂利物語』は京の御池町に身長7尺ののっぺらぼうを記し、明和4年(1767年)の『新説百物語』は京都二条河原の「ぬっぺりほう」を載せる。津軽弘前ではずんべら坊、肥後ではのっぺらぽん・のっぺらぼん、篠山ではヅンベラボウとも呼ばれた。正体をタヌキ・キツネ・ムジナとする伝えもあるが、小泉八雲『怪談』「貉」の表題に由来するとの説がある。同作に「のっぺらぼう」の語は出てこない。民間伝承としては大阪府、香川県仲多度郡(現・まんのう町)などが挙げられる。肉塊のぬっぺふほふ(ぬっぺっぽう)とは関連を疑われるが、図像では顔のある肉塊であり、人型ののっぺらぼうとは区別される。
名称と語源
のっぺらぼうは「野箆坊」とも記し、凹凸の少ない平らな状態を形容する語にも転じる。寛文3年(1663年)の『曽呂利物語』は、京の御池町に現れたものをこの名で伝える。
表記は文献ごとにゆれる。明和4年(1767年)の『新説百物語』は、京都の二条河原に現れた目鼻口のない化け物を「ぬっぺりほう」と記す。小泉八雲『怪談』(1904年)の「貉」は表題に貉(ムジナ)を置き、作中に「のっぺらぼう」の語は出ない。
巌谷小波『大語園』(1921年)は津軽弘前の怪談を「ずんべら坊」の名で載せる。肥後では「ノッペラポン」「のっぺらぽん」「のっぺらぼん」、篠山では「ヅンベラボウ」とも呼び、音の揺れを残す。『遠野物語拾遺』(1935年)の綾織村駒形神社縁起は「目鼻もないのっぺりとした子供」と記し、童子型の呼び方を示す。ぬっぺふほふ(ぬっぺっぽう)は名称が近いが、マイケル・ディラン・フォスターは2015年の旧版で、のっぺらぼうとは一線を画すと述べる。牧野陽子は、稲垣トミの捉えるのっぺらぼうがぬっぺふほふの類であった可能性を指摘する。
姿かたち
外形は人に近いが、顔に目・鼻・口がない。『曽呂利物語』(1663年)は京の御池町に出たものを身長7尺(約2.1メートル)と記し、『新説百物語』(1767年)は京都二条河原の「ぬっぺりほう」を目鼻口のない化け物とし、襲われた者の服に太い毛が付いたと書く。与謝蕪村『蕪村妖怪絵巻』は京都市帷子辻ののっぺらぼうに、雷のように光る目を尻へ置く。
森長可『兼山記』は長保寺に現れたものを「鼻も目もない白瓜のごとき顔」と記す。小泉八雲『怪談』(1904年)の「貉」は紀伊国坂の女の顔に目も鼻も口もなく、南方熊楠は「顔が卵のように目鼻口ともになかった」と要約する。巌谷小波『大語園』(1921年)の津軽弘前のずんべら坊にも「卵のよう」とあり、遠田勝はハーンが用いたのと同じ表現の痕跡だとする。
柳田國男『遠野物語拾遺』(1935年)は綾織村駒形神社の縁起に目鼻もないのっぺりとした子供を記し、口のある型もあるとする。お歯黒べったりは目も鼻がなくお歯黒の口だけを開く。ぬっぺふほふは『百怪図巻』『化物之繪』などで贅肉の襞が目鼻口をかたどった肉塊として描かれ、マイケル・ディラン・フォスターは顔のない人型ののっぺらぼうとは一線を画すと述べる。
性質と弱点
のっぺらぼうが人に対してなす害は、驚かすことにほぼ限られ、それ以上の危害を与える話は稀である。明和4年(1767年)の『新説百物語』は、京都の二条河原に現れた「ぬっぺりほう」が人を襲い、服に太い毛が何本も付着していたと記す。寛文3年(1663年)の『曽呂利物語』は京の御池町への出現を伝えるのみで、害の内容も正体も記さない。
逃げた先で再び遭う「再度の怪」は、話の落ちとしてよく用いられるが、小泉八雲の作品に由来するという見方がある。八雲『怪談』(1904年)の「貉」は、赤坂の紀伊国坂で遭った京橋の老商人が蕎麦屋へ駆け込み、店主が「こんな顔ですかい」と振り向いたと書く。巌谷小波『大語園』(1921年)の津軽弘前のずんべら坊も、山道と知人宅で二度顔を見せる。
各地ではタヌキやキツネ、ムジナが化けたものとする伝えがある。好物、報恩、弱点、退治法、禁忌はこれらの記録に見えない。『兼山記』によれば、久々利城主の土岐三河守が久々利山で遭った山伏を組み伏せても消え、長保寺で語ると屋内へ限りなく現れ、抜刀もままならなかった。紀昀『閲微草堂筆記』(1791年)「如是我聞」は、崔荘の張雲會が地に仆れたと記す。
伝承・逸話
貉(ムジナ):
1904年刊の小泉八雲『怪談』に収める「貉」は、江戸の赤坂・紀伊国坂を舞台とする。日が暮れると通る者のない寂しい道で、京橋の老商人が若い女のしゃがみこんで泣く姿を見て声をかけたところ、振り向きざまの顔に目も鼻も口もなかった。商人は無我夢中で逃げ、屋台の蕎麦屋に駆け込む。主人は後ろ姿のまま愛想のない口調で問い、商人が息も切れ切れに今見た化け物を話そうとすると、「こんな顔ですかい」と振り向いた。蕎麦屋の顔にも目鼻口はなく、商人は気を失い、その途端に蕎麦屋の明かりが消えうせた。作中に「のっぺらぼう」の語は出ない。
ずんべら坊:
1921年の巌谷小波『大語園』は、津軽弘前の怪談としてずんべら坊の話を載せる。喉自慢の與兵衛が隣村から帰る山道で、同じ唄を美声で歌う者に聞きほれ、「誰だ」と尋ねると「俺だ」と答えた相手がずんべら坊だった。仰天の余り隣村へ引き返し、知人宅を叩き起こして伝えようとすると、その知人の顔もまたずんべら坊であった。
久々利山の化生:
戦国武将森長可の『兼山記』によれば、久々利城主・土岐三河守(久々利頼興)が悪五郎と称した若いころ、夜中に狩猟のため久々利山を分け入り、身長1丈ばかりの山伏に遭遇した。組み伏せると姿は消え、下山して長保寺の住持に次第を語ると、僧が手を打ち「その化生の者はこんなだったか」と言った。途端に屋内から鼻も目もない白瓜のごとき顔のものが限りなく現れ、抜刀もままならぬまま命運尽きたかとあきらめたところ、風が吹いて寺は露と消え、あたりは野原になった。
駒形神社縁起:
柳田國男『遠野物語拾遺』(1935年)は、綾織村駒形神社(現・遠野市綾織町)の建立由来として、旅人が目鼻もないのっぺりとした子供に赤頭巾をかぶせ、背中に負って通りかかった話を記す。その旅人がこの地でたたずんだとも、ここで死んだとも伝え、それがきっかけという。
起源と解釈
類話:
顔のない女の怪は中国側の記録にも残る。紀昀『閲微草堂筆記』「如是我聞」(1791年刊)は、崔荘の旧宅で張雲會が、目も鼻も口もない真っ白な顔の娘に遭ったと記す。和邦額『夜譚随録』(18世紀末)の「紅衣婦人」も、北京皇城西安門内の西十庫で、紅衣の女の顔が豆腐のように白く曖昧であったとする。『源氏物語』「手習」に「昔いたという目も鼻もない女鬼」とあり、顔のない鬼の言い伝えを平安期まで遡らせる見方もある。
再度の怪:
小泉八雲『怪談』(1904年)「貉」の類話に典型的な、二度人を驚かせる筋は「再度の怪」と呼ばれ、「朱の盆」「大坊主」にも通じる。この話型は『捜神記』の影響によるとされ、巻十六・三八九話「琵琶鬼」(鼓琵琶)と巻十七・四〇六話「兎怪」(頓丘鬼魅)が例に挙げられる。
研究史:
八雲以前の成立については説が分かれる。南方熊楠は、森長可『兼山記』の久々利城説話に「鼻も目もない白瓜のごとき顔のもの限りなく出で来る」とあるのを、「貉」の「いずれも顔が卵のように目鼻口ともになかった」という描写の焼き直しとみた。遠田勝は、再度の怪にのっぺらぼうをはめ込んだのは八雲の独創であり、各地のよく似た話はその派生だとする。遠田によれば、巌谷小波『大語園』(1921年)の津軽弘前・ずんべら坊に「卵のよう」と残るのはその痕跡であり、『兼山記』の久々利城説話は八雲とは別に『曽呂利物語』(1663年)から合成されたという。
曾孫の小泉凡は、「貉」を、巨大な化け物が夜道に人を嚇かす伝承と八雲の子ども時代の体験を結び付けた創作だとする。牧野陽子は、ダブリンの大伯母の屋敷でハーンが語った顔のない従姉妹ジェーンの話を、稲垣トミが狢または貂の悪戯と受け止めたことを参照したと述べる。平川祐弘『怪談・奇談』は、町田宗七編『百物語』第33席「御山苔松」を原話とするが、同話にのっぺらぼうは出ず、カワウソが登場する。八雲の表題「貉」に、正体をムジナや化ける獣にあてる理解が由来するとの説がある。
史料の変遷
近世の文章記録は、寛文3年(1663年)の奇談集『曽呂利物語』が京の御池町の一件をのっぺらぼうとして記すところに始まる。明和4年(1767年)の『新説百物語』は京都の二条河原のものを「ぬっぺりほう」と書き、森長可の『兼山記』は久々利山と長保寺に関わる一件を残す。与謝蕪村『蕪村妖怪絵巻』は京都市の帷子辻に現れたものを描く。
1904年刊の小泉八雲『怪談』「貉」は、作中に「のっぺらぼう」の語を出さず、顔のない者に二度遭う話を流通させた。小泉凡は夜道の化け物伝承と八雲の子ども時代の体験を結んだ創作だとし、遠田勝は「再度の怪」に顔のない怪をはめたのが八雲の独創で、後の類似話はその派生だとする。
巌谷小波『大語園』(1921年)は津軽弘前の話をずんべら坊の名で記述し、柳田國男『遠野物語拾遺』(1935年)は綾織村駒形神社の縁起にのっぺりとした子供を残す。村上健司『日本妖怪大事典』(2005年)は類例にケナシコルウナルペを掲げる。
ゆかりの地
二条河原: 京都市中京区、二条大橋付近。明和4年(1767年)の『新説百物語』が「ぬっぺりほう」の出現を記した河原である。
御池町: 現・京都市中京区。寛文3年(1663年)の『曽呂利物語』がのっぺらぼうの出現を記した町域である。
紀伊国坂: 江戸・赤坂。1904年刊の小泉八雲『怪談』「貉」の舞台となった坂である。
駒形神社: 遠野市綾織町。柳田國男『遠野物語拾遺』(1935年)が縁起を載せる社で、目鼻もないのっぺりとした子供に赤頭巾をかぶせて負った旅人がこの地にたたずんだ、あるいはここで死んだと伝える。
久々利城・長保寺: 岐阜。森長可『兼山記』が土岐三河守の一件の現場として記す城と寺である。久々利山も同記に見える。
現代の受容
文学と海外への伝播:1904年刊の小泉八雲『怪談』所収「貉」は、ボストンのホートン・ミフリン社から英文で刊行された。現代においても、ハワイのオアフ島では日系人によってこの話が伝えられ、触発されたと思われる怪談話がある。
図鑑の像と民俗像:水木しげるの著作は、与謝蕪村『蕪村妖怪絵巻』のぬっぽり坊主を「尻目」と記し、白坊主・黒坊主をのっぺらぼうの一種と解説する。ぬっぺふほふは関連すると思われるが、百怪図巻などの典型は贅肉の襞が目鼻口をかたどった肉塊で、頭部が胴体がわりであり、顔のない人型とは一線を画すとマイケル・ディラン・フォスターは2015年の旧版で述べる。村上健司『日本妖怪大事典』(2005年)は、アイヌのケナシコルウナルペを目と口がなく鼻のみの怪女とする。
出典: 〔3〕
出典・参考文献References
- 『曽呂利物語』 1663京の御池町に身長7尺ののっぺらぼうが現れたと記す。正体の記述はない。
- 『新説百物語』 1767京都二条河原に目鼻口のない「ぬっぺりほう」が現れ、襲われた者の服に太い毛が付いていたと記す。
- 『怪談』 小泉八雲 1904「貉」で紀伊国坂の顔のない女と蕎麦屋の話を書く。作中に「のっぺらぼう」の語は出ない。
- 『大語園』 巌谷小波(冨山房) 1921津軽弘前のずんべら坊として、山道と知人宅で二度顔を見せる話を載せる。
- 『兼山記』 森長可久々利山で山伏に遭った土岐三河守が長保寺で語ると、鼻も目もない白瓜のような顔のものが限りなく現れたと記す。
- 『閲微草堂筆記』 紀昀 1791「如是我聞」に、崔荘で張雲會が目も鼻も口もない白い顔の娘に遭った話を載せる。
- 『遠野物語拾遺』 柳田國男 1935綾織村駒形神社の縁起として、目鼻もないのっぺりとした子供を赤頭巾で負った旅人を記す。
ランキング順位Rankings
ゆかりの地Places
- 二条河原(京都府)明和4年の『新説百物語』で、目鼻口のない「ぬっぺりほう」が現れた河原。
- 御池町(京都府)寛文3年の『曽呂利物語』で、身長7尺ののっぺらぼうが現れた町。
- 紀伊国坂(東京都)小泉八雲『怪談』「貉」で、顔のない女が現れる赤坂の坂。
- 駒形神社(岩手県)『遠野物語拾遺』に、のっぺりとした子供を負った旅人の縁起が残る綾織町の社。
- 土手裏(兵庫県)篠山の怪談七不思議の一。夜の藪道でおちょぼがヅンベラボウの顔を見せる。
- 法華坂(熊本県)肥後のノッペラポン伝承で、茶屋のおかみが重箱婆とのっぺらぽんの顔を見せる坂。
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よくある質問FAQ
のっぺらぼうとは何ですか?
顔に目・鼻・口がない人型の妖怪で、江戸時代から現代まで怪談や都市伝説に登場します。
のっぺらぼうは実在しますか?
伝承上の妖怪であり、実在は確認されていません。
小泉八雲の「貉」はのっぺらぼうの話ですか?
『怪談』の「貉」は、江戸赤坂の紀伊国坂で顔のない女に遭い、逃げ込んだ蕎麦屋でも同じ顔を見る話である。作中に「のっぺらぼう」の語はなく、曾孫の小泉凡は八雲の創作だとする。
ぬっぺっぽうとの違いは何ですか?
ぬっぺふほふ(ぬっぺっぽう)は贅肉の襞が目鼻口をかたどった肉塊で、頭部が胴体がわりである。マイケル・ディラン・フォスターは、顔のない人型ののっぺらぼうとは一線を画すと述べる。
最も早い記録は何ですか?
名としてのっぺらぼうを記す早い例は、寛文3年(1663年)の『曽呂利物語』で、京の御池町に身長7尺のものが現れたとある。正体の記述はない。『源氏物語』「手習」の目も鼻もない女鬼は、源流と見られる記述である。
のっぺらぼうの正体は何ですか?
各地でタヌキ・キツネ・ムジナが化けたとする伝えがある。『新説百物語』のぬっぺりほうは、襲われた者の服に太い毛が付いていたと記す。動物正体は八雲「貉」の表題に由来するとの説もある。
最終更新: · 編集: 百鬼編集室

