塗壁
塗壁は、夜道を塞ぐ壁のような妖怪で、福岡県や大分県の伝承に名が見える。

- 分類
- 里の怪
- 分布
- 九州北部
- 出没
- 夜道
- 弱点・対処
- 下方を棒で払う
- 主な初期記録
- 『妖怪名彙』(1938)
解説Overview
塗壁は、九州北部に伝わる、夜道で人の歩行を阻む壁のような妖怪である。福岡県遠賀郡(旧筑前国遠賀郡)の海岸地方の伝承では、前方に壁が立ちはだかり、左右へよけてもどこまでも続き、蹴飛ばしたり上方を叩いても消えず、下方を棒で払うと消えるという。性質を含めた文献上の記録は、柳田國男が1938年の「妖怪名彙」(のち『妖怪談義』1956年に収録)に記した採取が初出、あるいは少なくとも全国的な知名度を上げたとされる。
大分県では「狸の塗り壁」「イタチの塗り壁」と呼ばれ、タヌキやイタチの仕業とされる。江戸期の『化物之繪』には「ぬりかべ」の添え書きのある図があり、狩野由信『化物づくし絵巻』(1802年)にほぼ同形の三つ目の獅子・犬のような画があるが、伝承上の塗壁と同一かは不明とされる。今日知られる目と手足のある巨大な壁の姿は、水木しげる『ゲゲゲの鬼太郎』の創作である。
名称と語源
塗壁は、柳田國男が1938年の「妖怪名彙」に採った呼称で、のち1956年の『妖怪談義』に収められた。福岡県遠賀郡(旧・筑前国遠賀郡)の海岸地方では「ぬりかべ」と伝え、夜道に立つ壁の怪異を指す。
大分県では「狸の塗り壁」と呼ばれ、旧香々地町(現・豊後高田市)では「イタチの塗り壁」という。表記を「塗り壁」と開く名は、タヌキやイタチの仕業とする獣型の理解を示している。臼杵市の「ぬりかべ」には、しっくいの油漆喰に発祥を求める説がある。文献上の記録は、昭和期の柳田による民間伝承の採取が初出、あるいは少なくとも全国的な知名度を上げたとされる。
壱岐国壱岐島(現・長崎県壱岐市)では「ヌリボウ」(塗り棒、ヌリ棒、塗坊)と呼ばれ、郷土史家・山口麻太郎が著書に記した。柳田は「妖怪名彙」でこれを塗壁に似たものとして同系統に置いた。1969年、丸山学は「壁塗り」(かべぬり)を報告し、語順を替えた異名が九州に並ぶ。臼杵市にも「壁塗り」の伝承が残るとされる。
『化物之繪』(1660年頃成立説)は添え書きに「ぬりかべ」と記す。京極夏彦、多田克己、村上健司らは『怪』第24巻(2008年)で、絵巻の画題と伝承上の塗壁が同一かは不明とし、名のみが九州に流布して民俗語彙となった可能性を挙げている。
姿かたち
柳田國男の「妖怪名彙」(1938年、のち『妖怪談義』1956年に収録)が福岡県遠賀郡海岸地方から採った話では、夜道の前方に壁が立ちはだかり、左右へどこまでも続く。原文に「目に見えない」とはなく、解説者がそう読む。
1660年頃成立とされる『化物之繪』(米ブリガムヤング大学蔵)は「ぬりかべ」の添え書きとともに、白いイヌ、または鼻の長くないゾウのような生物を描く。狩野由信『化物づくし絵巻』(1802年)の三つ目で牙のある獅子か犬のような図は添え書きがなく、2007年に湯本豪一が『化物之繪』との一致からぬりかべと発表した。京極夏彦・多田克己・村上健司らは『怪』第24巻の座談で、絵巻のぬりかべと伝承上の塗壁が同一かは不明とした。
『稲生物怪録』7月30日条には、家の壁に目と口が現れて笑う「壁の形地」がある。添え書きはなく、塗壁の図とは確定できない。
目と手足のある巨大な壁という現在の定型は、水木しげるが1960年代初出の漫画『ゲゲゲの鬼太郎』で、柳田の「行く先に壁」という記述を元に作ったキャラクターである。
性質と弱点
福岡県遠賀郡(旧・筑前国遠賀郡)の海岸地方では、夜道を歩いていると歩行を阻まれ、前へ進めなくなることが塗壁の働きだと、柳田國男が1938年の「妖怪名彙」に記している。蹴飛ばしたり上方を叩いたりしてもどうにもならず、下の方を棒で払えば壁は消えると伝える。
柳田はこの条を1956年の『妖怪談義』に収めた。害は通行の阻止にあり、人を助けたり報いたりする話も、禁忌の定めも、この採取には見えない。
大分県では歩行中に突然目の前が見えなくなる怪異を「狸の塗り壁」と呼び、香々地町(現・豊後高田市)では「イタチの塗り壁」とも伝える。タヌキが陰嚢を広げて視界を塞ぐともされ、棒で下方を払う遠賀郡の法とは別に、座り込んで煙草に火をつけ一服すると視界がひらき進めるという。
大分県南海部郡(現・大分県佐伯市)の七曲りでは、小豆とぎとともに現れ、夜の歩行中に急に目の前が真っ暗になるという。正体をタヌキとし、着物の後ろの帯の結び目に乗って両手で目を塞ぐと伝え、結び目を前にして締めると避けられるとする。柳田が1938年に遠賀郡から採った棒払いの法は、ここには見えない。
伝承・逸話
狸の塗り壁: 大分県では、タヌキなどの動物が起こす怪異として、歩行中に突然目の前が見えなくなる話が各地に残る。同県内ではこれを「狸の塗り壁」と呼び、香々地町(現・豊後高田市)では「イタチの塗り壁」として伝える。タヌキが陰嚢を一杯に広げて夜道を往く人の視界を塞ぐともされ、その場に座り込んで煙草に火をつけて一服すると視界がひらけ、前に進めるとされる。行く手を塞ぐ点は、柳田國男が1938年の「妖怪名彙」に福岡県遠賀郡海岸地方から記した塗壁と話型を同じくする。
七曲りの塗壁: 大分県南海部郡(現・佐伯市)に伝わる民話では、塗壁は七曲りという坂道に小豆とぎと共に現れる。夜を歩いている最中に急に目の前が真っ暗になる。正体はタヌキであり、人が着ている着物の後ろの帯の結び目に乗り、両手で人の目を塞いで視界を奪う。帯の結び目を前にしてしめればタヌキが乗ることができず、避けることができるといわれる。遠賀郡海岸地方の塗壁が壁そのものの出現として1956年の『妖怪談義』(1938年の「妖怪名彙」を収録)に残るのに対し、七曲りでは動物が目を覆う筋立てをとる。
野襖: 高知県幡多郡では、夜、道を歩く人の行く手に襖のような壁ができ、上下左右どこまでも際限なく壁が続く。野襖だと気付いた者は途端に気絶してしまう。これに立ちふさがれたときには、落ち着いて煙草でもふかしていると、自然に消えるという。塗壁に近似するとされ、壁が左右へ際限なく続く点は、柳田が遠賀郡から採った塗壁の話型と重なる。
ヌリボウ: 壱岐国壱岐島(現・長崎県壱岐市)では、夜の山道で山側から突き出してくるといい、郷土史家・山口麻太郎が記す。柳田國男はこれを塗壁に似たものとして「妖怪名彙」に分類し、1956年の『妖怪談義』でも同系統に置いた。
起源と解釈
研究史上の位置: 性質などを含めた文献上の塗壁の記録は、昭和期の柳田國男による民間伝承の採取が初出とされる。1938年の「妖怪名彙」(のち1956年の『妖怪談義』に収録)を通じて、少なくとも全国的な知名度が上がったとする見方がある。
絵巻名義と伝承: 京極夏彦、多田克己、村上健司らは、2008年の『怪』第24巻で、江戸時代の絵巻に名が見える「ぬりかべ」と、柳田が採った伝承上の塗壁とが同一かどうかは不明だと述べている。名称が同じでも別種である例があるため、偶然の一致にすぎないとする。絵巻の名称、もしくは名称のみが九州へ流布し、通行人の前方を塞ぐ怪異にあてはめられて民俗語彙になった可能性も指摘される。民俗学者の小松和彦らの著書も、両者の関連性を不明とする。
祖形・発祥の仮説: 『稲生物怪録』7月30日条の「壁の形地」は、家の壁に目と口が現れて人を睨む怪異として諸本に描かれる。添え書きがなく塗壁とは確定できないが、これを祖形とする仮説が以前にあった。評論家の倉本四郎は、この壁の顔を人柱と関係づけ、塗り壁工事であれば人体でも塗りこめると考察した。大分県臼杵市には、水を弾いて異様に見える「油漆喰」のしっくいが妖怪譚の発端になったという発祥説があり、倉本の議論にやや近い。
史料の変遷
1660年頃成立とする説のある『化物之繪』(米ブリガムヤング大学付属図書館蔵)には、「ぬりかべ」と添え書きした図が残る。構図を同じくし添え書きのない図は、享和2年(1802年)の狩野由信『化物づくし絵巻』にあり、画題は不明のままだった。
同じ江戸時代の『稲生物怪録』7月30日条には「壁の形地」と呼ばれる壁の顔があり、添え書きはなく塗壁とは確定できないが、祖形とする仮説が以前にはあった。
口頭伝承の採録が活字になった例として、柳田國男は1938年の「妖怪名彙」に福岡県遠賀郡海岸地方の話を載せ、1956年の『妖怪談義』へ収めた。
江戸時代のぬりかべ図は現存しないと思われていたが、2007年8月、湯本豪一が『化物之繪』との一致から『化物づくし絵巻』の図をぬりかべと発表し展示した。一部報道は、江戸時代の絵巻にすでに塗壁の姿があったとした。
2008年の『怪』第24巻では、京極夏彦、多田克己、村上健司と、発見を『朝日新聞』に書いた加藤修が座談し、絵巻のぬりかべと伝承上の塗壁が同一かは不明との意見を述べた。
ゆかりの地
遠賀郡(福岡県): 柳田國男の「妖怪名彙」(1938年、のち『妖怪談義』1956年に収録)が塗壁を採った伝え地は、福岡県遠賀郡(旧・筑前国遠賀郡)の海岸地方である。社寺・祭礼・碑の固有名は記されない。
臼杵(大分県): 大分県臼杵市にも「ぬりかべ」伝承が認められる。市内には「油漆喰」という漆喰技術がある。妖怪による町の振興を行う臼杵ミワリークラブの調査によれば、「壁塗り」も同市内に伝わり、観光用の絵葉書が売られていたとされる。
香々地(大分県豊後高田市): 旧香々地町(現・豊後高田市)は、「イタチの塗り壁」の伝え地である。社寺・碑の固有名は伝わらない。
七曲り(大分県佐伯市): 旧南海部郡(現・大分県佐伯市)の民話は、塗壁が七曲りという坂道に小豆とぎとともに現れると伝える。坂以外の碑・祭礼は記されない。
現代の受容
漫画: 水木しげるの漫画『ゲゲゲの鬼太郎』(1960年代初出)では、ぬりかべが主人公・鬼太郎の仲間として登場する。伝承が一部の地方に限られ比較的無名であった塗壁は、同作での登場を通じて広く知られるようになった。
キャラクター像: 水木の妖怪画および同作が示す、目と手足を持つ巨大な壁のような姿は一般化した像である。これは伝承の記述を元にした創作であり、相手を胴の中に塗り込める能力も同作の設定である。平成以降の妖怪関連の文献には、この能力を塗壁の解説として記す例もある。
小説・特撮: 2004年(平成16年)発表のSF小説およびアニメ『ぺとぺとさん』では、塗壁は「ぬりかべ姉妹」として描かれる。特撮の『忍者戦隊カクレンジャー』『仮面ライダー響鬼』では敵キャラクターとして登場し、水木しげるが『ゲゲゲの鬼太郎』で仲間とした役回りとは異なる。
出典: 〔7〕
出典・参考文献References
- 『妖怪名彙』 柳田國男 1938福岡県遠賀郡海岸地方の伝承。夜道に壁が立ちはだかり、下方を棒で払うと消えると記す。
- 『妖怪談義』 柳田國男(講談社) 19561938年の「妖怪名彙」を収録。遠賀郡の塗壁と、類似のヌリボウを同系統に置く。
- 『化物之繪』1660年頃成立説。米ブリガムヤング大学蔵。添え書きに「ぬりかべ」とあり、白いイヌ・ゾウのような生物として描く。
- 『化物づくし絵巻』 狩野由信 1802三つ目で牙のある獅子か犬のような図。添え書きはなく、2007年に湯本豪一が『化物之繪』との一致からぬりかべと発表した。
- 『稲生物怪録』7月30日条の「壁の形地」。添え書きはなく塗壁と確定できないが、祖形とする仮説があった。
- 『怪 第24巻』(角川書店) 2008京極夏彦・多田克己・村上健司らが座談で、絵巻のぬりかべと伝承上の塗壁の同一性を不明とした。
- 『ゲゲゲの鬼太郎』 水木しげる 1960ぬりかべを目と手足のある巨大な壁として描き、鬼太郎の仲間とした。伝承の記述を元にした創作。
ランキング順位Rankings
ゆかりの地Places
- 遠賀郡(福岡県)柳田『妖怪名彙』に記された海岸地方の塗壁伝承の地。
- 臼杵(大分県)ぬりかべ伝承があり、油漆喰の壁を発祥とする説もある。
- 香々地(大分県豊後高田市)「イタチの塗り壁」の伝承地。
- 七曲り(大分県佐伯市)塗壁が小豆とぎとともに現れる坂道。正体はタヌキとされる。
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よくある質問FAQ
塗壁は人を食べますか?
いいえ、塗壁は人を襲うことはなく、ただ道を塞ぐだけの妖怪とされています。
塗壁に遭ったらどうすればよいか
福岡県遠賀郡の伝承では、蹴飛ばしたり上方を叩いても消えず、下方を棒で払えば消えるという。大分県の狸・イタチの塗り壁では、座って煙草に火をつけ一服すると視界が開けるとされる。
塗壁の見た目は壁そのものか
柳田が記した遠賀郡の伝承は進路を塞ぐ壁で、原文に姿の詳細はない。江戸期絵巻には三つ目の獅子・犬に似た「ぬりかべ」図があるが、伝承と同一かは不明とされる。目と手足のある巨大な壁は水木しげるの創作である。
塗壁の文献上の初出はいつか
性質を含めた記録は、柳田國男が1938年の「妖怪名彙」(のち『妖怪談義』1956年に収録)に記した福岡県遠賀郡の採取が初出、あるいは少なくとも全国的な知名度を上げたとされる。
ゲゲゲの鬼太郎のぬりかべは伝承と同じか
同作のぬりかべは目と手足を持つ巨大な壁で、1960年代から鬼太郎の仲間として登場する。柳田が記した行く先に壁が出るという記述を元にした創作であり、伝承そのものではない。
江戸時代の絵巻のぬりかべは伝承の塗壁か
米国所蔵の『化物之繪』(1660年頃成立説)に「ぬりかべ」の添え書きがある。京極夏彦・多田克己・村上健司・小松和彦らは、絵巻のぬりかべと柳田の伝える塗壁が同一かどうかは不明としている。
最終更新: · 編集: 百鬼編集室

