雷獣
雷獣とは、落雷とともに現れるとされる日本の妖怪で、雷を伴う怪異として近世以降の随筆や浮世絵に描かれた。

- 分類
- 火の怪
- 分布
- 東日本を中心に各地
- 出没
- 雷雲・山地
- 弱点・対処
- 青竹と注連縄
- 主な初期記録
- 『絵本百物語』(1841)
解説Overview
雷獣(らいじゅう)は、落雷とともに現れるとされる獣型の妖怪である。東日本を中心とする日本各地に伝えられ、江戸時代の随筆・地誌と近代の民俗資料に名が多い。明治以後は河童や人魚ほど知られなくなったが、江戸時代の知名度は高かった。一説に、『平家物語』で源頼政が退治した鵺を雷獣とする見方もある。
姿は文献ごとに異なり、体長2尺前後の仔犬や狸に似て鋭い爪を持つとするのが東日本の大枠である。信州では千年鼹・千年鼬とも呼び、下野の『絵本百物語』は「かみなり」として夕立雲へ駆ける獣を記す。西日本には鱗と鋏を持つものや「雷龍」と呼ばれる大型の例もある。雲に乗り、墜落して木を裂き人を害するとされ、関東では稲田に青竹と注連縄を立てて天へ還す。
名称と語源
雷獣(らいじゅう)は「雷」に「獣」を添えた名で、落雷とともに現れるとする妖怪を指す。谷川士清『和訓栞』は信州のそれを雷獣の見出しで掲げ、山岡浚明『類聚名物考』も江戸鮫ヶ橋のそれを同じく雷獣と呼ぶ。項目名は童子型ではなく獣型の系統を示す。
表記と異名は文献ごとに揺れる。桃山人『絵本百物語』は項題を「かみなり」とし、本文では下野国筑波付近の山に住む獣を雷獣と記す。天保期の『信濃奇勝録』は立科山(現・長野県の蓼科山)のそれを、冬に穴を穿って土中へ入るゆえ千年鼹(せんねんもぐら)ともいい、同山を雷岳とも称すると伝える。信州では千年鼬(せんねんいたち)の呼び方もあった。因州(現・鳥取県)では寛政3年(1791年)5月に城下へ落下した獣を雷獣ではなく雷龍と名づけており、獣型と龍型の呼び分けが残る。
姿が一定しないことから、雷獣は雷のときに落ちてきた幻獣の総称であるとの見方もある。村上健司編著『妖怪事典』(2000)はこの呼称を項目として収める。
姿かたち
谷川士清『和訓栞』が掲げる信州の雷獣は灰色の子犬のようで、頭が長く、キツネより太い尾とワシのような鋭い爪を持つ。曲亭馬琴『玄同放言』はオオカミに似て前脚2本・後脚4本、尻尾が二股に分かれた姿として描く。
阿部正信『駿国雑誌』によれば、駿河国益頭郡花沢村高草山(現・静岡県藤枝市)に住んだ雷獣は全長2尺(約60センチメートル)あまり、イタチに類しネコのようでもあった。全身に薄赤く黒味がかった体毛が乱生し、髪は薄黒に栗色が交じって真黒の班があり、眼は円形、耳は小さくネズミに似、前足に4本・後足に1本の指と水かきを備え、爪は鋭く内側に曲がり、尾は長かったという。
山岡浚明『類聚名物考』は、江戸の鮫ヶ橋で和泉屋吉五郎が鉄網の籠で飼っていた個体を、全体はモグラかムジナ、鼻先はイノシシ、腹はイタチに似ると記す。享和元年(1801年)7月21日に奥州会津の古井戸へ落ちたとされる画は、鋭い牙と水かきのある4本脚を持ち、体長1尺5、6寸(約46センチメートル)と記されている。東日本の記述は哺乳類に寄るが、同年に芸州五日市村(現・広島県佐伯区)へ落ちたとされる画はカニまたはクモを思わせ、四肢は鱗状で先端は大きなハサミ状、体長3尺7寸5分(約95センチメートル)と伝える。定型の一図に収束した記録はなく、姿は一定しないとする見方もある。
性質と弱点
雷獣は落雷とともに地上へ現れるとされ、駿河国益頭郡花沢村高草山の伝承を記す阿部正信『駿国雑誌』によれば、激しい雷雨の日に雲に乗って空を飛び、誤って墜落するときは勢いよく木を裂き、人を害したという。
山岡浚明『類聚名物考』は、江戸の鮫ヶ橋で和泉屋吉五郎が鉄網の籠に飼っていた雷獣が、ヘビ、ケラ、カエル、クモを食べたと記す。松浦静山『甲子夜話』によれば、谷文晁は雷獣を2、3年飼う者からこの獣がトウモロコシを好むと聞き、落雷のそばにいて廃人となった武家の中間にトウモロコシの粉末を与えて正気に戻したという。
同書はまた、大きな火の塊とともに落ちた雷獣を捕らえようとした者が頬をかきむしられ、毒気に当てられて寝込んだ話を載せる。出羽国秋田では、雷とともに降りた雷獣を捕らえて煮て食べたともいう。
桃山人『絵本百物語』の「かみなり」は、下野の筑波付近の山に住むこの獣が、平時はネコのようにおとなしいが夕立雲の起こるときに空中へ駆け、作物を荒らすと里の民が「かみなり狩り」と称して追い立てたと記す。関東では稲田に落雷があるとただちにその区域に青竹を立て注連縄を張り、その竹があれば雷獣は再び天に昇ることができると伝える。
伝承・逸話
火塊とともに落ちて捕手を傷つける: 松浦静山『甲子夜話』によれば、雷獣が大きな火の塊とともに落ち、近くにいた者が捕らえようとした。手を伸ばしたところ頬をかきむしられ、雷獣の毒気に当てられてその者は寝込んだ。
出羽秋田で煮て食した: 松浦静山『甲子夜話』には、出羽国秋田で雷とともに降りた雷獣を、ある者が捕らえて煮て食べた話もある。落下ののち捕らえ、煮て食するまでの筋で、捕手の名も味も記されない。
落雷のそばで気がふれた者をトウモロコシで癒す: 『甲子夜話』が引く谷文晁の説によれば、雷の落ちた場所のそばにいた人は気がふれることが多く、トウモロコシを食べさせると治るという。ある武家の中間が落雷のそばにいたために廃人になったが、文晁がトウモロコシの粉末を食べさせると正気に戻った。文晁は、雷獣を二、三年飼っている者から、その獣がトウモロコシを好むと聞いたとも記す。
かみなり狩り: 桃山人『絵本百物語』(1841年)「かみなり」の項は、下野国の筑波付近の山に雷獣が住み、平時はネコのようにおとなしいが、夕立雲の起こるときに猛々しい勢いで空中へ駆けると記す。この獣が作物を荒らすと人々が狩り立て、里の民はそれを「かみなり狩り」と称した。日光三山・二荒山付近でも見る者がおり、同書は江戸中期の学者・新井白石も随筆に詳しく記したとする。
鮫ヶ橋で籠に飼う: 山岡浚明『類聚名物考』によれば、江戸の鮫ヶ橋で和泉屋吉五郎という者が雷獣を鉄網の籠で飼っていた。ヘビ、ケラ、カエル、クモを食べたとあり、落下直後ではなく市中の籠で飼われた逸話である。
起源と解釈
日野巌は1926年の『動物妖怪譚』で、雷獣を獣に仮託された妖怪として扱った。空に未知の生物が住み、落雷などの天変地異で地上へ落ちると考えるところから伝承が生じたとされる。
定説:古典に記された大きさ、鋭い爪、木に登るなどの特徴がハクビシンと重なり、江戸の見世物の説明もそれに合うこと、当時はハクビシンの名がまだ与えられていなかったと推定されることから、ハクビシンが雷獣と見なされていたとする説がある。江戸時代の書物に描かれた雷獣をハクビシンだと指摘する専門家もいる。村上健司編著『妖怪事典』(2000年)は雷獣の項を収める。
少数説:テンを正体とする説もあるが、テンは森林に住み江戸の下町にはそぐわず、可能性は低いとされる。イタチ、ムササビ、アナグマ、カワウソ、リスとの誤認や、落雷に驚いて木から落ちたモモンガからの想像とする説もある。信州では千年鼬とも呼ばれ両国で見世物にされた例があるが、イタチやアナグマを細工した偽物と指摘されている。愛知県宝飯郡音羽町(現・豊川市)の見世物もアナグマと指摘されている。中国最古の地理書とされる『山海経』に吠え声が雷の轟きのようだと記される夔が、日本の雷獣伝承の起源になったとする説もある。山梨県笛吹市の山梨岡神社に伝来する夔神像のように、在来の道祖神や山の神への信仰が夔神と結びついた民俗も見られる。一説には『平家物語』で源頼政が退治した鵺が雷獣であるともいわれる。雷のときに落ちてきた幻獣の総称であり、姿形は一定しないとの見方もある。
史料の変遷
明和二年(1765)十月二十五日付の相洲大山の画、享和元年(1801)の奥州会津、享和二年(1802)の琵琶湖竹生島付近、文化三年(1806)の播州赤穂と、落下の年次を記した画が残る。江戸中期の百科『越後名寄』は安永期の越後国での捕獲を記し、曲亭馬琴『玄同放言』は図を添えた。
天保期の地誌『駿国雑誌』は土地の項として載せ、弘化期の『奇怪集』は享和元年の芸州落下譚を集成した。桃山人『絵本百物語』は「かみなり」の項を立て、松浦静山『甲子夜話』は見聞を随筆に収めた。山岡浚明『類聚名物考』は江戸の鮫ヶ橋で和泉屋吉五郎が鉄網の籠で飼っていたことを記し、信州の雷獣は両国で見世物にされ、愛知県宝飯郡音羽町でも見世物があった。
明治以降は河童や人魚に比べ名が薄れ、記録の場は新聞と研究書へ移った。明治四十二年(1909)には富山県東礪波郡蓑谷村での捕獲が『北陸タイムス』に報じられた。日野巌は原著1926年の『動物妖怪譚』で取り上げ、村上健司編著『妖怪事典』(2000)が現代の事典項目として収めた。
ゆかりの地
高草山(静岡県藤枝市):阿部正信『駿国雑誌』は旧駿河国益頭郡花沢村のこの山を雷獣の住処と記す。
蓼科山(長野県)・大山(神奈川県伊勢原市):天保の『信濃奇勝録』は立科山を雷獣が住むゆえ雷岳ともいい、谷川士清『和訓栞』も信州の雷獣を掲げる。伊勢原市の大山は雨乞いの神と崇められ、昭和二年(1927年)の落雷の際に種の定まらない動物が目撃されたという。
西生寺(新潟県三島郡)・雄山寺(岩手県花巻市):西生寺の宝物館は寺宝の雷獣ミイラを一般公開する。由来は不明である。雄山寺には「雷神」と札を掲げた獣のミイラがあり、雷獣と見なされている。
富士神社(滋賀県東近江市今代町):雷獣を祀る社で、捕らえた森の祠を封込(ふうじこめ)神社と称したのち字を富士と改めたと伝える。
現代の受容
明治以後、雷獣は河童や人魚といった妖怪・幻獣に比べると知られる度合いが下がったとされる。村上健司編著『妖怪事典』(2000年)は雷獣の項を収め、湯本豪一『日本幻獣図説』(2005年)も幻獣の図説にこれを置く。
京極夏彦の小説『かみなり』は『前巷説百物語』に収録される。題は桃山人『絵本百物語』(1841年)の「かみなり」と同じであり、雷獣を小説の題材とした例である。
人文社編集部編『日本の謎と不思議大全』(2006年)東日本編・西日本編は通俗読物として雷獣を採る。多田克己編『竹原春泉 絵本百物語 桃山人夜話』(1997年)は同奇談集の現代校訂であり、雷獣は「かみなり」の項として読まれる。村上健司編著『妖怪事典』が整理する伝承上の獣と、題を借りた小説の像とは層を異にする。
出典・参考文献References
- 『和訓栞』 谷川士清信州の雷獣を灰色の子犬のようで頭が長く、キツネより太い尾とワシのような鋭い爪を持つと記す。
- 『類聚名物考』 山岡浚明江戸の鮫ヶ橋で和泉屋吉五郎が鉄網の籠で飼っていたとし、全体はモグラかムジナ、鼻先はイノシシ、腹はイタチに似て、ヘビ・ケラ・カエル・クモを食べたと記す。
- 『玄同放言』 曲亭馬琴 1820形はオオカミのようで前脚2本・後脚4本、尻尾が二股に分かれた姿として描く。
- 『甲子夜話』 松浦静山 1821火の塊とともに落ちた雷獣に捕手が頬をかきむしられ毒気で寝込んだ話、秋田で煮て食べた話、谷文晁が聞いたトウモロコシ好みと落雷による発狂の治療を記す。
- 『絵本百物語』 桃山人 1841「かみなり」の項。下野の筑波付近の山に住み、平時はネコのようにおとなしく夕立雲とともに空へ駆ける獣とし、作物を荒らすと「かみなり狩り」で追い立てると記す。
- 『駿国雑誌』 阿部正信駿河国益頭郡花沢村高草山の雷獣を全長2尺あまりのイタチに類しネコのようでもある獣とし、雲に乗って飛び墜落して木を裂き人を害すると記す。
- 『動物妖怪譚』 日野巌 1926原著1926年の動物妖怪論。獣に仮託された妖怪として雷獣を扱う。
- 『妖怪事典』 村上健司(毎日新聞社) 2000現代の妖怪事典として雷獣の項を収める。
ランキング順位Rankings
ゆかりの地Places
- 高草山(静岡県藤枝市)『駿国雑誌』に雷獣の住処とされ、全長2尺あまりの姿と雷雨の日の飛行・墜落が記される。
- 蓼科山(長野県)『信濃奇勝録』で雷獣が住むため雷岳ともいい、冬は土中に入るので千年鼹とも呼ぶ。
- 大山(神奈川県伊勢原市)明和2年の日付がある狸に似た雷獣画が残り、昭和2年には落雷の際に奇妙な動物が目撃された。
- 西生寺(新潟県)寺宝の雷獣ミイラを宝物館で公開する。由来は不明で、体長35センチメートルほどのネコのような姿。
- 雄山寺(岩手県花巻市)「雷神」と札の掲げられた獣のミイラがあり、雷獣と見なされている。
- 富士神社(滋賀県東近江市)雷獣を祀ると伝える社。山伏が大網で捕らえ鉄杖で殺したのち、封込神社と呼ばれた祠に由来する。
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よくある質問FAQ
雷獣とは何ですか?
雷獣は、雷の時に現れるとされる日本の妖怪です。落雷とともに落ちてくる獣として語られ、江戸時代の随筆や浮世絵、明治期の新聞記事などに記録があります。
雷獣はどんな姿をしていますか?
一定の姿はなく、猫、鼬、狸、猿、あるいは雷そのものなど、さまざまに描かれます。『和漢三才図会』では猫や鼬に似た姿で描かれています。
雷獣は実際にいるのですか?
雷獣は伝承上の存在ですが、明治期には雷獣と称する動物の目撃や捕獲の記事が新聞に載り、実際の動物の誤認とする説もありました。
雷獣の正体は何だと考えられていますか?
伝承上の幻獣です。大きさや鋭い爪、木に登る点がハクビシンに合うとする説があり、イタチ、ムササビ、モモンガなどとの誤認とする説もあります。信州の見世物はイタチやアナグマを細工した偽物だったと指摘されています。
雷獣が落ちたときはどう対処しますか?
関東では稲田に落雷があると青竹を立て注連縄を張り、雷獣が天に戻れるようにしたと伝えます。捕手は爪で裂かれ毒気で寝込む話が『甲子夜話』にあり、トウモロコシを好むとも記されます。
雷獣にゆかりの場所はありますか?
新潟県の西生寺宝物館に雷獣のミイラとされる寺宝があり、岩手県花巻市の雄山寺にも「雷神」の札の獣ミイラがあります。滋賀県東近江市今代町の富士神社は雷獣を祀ると伝えます。
最終更新: · 編集: 百鬼編集室

